連載・塚田有一│みどりの触知学<特別編・2012夏> 朱夏~都会の山中~
全部のスケールが大きく見えた。見たことのない大きさだった
<特別編・2012夏> 朱夏~都会の山中~
一年、たった一年だけだったが、かつて禅宗のお寺で過ごした。大学生のころ、いくつか偶然が重なって、そのお寺の門を叩いた。それ以来、その場所は僕にとって、帰ることができる場所なのだ。
先日、久しぶりに訪ねてみたものの、お世話になった和尚はお施餓鬼で留守だった。お寺に近づくと蝉の声がシャワーのように降って来た。が、山門をくぐって、水が打たれた敷石に立った途端、懐かしさと有難さに蝉の声は遠のいた。何度も何度も歩いた石畳は、しっとりとみどりいろに光っていた。
Photographs & Text by TSUKADA Yuichi(ONSHITSU)
とにかくその門を、僕は思い切ってくぐった
「拝観謝絶」の看板は変わらない。学生のころ、その文字というか字面を見ては、踵を返した。なにせ、まったく縁がなかった。
学生時代、とにかく茶道をやってみたいと思い立ち、いい先生を紹介して欲しいと、好きだった「芸術哲学」というクラスの先生に思い切って尋ねた。先生は水墨画家でもあった。「お坊さんたちと混じってやるのもいいんじゃないか」。そう言って名前がすっと挙ったのがこのお寺。なんでも自分の師匠の画が、このお寺に掛けられているのだとか。偶然にもそのお寺、陸上部だった僕が練習グラウンドの行き帰りに前を通っていたお寺だったのである。通るたび、なにか面構えのようなものに惹かれていたのはたしかで、ほかにもたくさんあったお寺のなかでも別格だったのだと思う。
とはいえ縁はそれだけで、いきなり「拝観謝絶」だったし、「禅の修業道場」と書かれている。山門の前で逡巡するのが普通だろう。僕が意を決することができたのは、ある詩を読んだのが決め手になったのだが、それはまたいつか。
とにかくその門を、僕は思い切ってくぐった。真夏だった。
「喫茶去」。やはり一服のお茶は曲者
突然現れた僕を、墨染めの衣で迎えて下さったのは、大きなお顔の和尚さんだった。立派なしゃれこうべが透けて見えるようだった。目には庭からの光が映っていた。簾戸の立ててある室に招き入れられた。光が遮られつつじわじわと室内に滲んでいる。畳も青く微かにそれを返している。
「まあ、座りなさい」。抹茶を直ぐに点ててくださった。錫の茶筒から濃い緑の粉末が茶杓で掬われ、茶筅が振られるとふわっと香り立つお茶が立つ。その間、自己紹介みたいなものはしたはずだ。
「茶椀は唐津だぞ」と言われて、なるほどと思ったが、大きさがラーメンのどんぶりほどもある。和尚は「友だちがわしの顔に合わせて作ってくれたんじゃ! かかか」と笑う。それでそのときの僕の“たが”を外すには充分だったのだろう。お茶碗一杯飲み干すと、いろんな想いを堰を切ったように話したのだと思う。誰にも話したことがなかったことも。お寺にあんなふうに駆け込むってことは、和尚から見ると、なにか切羽詰まった者だと思えたのかもしれない。それで、あんなふうに受け入れてくれたのだと、今は思う。
ひとしきり話しを聞いてくれたあと、すすけた天井の高い典座で、和尚は蕎麦を茹でてくれた。向かい合って座してお蕎麦をいただく。和尚のお箸がでかくて、笑ってしまった。拍子木を兼ねているのだそうだ。全部のスケールが大きく見えた。見たことのない大きさだった。而も、静かだった。
和尚は坊主頭なので、ヤブ蚊が容赦なく頭を狙う。そばをすすりながら、和尚は頭をボクボクと叩いていた。お坊さんでも、かゆいものはかゆいし、蚊も打つ。
帰るときにはひと声掛けるように言われ、離れにお住まいのご老師にも面会させていただいた。そこでもお茶を点てていただいた。
「喫茶去」。やはり一服のお茶は曲者。だって、これは魔法のようなものだったから。もちろん点てるひとの振る舞いや身ぶりや、話す声のゆらぎや、空間や時間の重力や、交差するタイミングなどいろんなバランスの上でその魔法は発動するのだろうけど。何かを預けてもいいような、そんな気にされてしまう。「お茶をやるなら座らなくちゃいかん」。そう言われて、参禅もすることになった。
その日は結局夕飯近くまでお寺でご厄介になり、たくさんのお土産を両手に部屋へ戻った。はじめてであったのに、洗いざらい話しをしたことが不思議だった。お坊さんとはああいうものなのか、、、。「また、いつでも来い」。そんな言葉がうれしすぎた。
その後もいろいろエピソードはあるが、お茶のお稽古も座禅も、きちんとつづけられたわけではない。たまにふらっと現れて、珍しがられて、、、その程度だった。そのうち卒業して一旦東京を離れた。
何かを迎えに行く、もしくは迎えられるためには、旬というものがやはりある
<特別編・2012夏> 朱夏~都会の山中~
どっちつかずの有髪の、小僧見習いのようなもの
花の世界に足を突っ込んで、一年も経たずにまた東京に戻って来ることになる。そのときあらためて和尚さんに、今度は大胆にも居候を願い出た。今から思えば自分のやりたいことを探すために、一時身を置かせてほしいということで、都合の良い甘えだったのかもしれない。そんなことは承知で和尚さんは、置いてくれたのだと思う。僧になりたい若い世代も減っているので、人手的には欲しかったのかもしれないが、檀家さんからとか、まわりの僧侶からの風あたりは結構強かっただろう。どっちつかずの有髪の、小僧見習いのようなもの。
毎朝のお務めは必須。19時には寺に戻ること。週末の暁天座禅、その後の作務、法事の手伝いなどが条件。一年中裸足で過ごす。雑巾掛けで一時間かけまわる。今でも雑巾掛けダコが残っている。大きな木魚も叩いた。最初は豆がつぶれた。般若心経だけは今でもソラで詠める。……ほかは忘れてしまった。
茶畑があり、茶摘みをした。年の瀬にはお餅も搗いた。除夜の鐘突きのサポートも。暁天座禅の合図には木版を叩く。その音が、川に沿って朝靄の中を、波になって渡って行く。
和尚の点てるお茶のおいしかったこと、豪快な笑い声、子どものような駄々っ子なところ、黙って、恐い横顔、マッサージのとき痛みに歪んだ表情、大きな声、大きな頭蓋骨、眼窩で光るまなざしや、お経をあげる時の背中、袈裟や法衣の時の和尚、作務衣の和尚、、、。
できればいつまでも帰れる場所であってほしい
久しぶりに訪ねたら、やっぱりたくさんの想いが溢れ、鳴りはじめるのだった。庭は前よりも整えられ、丁寧に手入れされて、光っている。人手が少なくても、ここまで浄められ、磨かれている。いろいろと、とっ散らかっている、自分の身の回りを想起する。片づけようと決心してみる。
酸いも甘いも、切なくなるような、恥ずかしいような想いも、苦さも、そこに立ち戻ることで、立ち現れる。今の僕へ繋がる大事なノード、重石としての場所。
それにしても記憶の中から、花火のように静かに登って爆ぜて、崩落して行くさまざまな風景。できればいつまでも帰れる場所であってほしいと願わずにはいられなかった。
あのとき僕は偶然が重なってこの山門をくぐった。自分の細胞の記憶を信じることにして。可能性が可能性のままである場所に飛び込んだ。そうしてみるとこの偶然は、生きることそのものだった。何かを迎えに行く、もしくは迎えられるためには、旬というものがやはりあるのだ。
お施餓鬼で出かけられている和尚さんに習って、三界万霊の碑にお参りした。『祭如在』。万物の霊がまさに現前するかのように祈れ。
そしてまた暑い照り返しのアスファルトに出た。蝉が戻って来た。
温室
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