Alfa Romeo 1910-2010|100年ぶんのアルファ ロメオが結集!
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2015年4月2日

Alfa Romeo 1910-2010|100年ぶんのアルファ ロメオが結集!

Alfa Romeo 1910-2010 in Milano|
アルファ ロメオ100周年イベント in ミラノ

100年ぶんのアルファ ロメオが結集!(1)

2010年で創業100年目を迎えたアルファ ロメオ。その誕生の地であるミラノで、100周年を祝うイベントが盛大におこなわれた。いくつもの特設会場が設けられ、世界中から駆けつけたオーナー車両で、街はアルファ ロメオで埋め尽くされた。

文・写真=武田公実

1910年6月24日に生まれたアルファ ロメオ

ミラノという都市名から連想されるのは、“アルタモーダ”と称される先鋭的なハイファッションや美食。あるいはスカラ座のオペラや、ACミランに代表されるサッカーのクラブチームを思い出す向きもいるかもしれない。しかしクルマ好きにとっては、ミラノといえば、やはりアルファ ロメオの存在を欠かすことはできないだろう。

アルファ ロメオは、フランス車ダラックのノックダウン生産をおこなっていたダラック・イタリア社を母体に、ミラノの企業家グループが1910年6月24日から「ALFA(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili:ロンバルダ自動車製造会社)」のブランド名を掲げて、初のオリジナルモデルとなる“24HP”の生産をスタートさせたことに端を発する名門メーカー。つまり、今年2010年はアルファ ロメオにとって記念すべき100周年なのだ。

そして、ALFA社としての起業からちょうど100年目を迎えた2010年6月24日、ある壮大なワンメイク・イベントの幕が切って落とされた。その名も「Alfa Romeo 1910-2010」。名門アルファ ロメオの栄光と挫折、そして不屈の歴史をそのまま体現した巨大セレモニーである。

3000台のアルファ ロメオによる大ミーティング

イベント初日となる6月24日の朝は、現在ではミラノ市庁舎として使用されているセンピオーネ公園のマリーノ宮殿で開会宣言とプレスコンファレンスをおこなったのち、F1イタリアGPでも有名なアルファの聖地、モンツァ・サーキットにて開会式典を兼ねたサーキット走行イベントを開催。また24日と翌25日には、1960年代初頭以来アルファ ロメオの工場が置かれてきたもうひとつの“聖地”、ミラノ近郊アレーゼにある「ムゼオ(ミュージアム)・アルファ ロメオ」の開館時間が、夜11:00まで延長されるという特例措置もとられていた。

しかし今回のメインイベントとなったのは、なんといっても26日と27日の2日間にわたって開催されたラリー形式の巨大パレードラン。中間発表段階でもすでに2300台以上ものアルファ ロメオ車とそのオーナーたちがエントリーを済ませ、大会当日にいたってはじつに3000台のアルファ ロメオが結集したという、恐るべき大ミーティングとなった。

パレードランの出発地点は「フィエラ・ミラノ・ロー」

まずは26日朝。アレーゼの隣町、“ロー”にある大規模見本市会場「フィエラ・ミラノ・ロー」に、おびただしい数のアルファ ロメオたちがぞくぞくと集まってきた。その内訳は、一世紀におよぶ歴史そのもの。旧くは1920年代のヴィンテージ初期に製作されたRLシリーズに端を発し、第二次大戦前の傑作6Cシリーズや、戦後の1900シリーズ、ジュリエッタ、ジュリア、アルフェッタ、フィアット・グループの傘下入り以後に製作された164や155、そして今世紀以後に製作された156や147、そして最新の159/ブレラやMiToなど。この100年間に製作されたほぼすべてのアルファ・ストラダーレの姿を見ることができた。

さらにはつい先日発表されたばかりの新型ジュリエッタも、メーカーやディーラーから大挙貸し出され、今回のイベントのさまざまなステージで活躍することとなったのだ。

これら多彩な参加車両とそのオーナーたちは、フィエラ・ローで本格的なブッフェランチとアルファ談義を楽しんだのち、ミラノ市中心部をまわるパレードに向けて雪崩のごとく大移動。パレードの巨大な車列は、ドゥオーモやスカラ座と並ぶミラノ市内の歴史的名所として知られるスフォルツェスコ城へと集結することになった。

ここでは、全参加車両中から選抜された100台の歴史的なアルファ ロメオによる“レビュー”も開催。今回のイベントのギャラリーに一般のミラノ市民や観光客も交えた、まさに黒山の観衆のなかで、ミラノの象徴ともいえるアルファ ロメオの100周年が祝賀されるにいたったのである。

Alfa Romeo 1910-2010 in Milano|
アルファ ロメオ100周年イベント in ミラノ

100年ぶんのアルファ ロメオが結集!(2)

天下の公道における迫力のエキシビション

そして一夜明けた翌27日の午前中に、イベントはクライマックスを迎えることになった。ミラノ市の周囲をまわる「タンジェンツィアーレ(環状道路)」において、隊列を組んで走行するエキシビションがおこなわれたのだ。事前に噂されたごとく、天下の公道であるはずの「タンジェンツィアーレ」を完全貸切するまでにはいかなかったものの、片側3車線のうちの1車線、ないしは2車線をアルファ ロメオが埋め尽くして進むさまは、まさに圧巻の一言。ヘリコプターからの空撮もおこなわれ、この日のTVや新聞を賑わすことになった。

そしてパレードランの参加車両たちは、これもミラノ近郊の街、ノヴェグロのフィエラ(見本市会場)で6月19~27日まで開催されていたアルファ ロメオの展覧会「Alfaromeo 100×100」の会場において再びの集結。4日間におよんだ巨大な100周年記念イベントは、ここに感動の大団円を迎えるにいたったのである。

アルファ ロメオは、日本では身近な存在として過度に認識されてしまったイメージもあるが、第二次大戦前まで遡ってみれば、レーシングカーコンストラクター兼超高級スポーツカーメーカーとして、世界の頂点に君臨する存在。まさに、現代のフェラーリに相当するブランドであった。しかし、1954年に名作ジュリエッタが誕生して以降のアルファ ロメオは量産車メーカーへと転身を果たし、それまでの富裕層限定から一般市民にも愛されるメーカーとなった。

そして、その変化からじつに半世紀以上の時が経過した今年2010年に開催されたイベントは、そんなアルファ ロメオの後半生を集約したような内容となっており、あくまでアルファ ロメオの100年間を地道に支えてきた市井のファンたちに寄り添うことにプライオリティを置いていたかに見えた。

まるでアルファ ロメオのワールドカップ

また、約3000台分のエントラントのうち、イタリア国内からの参加はわずか2割程度に過ぎず、残りの8割は外国からの参加。その内訳は近隣のスイス、オーストリア、フランスやドイツはいうにおよばず、イギリス、オランダ、ベルギー、クロアチア、スロベニア、ロシア、さらにはオーストラリアやニュージーランドからの参加も見られた。

じつは日本からも、“MiTo”や最新モデル“ジュリエッタ(!)”のレンタカーを借りて参加するエントラントが4組ほど確認されたほか、台湾や中国からの参加者も見られた。そして会場ではイタリア語や英語にくわえ、ドイツ語にフランス語、スペイン語、ポルトガル語、さらには筆者にはどの国の言語かも聞き取れない言葉による大声援がこだまし、このイベントのグローバルぶりを実感させた。

もうひとつ特筆したいのは、参加車両たちのコンディションの美しさである。ジュリエッタ&ジュリアに代表されるヒストリックモデルはもちろんのこと、わが国では格安の中古車として冷遇されがちなアルフェッタやアルファスッド、75なども本当にグッドコンディションで、これらのクルマたちと比べてしまうと、日本国内に生息するアルファたちが少々みすぼらしくさえ感じられてしまったほど。ここにも、今回世界中から集まったエントラントたちの「アルファ愛」がひしひしと感じられたのだ。

かくのごとく、おそらく世界でもっとも愛されている自動車ブランドのひとつであるアルファ ロメオ。その記念すべき100年の節目は規模の巨大さもさることながら、すばらしいヒストリーとエモーショナルなキャラクターにふさわしい、エンスージアスト(=熱狂的なクルマ好き)精神が横溢したものとなったのである。

           
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