あなたのクルマ 見せてください 第10回 特別欧州篇
第10回 特別欧州篇 ファブリツィオ・カスプリーニ氏×プジョー407SW
古代ローマ人とトヨタの意外な関係
イタリアとスイスの“普通のクルマ好き”を尋ね、彼の地の人びとのクルマにたいする考え方、ライフスタイルを垣間見る、あなたのクルマ見せてください欧州特別篇。最終回は、趣味である古代ローマの武具・馬具収集を通じて、ユニークな視点からクルマを語る、イタリアの眼科医に登場していただいた。
Text & Photographs by Akio Lorenzo OYA
1970年代におけるイタリア家庭のクルマ事情
イタリアの古都シエナ。ファブリツィオ・カスプリーニ氏は眼科開業医である。普段はプジョー「407SW」で、3拠点あるクリニックを忙しくまわっている。医師の話す車歴は、そのまま往年のイタリア中産階級の生活を物語る。自邸は総面積1ヘクタールに及び、庭にはオリーブやワイン用ブドウ畑も広がる。趣味はイタリア人の祖先である古代エトルリア&ローマ時代の武具収集で、邸内の一角に修復室やミニ展示室を開設する熱の入れようだ。その彼が熱く指摘する、古代ローマ人とトヨタの意外な共通点とは──
──現在お乗りのクルマは?
いま乗っているのは、2005年のプジョー「407SW」です。ターボディーゼルの溢れんばかりのトルクは、日々の移動に極めて快適。気がつけば10年ちかく乗ってしまいました。いっぽう妻のエリザベッタは、初代「スマート」を愛用しています。私が薦めたんです。
もともと彼女は坂道発進が苦手だった。その昔、急坂の信号でうまくスタートできずに四苦八苦していたら、通りかかった警察官に「あなた、本当に免許持ってるの?」と疑われたくらい(笑)。そのショックいらい、クルマから遠ざかっていた彼女ですが、シーケンシャルシフトのスマートが彼女のコンプレックスを解消してくれました。
──ところでカスプリーニ先生は今年50歳。往年のイタリア人のカーライフをイメージするうえで、子供時代を過ごした1970年代、家にあった車を教えてください。
銀行の支店長だった父は、私が物心ついたとき、フォードの「コーティナMk.1」に乗っていました。円形を三分割したテールライト、いまでもよく憶えてますよ。後年ランチアの「フルヴィア」がやってきて、いらいランチスタになりました。
第10回 特別欧州篇 ファブリツィオ・カスプリーニ氏×プジョー407SW
古代ローマ人とトヨタの意外な関係 (2)
いちばん思い出に残る車
——カスプリーニ先生自身のモータリゼーションとの馴れ初めは?
4輪の前には、当時イタリアで流行したホンダの「CB350 FOUR」に乗ってました。普通免許をとるのに、自動車教習所は要りませんでした。早くも13、14歳頃に、庭でマンマ(母)が彼女用のルノー「4」を使って運転を教えてくれましたからね。ちなみにいまは、私が庭で中学生の一人息子にバイクを教えているところです。先日、彼はスロットルとブレーキの操作をまちがえて、わが家の石壁に激突し、フォークを折ってしまいましたが(笑)。
私のことに話を戻せば、18歳になって運転免許試験場には直接行きました。当時のイタリアは、自分の車で受験してよかった。だから受験当日は朝、兄が運転するフィアット「127」で試験場まで行きました。本番では私が運転席、試験官が助手席に一緒に乗って試験開始です。そのあいだ、兄貴も後席に乗ってました。
──のどかな時代ですね。
めでたく免許を取ってすぐに乗ったのは、英語教師をしていた叔母のお下がりだったクライスラー。モデル名は忘れましたが4ドアで、洒落たカフェラテ色でした。
そのあと、ランチアの「プリズマ」、おなじくランチアの「テーマ」、そしてローバー「600」(筆者註: 当時提携していたホンダの欧州版「アコード」と姉妹車)を経て、現在のプジョー407SWに至りました。
いちばん思い出に残る車? それは疑いなくテーマです。インテリアの質感や造りが、いま思い出しても上質でしたから。革シート仕様で、走り出せば、動くサロンのようでしたね(笑)。私にとって、最も良い時代の、最も素晴らしいイタリア車です。
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古代ローマ人とトヨタの意外な関係 (3)
古代ローマとトヨタ
──ところで、カスプリーニ先生の趣味は、古代ローマ武具・馬具の研究と収集ですね。
じつはイタリアでそうした物は、ネットオークションで「1ユーロスタート」もあるんですよ。だから収集するチャンスは、たくさんあります。
古代ローマの戦史を研究していて面白いのは、「ヒーローなど存在しなかったこと」です。かわりに尊重されていたのは、チームワークでした。のちのドイツにおける高い次元の行動規範も、古代ローマ人がアルプスを越えて持ち込んだ規律が脈々と伝わっていたから、とさえいわれています。
──古代ローマ人は、スタンダードを各地に輸出した、と。