ランボルギーニ50周年イベントリポート前編|Lamborghini
Grande Giro Lamborghini 50th Anniversary|
グランデ・ジロ・ランボルギーニ 50゚アニヴェルサリオ
ランボルギーニ50周年を祝う一大イベント 前編
1963年に誕生したスーパーカーメーカー ランボルギーニ。今年2013年はランボルギーニ誕生50周年という記念すべき年だ。それを祝うビッグイベントがイタリアで催され、全世界から700人ものランボルギーニオーナーが自慢の愛車とともにイタリアに集結。その数じつに350台! ミラノからランボルギーニの故郷、サンタガータ・ボロニェーゼまで1,200kmをツーリングするこのイベントに参加した、西川淳氏のリポート。
Text by NISHIKAWA Jun
ならべば4km、総走行距離は1,200kmの“猛牛ドライブ”
2013年の今年、ランボルギーニ社の設立50年を祝う数ある行事のなかでも、ハイライトとなるイベントが、「グランデ・ジロ・ランボルギーニ・50゚アニヴェルサリオ」だ。
「グランドツアー」というだけあって、シカケは壮大。
ファッションの街ミラノをスタートし、“世界でもっとも美しい渓谷”と、かのヘミングウェイが記したトレッビア・ヴァレー渓谷を駆けぬけ、海の高級リゾートのフォルテ・ディ・マルミへ。
そのままリグリアからティレニア海、つまりはイタリア半島の西海岸を南下し、ピサの斜塔をかすめて首都ローマへ。
そこから折り返すように内陸部を北上し、オルヴィエートやアレッツォといった歴史的な街を訪れる。
日本からは、なんと11人もの熱心なオーナーが、愛車を空輸でイタリアにもち込んでいたから驚く(彼らには真のランボファナティックとして、最大限の敬意を表したい)。
もっとも多かったのは、もちろんランボ史上最多生産台数=1.3万台超を誇る「ガヤルド」で、参加車中およそ1/3となる123台である。
距離にして4km、総出力は19万ps、という猛牛の大軍団がイタリアを走りまわった、というのだから、スケールがでかい。
Grande Giro Lamborghini 50th Anniversary|
グランデ・ジロ・ランボルギーニ 50゚アニヴェルサリオ
ランボルギーニ50周年を祝う一大イベント 前編 (2)
5月7日―フェルッチョが自動車会社を登記した50年後に
5月7日、ミラノ
「プリンチペ・サヴォイ」で朝食をとっていたら、ステファン・ヴィンケルマンCEOがやってきた。「おめでとう!」と声をかけると、「きょう、まさに50年前のこの日に、フェルッチョは自動車会社を登記したんだよ」、と教えてくれた。
ピレリ財団の本拠地にプレスを集めての公式記者会見でグランドツアーははじまった。「ミウラ」×「チントゥラート」や「クンタッチ」×「ピレリ P7」に代表される、
とピレリの歴史的に深い関係を背景に“開会宣言”というわけだ。
建物の外には、いきなりの「
」。屋外ではじめて見たが、ショーよりもリアリティが、不思議と伴っていて驚く。「トランスフォーマーだ!」とおもっていたクルマなのに、もう乗ってもいい気分になっている!
古城で有名なミラノのカステッロ広場がグランドツアーのスタート地点だ。この日のために、広場周囲のランナバウトは半ば通行止めで、ふだんはミラノっ子たちが忙しく駆けまわる道が、臨時の“猛牛パドック”になっている。おかげで、周囲は大渋滞……
オーナーのクルマたちは前夜のうちに運び込まれており、午後からいよいよレジストレーションがはじまった。
ボクが受け取ったゼッケンは223番。
車両は本社が用意してくれた、白い「ガヤルド LP550-2」、それも3ペダルマニュアルギアボックス仕様である。きっと、イベントレンタカー枠のなかで、誰も選ばなかった個体なのだろう!
もしくは、ペアを組むシンガポールのジャーナリストで旧知のアンディ・ラムとともに、“運転好き”であることを知っている本社の連中が、あえてマニュアル車をあてがってくれたのか。
それはともかく。
この日はゼッケンと参加グッズを受け取る“受け付け”のみ。夜は、ピレリ財団も設立メンバーとなっている、モダンアートの拠点“ハンガービコッカ”でウェルカムパーティ。
Grande Giro Lamborghini 50th Anniversary|
グランデ・ジロ・ランボルギーニ 50゚アニヴェルサリオ
ランボルギーニ50周年を祝う一大イベント 前編 (3)
5月8日―大観衆の見守るなか、いよいよスタート
5月8日、ミラノ~フォルテ・ディ・マルミ 345km
スタートは10時。ゼッケン001番の「アヴェンタドール ロードスター」には、CEOのステファン・ヴィンケルマンと技術部門の責任者マウリツィオ・レジアーニが乗り込んでいる。
002番以降は、「400GT」や「ミウラ」といった60年代の名車たちがズラリ。223番のスタートは11時半前だから、往年の名車たちのスタートシーンを存分に楽しむ。もっとも人気を集めていたのは、ひときわ獰猛なエグゾーストサウンドをまき散らしていた、「イオタ・クローン」だ。
予定より、少し遅れて、ボクたちもスタート。大観衆のなか、車名と名前を読みあげられて送り出される気分は、何とも晴れがましい。もうこれだけで、来た甲斐があったとおもったもの。
ミラノ市内をイタリア国家警察(POLIZIA)の青バイ先導で走り抜ける。文字通り、走り抜ける。なぜなら、交通ルールはほとんど無視。ランナバウトの進入や一旦停止、赤信号でためらおうものなら、警察から逆に“行け!行け!”と嗾けられる始末。
そういうシステムなら、そうと最初っから説明してくれればいいのに……いや、きっと昨日のパーティで説明があったのだろう。酔っぱらっていたから聞きそびれただけだ、たぶん。
この警察ナビ、分かりづらい市内だけかとおもいきや、高速に入ってもつづいた! しかも、がんがん飛ばしてくれる。ひょっとして、全行程、この調子でナビしてくれるの? それなら、願ったり叶ったり。コマ地図もないし、どうやって正しいルートを走ればいいのだろう、と心配していたが、まるで杞憂だった。しかも、行く先々の分かれ道に、黒い矢印も貼ってある。
とにかく、彼らのリードは速い。飛ばす。高速道路では、ゆうに200km/h以上、カントリーロードでも150km/h近くになること、しばしば。ちょっと渋滞しようものなら、青バイの誘導でセンターライン上を走り脱出、なんてこともザラ。いやはや、これは気分がいい。
8日の昼は、トレッビアリバーヴァレーの近く、ボッビオという村でランチ休憩をとる。小さくて、可愛らしくて、本当に居心地のいい村をランボルギーニが埋め尽くした。実は、この村、ランボルギーニのデザイン責任者であるフェリッポ・ペッリーニの生まれ故郷だ。
午後。山の天気はかわりやすい。小雨のあと、澄み切った空気に薄く陽光が差し込むなか、渓谷沿いの細いワインディングを、赤、青、黄、白、紫、緑……色とりどりのランボルギーニが連なって走っている。ときおり、速度があがって、咆哮が、V12とV10の重奏曲が、渓谷に木霊していた。
夕刻。予定より少しばかり遅れて、海沿いの高級リゾート、フォルテ・ディ・マルミのヴィラ、アウグストス&リゾートに到着した。その昔、フィアットのアニエッリ家が所有していた別荘である。
その夜は、ビーチでアペリティーボとアンティパストを楽しみ、海沿いの有名なシーフードリストランテ、「カンパニーナ・フランチェスキ」でディナーパーティ。
──後編へつづく