北京国際モーターショーの感想に代えて
CAR / FEATURES
2014年12月12日

北京国際モーターショーの感想に代えて

2012 Beijing International Automotive Exhibition|北京国際モーターショー 2012

北京国際モーターショーの感想に代えて

巨大エネルギーの向かう先について

4月23日から5月2日まで開催されたオートチャイナ2012こと2012年 北京国際モーターショー。若く、しかし巨大な市場である中国で現地リポーターとして活躍した大谷達也氏はなにを感じたのか。

Text & Photographs by OTANI Tatsuya

深い霧の向こうに

北京の街並みは深い靄のなかにあった。

それは視界を遮り、太陽の光を遮り、街を薄ぼんやりと浮き上がらせていた。

2年に1度、北京国際自動車ショー(以下、北京ショー)はこの街の国際空港近くに建つ中国国際展示センターで開かれる。今年が12回目で、前回にあたる2010年は合計990台の車両が展示され、観客数は78万5600人にのぼった。自動車ショーとして世界最大級の規模である。しかも、ただ規模が大きいだけではない。中国企業は言うに及ばず、日欧米の主要な自動車メーカーが勢揃いし、ロールスロイス、ベントレー、フェラーリ、ランボルギーニといった“超”高級ブランドも先を争うように出展する。北京ショーの盛況ぶりは、すでに自動車の生産台数と販売台数で世界のトップに立ち、プレミアムカーの販売台数でもアメリカを抜いて世界第一位の座につこうとしている中国市場の現在を如実に反映するものだ。

ただし、いまも急速な成長をつづける中国は、その市場としての若さゆえに、様々な部分で“荒さ”も垣間見せる。

今回はメディアデイの前日に会場を訪れるチャンスがあったが、そこはいままさに建設が進んでいる工事現場のような慌ただしさに包まれていた。その様子を見せられて、翌日から華やかな国際自動車ショーがはじまることを想像できる日本人は少ないだろう。

北京国際モーターショー2012の感想に代えて

熱狂に包まれた隣人

メディアデイ初日の会場は、昨日の混乱がまるで幻だったかのように美しく飾り付けられていたが、その片隅では、ブース脇に椅子を並べ、出展者がくつろいでいる姿をいたるところで目にした。報道陣だけに公開されるメディアデイだというのに、どう見ても一般客としかおもえないひとびとが多数詰めかけていたことも理解に苦しむ。そして詰めかけた観客は、押し合いへし合うようにしながらお目当てのクルマに一歩でも近づこうとする。その熱気に、いつもある一定の秩序のなかで暮らす日本人は軽い戸惑いを覚える。

もっとも、日本もつい20-30年前まではこんな調子だった。当時は我が国でも、混雑したなかで人とぶつかることを意に介さず、狭い入り口にわれ先にと殺到することはめずらしくなかった。それが高度経済成長時代とバブル経済を経験し、海外旅行がさしてまれなものではなくなったとき、日本にも様々な社会マナーが定着していったようにおもう。



現在の中国は、“あの頃”の日本とよく似ている。まるで身体と心の成長が釣り合わない思春期の子供のように、経済だけが急速に発展し、社会の成熟度がそれに追いつかないもどかしさ。この成長は永遠につづき、明日に備える必要などまるでないと思い込む過剰な自信。それらが生み出す強大なエネルギーに、壮年期を通り過ぎようとしている国に暮らす我々は圧倒されてしまうのだろう。

もっとも、中国という社会、そしてそこに住むひとびとは確実に成熟しつつある。収入が増えて贅沢な生活に慣れ、海外旅行に出て欧米の文化に触れるうち、荒々しさは影を潜め、洗練という言葉の本当の意味を覚える。今回も、滞在した北京市内のホテルでは、中国の方が人に道を譲り、通り過ぎる扉を後ろ手に支える様子を何度か目にした。あくまでも個人的な印象で、いたずらに敷衍すべきでないのは承知のうえだが、これまでの中国滞在中にはあまり経験しなかったことである。

いずれにせよ、中国は急速に変貌しつつある。本物のブランドの良さを知り、サステイナビリティという価値観を取り入れ、エコカーが次第に注目されるようになっている。この傾向がどこまでつづくのか、そしてどこにたどり着くのかを予想するのは難しいが、ひとつだけ確実なことがある。それは、巨大なエネルギーを発散しながら成長する隣人の影響を、我々日本人はまちがいなく受けるだろうということだ。

           
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