藤原美智子|2010年5月エッセイ「ファイリング帳は、人生の舵取り帳」
「ファイリング帳は、人生の舵取り帳」 その1
先月のこの連載で、私の“ガーデニング・ファイル”を紹介したが、やはり先月、あるテレビ番組でもファイルを紹介する機会があった。番組の内容は視聴者の人生相談に答えるというようなもので、その事前打ち合わせのときに「そういう悩みだったら、ファイリングすると思考がスッキリしていいかも」と言ったところ、「それはおもしろい。ぜひ、番組のなかで藤原さんの実際のファイリングを見せてほしい」ということで紹介することになったのである。
写真と文= 藤原美智子
ファイリングすれば、願望や思いがスッキリ・ハッキリあぶりだされる
そのときに紹介したのは、私が30代のころにファイリングしていた“スタイルファイル”。スタイルといっても、いわゆる好きな服のコーディネートというだけでなく、それを通して“こんな雰囲気の女性になりたいな”とか“こんな装いが似合う女性になりたいな”、あるいは“こんなふうな生き方をしたいな”といった類のものである。そして、それらの写真の切り抜きにキーワードを添えているのが私のファイル帳の特徴だろうか。
たとえば、前衛芸術のコレクターだったペギー・グッゲンハイムを紹介している記事には“型破れ”、となりのページには“気高さ”と書いたヌードのモデルの写真をファイルしているのだが、その記事や写真からそんな言葉が浮かんだからだし、その当時、型破れな生き方だけれども気高さが感じられるような女性に憧れていたということである。あるいは、田舎暮らしを楽しんでいるひとのインテリアを紹介している写真には“生活を楽しむゆとり”という言葉が添えてある。そのころ、あまりにも忙しくて気持ちに余裕がなかったからだし、将来はこんなふうに田舎で日常を楽しむような生活ができたらいいなという当時の私の願望があらわれているのが見てとれる。
先月の連載でも書いたが、ファイリングする良さはボンヤリとした願望や無意識層で思っていることがスッキリ・ハッキリと目の前にあぶりだされることだ。そんな効果に気づいた20代後半から30代半ば過ぎまで、私のイメージファイリングづくりはつづいた。それは、まだ自分というものが自分でハッキリとわからなかった当時の私には、航海しているときの灯台のような働きをしてくれたように思う。また、ファイリングすることで「あー、私はこんなふうな女性に憧れているんだ」「こんな生き方をしたいと思っていたんだ」などということがハッキリするのだが、それが脳にインプットされるせいだろうか、無意識にも人生の舵がそちらのほうに切られるように思う。クルマの運転をするひとならわかると思うが、視線を向けている方向に自然とハンドルは切られるものだが、まさにそんな感じ。
「ファイリング帳は、人生の舵取り帳」 その2
行動が軽やかなひとになりたい、考え方や生き方が軽やかなひとになりたい
うすうす、そうと感じていたからこそファイリングをしていたのだが、ハッキリとそれを確信したのは、じつは番組のために昔のこのファイリング帳を久し振りに開いたとき。
なぜならいま現在、下田の家でこの写真のような田舎暮らしを楽しんでいるのだから! もちろん、ファイルしたものほどすてきではないけれど、方向性は沿っているといえるだろう。良くも悪くも、イメージは多かれ少なかれ具現する──。人生というのは私たちが思うよりもシンプルなものかもしれない。
ところで、家の机の前の壁には数年前から数枚の写真の切り抜きが貼られている(写真上)。ダンサーの一瞬の動きを捉えたものだが、それを見たときに「私も、こんなふうに軽やかになりたい!」と強く思ったからだ。文字通り、行動が軽やかなひとになりたい、考え方や生き方が軽やかなひとになりたい。また、写真のダンサーのように無駄のない身体つきや、そんな身体つきにふさわしいスッキリとシンプルな思考の持ち主になりたいと思ったからだ。
──それから数年が過ぎ、果たしてその方向性に沿っている人生を歩んでいるかどうかはいまの時点ではわからない。が、いつかは「あー、あのころ、そう思っていたから、いま、こうなっているのね」などと懐かしく(悔恨ではなく!)思う日がやってきてほしいと願っている私なのである。
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