連載・藤原美智子 2015年1月|「禅」の心で掃除と食事をすると、憧れに近づく!
BEAUTY / THE EXPERTS
2015年5月11日

連載・藤原美智子 2015年1月|「禅」の心で掃除と食事をすると、憧れに近づく!

連載・藤原美智子 2015年1月|掃除や食事のとき、禅の心を意識することを忘れずに!

「禅」の心で掃除と食事をすると、憧れに近づく!

あたらしい年を迎えて、早くも(まだ?)1カ月が過ぎようとしています。今年もよろしくお願いします!
さて皆さん、新年の誓いは立てましたか? もちろん、私も立てましたよ。それは何かというと、「禅の道」です。なーんていうと、「えー!? また何を始めたの?」と驚かれちゃうかもしれませんね(笑)。でも大げさなことではなく、とっても当たり前なことなんです。

Photographs&Text by FUJIWARA Michiko

禅の所作が美しいひとをつくる?

そもそも、どうして私が「禅」などと言い出したかというと、年末、正月の休暇中に読む本をネットで探していたとき、たまたま『禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本』升野俊明著(幻冬舎)という本を見つけて、「なになに、禅の所作が美しいひとをつくるって、どういうこと?」と、タイトルに惹かれて購入したことから。そして手もとに届いた本のページをめくって、「こ、これは・・・!」とビックリ! その本には私が今まで体験したことや感じたこと、「こんな生き方をしていきたいなー」とか「こんな考え方のできるひとになりたい」などと思っている事柄が、この本には禅の教えとして書かれていたのだから!

今まで禅にかんする本を読んだことはなかったけれど、私は知らず知らずのうちに禅の道(大げさですが)を目指していたということになるのだろうか……。それを確認しようと思っていたら、いつの間にか写真に写っているように、禅の本を6冊も買い込んでいたというわけ(結局、正月前に全部、読み終えてしまったんですけれど)。

私の憧れと、禅の本に書かれていたこと

ところで、今まで私が禅的な生き方にどれだけ憧れているかは、この連載の下記の過去記事や、最近の私の著書を読んでもらうとわかってもらえるだろうか。
'12.4 「カーヴィを突き詰めたら、‘粗食・小食’なひとに近づいてきた!?」
'12.6「朝型生活で人生を変えよう!」
'12.8「ファスティングで傷回復とデトックス!」
'13.6「“食”からシンプルな生き方について考える」
'14.1「瞑想は大いなるアンチエイジング!?」
'14.3「断酒と抗糖化と願望、叶うのはどれ?」
'14.5「大人の女性が輝くためののホリスティック美容」
'14.8「“セロトニン呼吸法”でアンチエイジングと幸福感をアップ!」
著書『美しい朝で人生を変える』(幻冬舎)
著書『大人の女は、こうして輝く。』(KKベストセラーズ)
著書『美の宿るところ』(幻冬舎)

そして私が購入した6冊の禅の本で、似たようなテーマで書かれている箇所を挙げてみると、こんなこと。
・早起きして縁起よく一日を始める
・お腹いっぱい食べない
・正しい呼吸は、まず「吐ききる」
・時間に使われず、時間を使う
・不用なものを捨てることで、自由になる
・なぜ座るのか?――「成果を期待しない」という境地へ
・SNSを使う前に「本当に必要なのか」を自問する
・あなたの部屋は、あなたの心を映す鏡
・相手の長所に目を向ける
・「夜は心配事はしない」という習慣をつける

禅では「一掃除、ニ信心」

「禅」というと何やら特別なものと思っていたけれど、これらの本を読んで禅というのはひととして当たり前で普遍的なことを説かれているのだと知ったし、私がとくに感銘を受けたのも「掃除」についてのこと。何しろ、禅では「一掃除、ニ信心」というぐらい、日々の掃除に真剣に取り組むのは、どんな修行にもまさる。そして、「見えない場所」こそきれいにすることが大事と説かれている。

――掃除をする際には「ひとが嫌がるところ」や「ひとから見えないところ」こそ、自分の心が写ると考えて、心して掃除を。とことんつづけていくうちに、掃除に限らずあらゆる行動に、その心がけがあらわれてくるはずです。
『「雑巾がけ」から始まる 禅が教えるほんものの生活力』より抜粋

「掃除」とはどういうことなのかが少しわかった!

ちょうど、この部分を読んだのは年末の大掃除を始めたころ。「ここは、しなくてもいいか~」と、いつもはパスする辺りを掃除をしているときに「見えないところこそ」というフレーズが浮かんできて、「そう、そう。それが大事」と自分に言い聞かせながら、見えないところも見えるところもおなじような気持ちで掃除をし終えて、部屋全体を見回してみると……。なんかいつもと違う! 言葉にあらわすとしたら、「静謐な空気が漂っている」と感じだろうか。それを見ている自分も清々しい気分で満たされている。そのときに、初めて「掃除」とはどういうことなのかが少しわかったような気がする。それ以来、「ここは、しなくてもいいか~」という気持ちが湧いてきたら、「見えないところこそ」というフレーズで打ち消して掃除に勤しむようになった。

もう一つ、「これは習慣にしたい!」と思ったことがある。それは「美しく食べる」こと。

――禅の修行は行住座臥すべてに及びます。歩くこと(行)、とどまること(住)、座ること(座)、寝ること(臥)の一切合切。つまり、日常生活のあらゆるふるまい、すべての所作が修行だと考えるのです。もちろん、食事をつくることも、食事をいただくことも、修行です。
『禅と食「生きる」を整える』より抜粋

命を支える食事をするからこそ、修行をすることもできる。そして一つの食材もたくさんのひとの労力と縁があったからこそ今、目の前にある。そうした縁によって私たちは生かされている。そう考えたら心を込めて食事をつくる気にもなるし、有り難くいただくようにもなる。また、そうした心でいただくならば、食べる所作も自ずと丁寧になるし、美しくなる――

禅の教えで「粗食・小食に満足できる自分」に近づける!

また、本には具体的な美しい箸の持ち方や、器の持ち方なども書かれている。たとえば、器は親指と人差し指、中指の3本で持つと、所作に“品格”が出るらしい。たしかに、このように持つと、なぜか背中までスッと伸びるから不思議。そして禅の所作どおりに箸を一口ごとに置いて、味わいながら噛んでいると優雅な気持ちになってくる。それに何故だか、満たされた気分にもなってくる。美味しさそのもので満たされることはあっても、食べ方で満たされた気分になるなんて……。

こんなふうに食べ方次第で優雅にも満たされたりもするならば、キチンと食べものに向き合い、深く味わい尽くすように食べたほうが良いに決まっている。それに、このような食べ方をすると腹7分目でも満足感が得られる。……ということは、私がズーッと憧れている「粗食・小食に満足できる自分」には、禅の教えを守ると近づけるということだ!

本当は今年の目標は違うものにしていたけれど、このような経緯から急遽、“掃除と食で、「禅の道」”に変更。考えていた目標は、禅を追求しているうちに達成できそうなのでリストから外すことに。とりあえず今は、毎回の掃除や毎食の食事のときに、禅の心を意識することを忘れずに(3回に2回は忘れているのだが)、身体と心に染み込ませて習慣にしようと四苦八苦しているところである。

           
Photo Gallery