世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)
Beauty
2015年3月11日

世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)

THE STORY OF TRUEFITT&HILL
世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)

スタッフ100名を抱えるトゥルフィット&ヒルの繁栄と栄光

世界最古の理髪店「トゥルフィット&ヒル」の歴史は、1805年にはじまった。正式に日本初登場となるトゥルフィット&ヒルの輝ける歴史の2回目は、20世紀を詳細に紹介します。

1905年、100周年を店舗で祝う

19世紀に撮影された写真は、当時の男らしさや女性らしさをいまに伝えている。洋服の生地には、それまでよりカラフルなものが用いられるようになり、魅力的な表現力に富む時代を迎えた。

また当時の素晴らしいアイテムがトゥルフィットのアーカイブから発見された。それは豊かにデコレーションされた陶器のポットや小箱といったもので、古くからトゥルフィットの顧客が所有していたもの。器の中にはトゥルフィットのポマードや整髪料と、トゥルフィットの職人がハンドメイドでこしらえた美しいレザー、そして限定版であることが記されたラベルが丁寧に押された香水が、革で重厚に装丁されたボックスに収められていた。それ以外にもボンドストリートの『トワレクラブ』のメンバーチケットがあり、これは近くからクラブを訪れるさいにタクシードライバーに手わたすためのチケットとして、1枚あたり2シリング分の役割を兼ねていた。『トワレクラブ』の壁にはエントランスの本棚と同様に、当時の様子を丁寧に描いた手彫りの青銅のプレートがあり、その長い歴史と風格を感じさせてくれる。

1905年、100周年をオールドボンドストリート13、14番地の店舗で迎えた。3階建ての立派な店舗であり、床面積は周囲の平均より約3倍も大きく、表通りから見ても優に2店舗分の構えを持つ堂々たるもの。その時代になってH.P.トゥルフィットの息子、ウォルターが4代目として舵取りをはじめ、1911年にはニューボンドストリート1番地の店を閉めることに決めた。

THE STORY OF TRUEFITT&HILL<br>世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)<br><br><br>スタッフ100名を抱えるトゥルフィット&ヒルの繁栄と栄光

バーバーチェア

英国王室とのつながりは古く、ジョージ3世、4世御用達のウィッグメーカーであったことまで遡る。つぎにヘアドレッシング、ヘアカットのサービスと香水をウィリアム4世とクイーンビクトリアに提供。1900年初頭に足治療の第一人者であるサリーMBOが入社し、以後55年間トゥルフィットのスタッフとして勤めあげた。サリーが在籍した時代にはジョージ5、6世、クイーンエリザベス、クイーンエリザベス2世、ウインザー公、マーガレット王妃にサービスを供した。

サリーの評判は素晴らしく、彼のもとにはバルモラル宮殿への招待状が届き、ロイヤルファミリーのゲストとして毎年4週間の休暇を宮殿で過ごしたとの記録が残っているほど。時にはロイヤルファミリーに同行し教会に向かい、ロイヤルバール(バレエ)にもゲストとして頻繁に招かれ、とくにクイーンエリザベス2世と行動をともにした記録が多く残っている。

トゥルフィットのスタッフはサリーから届くポストカード、ロイヤルファミリーにまつわる情報やエピソードを心待ちにしていた。その親しい関係をあらわすものとして、バルモラル宮殿での舞踏会の後に、サリーがクイーンエリザベスに苦言を申し立てたというエピソードが伝えられている。女王が舞踏会の後に足が疲れてしまうことをサリーに告げると、足治療の専門家であるサリーはこう答えた。「あなたの足に問題があるわけではありません女王様。あなたがお召しになっている真新しいハイファッションな靴が問題なのです」と。クイーンエリザベスはこのコメントに頬を緩めながらもこう言われた。「サリー、あなたはファッションについて何もわかってませんね。多少窮屈であったとしてもハイフッションな靴を履くことが大事なのです」。

トゥルフィットを愛するクライアントたち

トゥルフィットのクライアントは、スタッフのリクルートにも重要な役割を果たしてきた。顧客がトゥルフィットにふさわしいスタッフを連れてくることがあったのだ。たとえば、あるトゥルフィットのお得意様がハロッズの香水コーナーを訪れたとき、そこにとても素敵な若い女性スタッフを見つけ、控えめな口調で彼女にこう言った。「あなたのような美しい女性はトゥルフィットで働くべきです。あそこなら私もあなたに頻繁に会うことができる」。

THE STORY OF TRUEFITT&HILL<br>世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)<br><br><br>スタッフ100名を抱えるトゥルフィット&ヒルの繁栄と栄光

ジョージ5世とロシアのニコライ2世

その女性の名はクリスティーン・ドルー。1911年にトゥルフィットに入社し、その後62年間勤めあげた。顧客はもちろんスタッフにも彼女のファンが多く、ベスト・マニュキュアリストの一人。ショップの営業が終わると彼女のために店の前にリムジンが停まっており、華やかなパーティーに招かれることも珍しいことではなかった。彼女は華やかな社交界には欠かせない人物になっていたのだ。またトゥルフィットのお得意様のひとりが、彼女への感謝の印として、チェルシーのキャセイウォークになんと家をプレゼントしたこともあった。そのお客様は彼女のアシストのかいがあって爪をかむ癖を克服することができたが、どうやって彼女がそれをやめさせたのかは秘密のままとなっている。

彼女の仕事は国王ジョージ5世の指名を受けるほどになり、国王の従兄弟にあたるニコライ2世もロンドンを訪れるさいには、ヨーロッパの王室関係者や貴族と同様にトゥルフィットをたずね、必ず彼女のサービスを受けた。

タイタニック号の沈没とともに……

トゥルフィットにまつわる逸話は枚挙にいとまがない。歴史的な悲劇にもつながりがある。それは1912年の豪華客船、タイタニック号の沈没。トゥルフィットも何万人もの顧客を亡くし、後の海底調査ではトゥルフィットの製品が大量に発見された。タイタニックから引き上げられた容器の一部は、現在もニューヨークと英国グリニッジの国立海洋博物館に展示されている。

1916年4月29日、ウォルター・トゥルフィット・チャリティー・フォー・ヘアドレッサーズが設立された。この基金は引退した理髪士の年金享受を支援する中間的機関として存在し、現代もチャリティーグループとして重責を担っている。この補助を受ける資格者は、政府から援助を得ていない高齢者とハンディキャップを持つ理髪士というだけでなく、その人柄も審査の対象となった。ウォルター・トゥルフィット基金への申請をする条件とは、理髪士、元理髪士、理髪士の妻でありイギリス在住であることなどが挙げられる。

1935年、ウォルター・トゥルフィットは、1911年創業のエドウィン・ヒルによる理髪店を買収・合併する。オールドボンドストリート23番地にあり、H.P.トゥルフィットLTDが1935年にその住所に移動、そこが社名をトゥルフィット&ヒルに改め、新たな船出となった。その後、各支店も1941年にトゥルフィット&ヒルに改められた。

戦時中から戦後のトゥルフィット&ヒル

トゥルフィット&ヒルは、ロンドンのウィンドミル劇場と共通する頑固なポリシーをもっている。トゥルフィット&ヒルは、第二次世界大戦のロンドン大空襲の際も店を閉めることはなかった。敵軍の爆弾が店舗を直撃しても、バーントンガーデンの仮店舗で営業を続けたのだ。トゥルフィットのサービスを目当てにボンドストリートを訪れるジェントルマンは、仮店舗に案内されたので、戦時中も端正な身だしなみを崩すことはなかった。

当時のトゥルフィット&ヒルは闘志を内に秘めた軍人や政治家が訪れる場所であり、パイロットが戦闘機に乗る前に立ち寄る場所にもなっていた。そんなトゥルフィット&ヒルも唯一営業を取りやめたことがある。それは顧客であった英国の伝説的政治家であり偉大な作家である、チャーチルの喪に服すためだった。

世界大戦中であってもトゥルフィット&ヒルのフレグランスは何ひとつ変えず製造された。香水師のルトランドが多くの原料からエッセンスを抽出し、自宅の地下室にて調合が行なわれていた。ルトランドは1895年からT&Hに勤務し、その後66年勤めあげた。そのノウハウはジョイス女史に受け継がれ、彼女自身もその後、香水師として名声を得た。

1948年、トゥルフィット&ヒルは繁盛をきわめ、スタッフは100人以上に達した。スタッフの内訳は理髪士55名、マニキュアリスト12人、それ以外にもマネージャー、アシスタントマネージャー、相談役、掃除担当、メンテナンス担当、フロント、経理、会計、ポストボーイ、在庫担当などに分かれていた。トゥルフィットは長きに渡ってヘアドレッシングの世界に貢献してきた。1952年、トゥルフィット&ヒルの会長だったER・デフォーが、ヘアドレッサーベネバラント基金の会長に就任。その前代の会長はヘンリー・ポール・トゥルフィットであった。

THE STORY OF TRUEFITT&HILL<br>世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)<br><br><br>スタッフ100名を抱えるトゥルフィット&ヒルの繁栄と栄光

ウインストン・チャーチル

トゥルフィット&ヒル、150周年を祝う

1955年10月28日の金曜日、150周年を祝う祝賀会がピカデリーのクリテリオンレストランで執り行なわれ、記念のプレートが発表された。モンゴメリー将軍の手によってお披露目され、彼はこう語ったと伝えられている。「つぎの150周年のプレートを私が披露するのは難しいかもしれないが、少なくとも自分自身が地獄に落ちていないことを願っているよ」。

150周年祝賀会のディナー招待状

スピーチをするモンゴメリー将軍

モンゴメリー将軍はかねてからトゥルフィット&ヒルの顧客であり、陸軍士官学校に所属する時代からの間柄である。北アフリカの軍事作戦が成功した後、彼は新しいヘアブラシが必要になり、トゥルフィットにドイツ製戦闘機のプロペラを素材として送り、これを使って将軍自身とアイゼンハウワー最高指揮官のためにヘアブラシの製作を依頼した。

まさにヨーロッパへの侵略が始まるその前日に将軍は特注のヘアブラシを受け取り、トゥルフィット&ヒルの納品書にサインをして送り返し、こう答えたと伝えられている。「(ヒットラーの存在を無視してでも)これをベルリンまで持っていくよ」。

大戦が終焉に近づいたころ、モンゴメリー将軍はトゥルフィット&ヒルを訪れ、ER・デフォーにこう質問された。「将軍がベルリンを訪れることには、私は驚きません。しかしブラシを受け取ったのが侵略の前日なのに、よく納品書にサインをする余裕がありましたね」。「特別に良いヘアブラシだったし、その前に準備をしてあったからね」と将軍。

その後、将軍が来店したさいには、サリーやドルー、ウッドランドといったベテランスタッフの勤続に敬意と感謝の気持ちをこめプレゼントを手渡した。

英国を代表する8軒の老舗たち

その長い歴史のなかで、トゥルフィット&ヒルは英国のロイヤルファミリー、貴族、そしてジェントルマンにサービスを供してきた。そして200年以上も英国王室御用達の理髪店としてあり続けている。ロイヤルワラントは信頼の証でもある。トゥルフィット&ヒルの名声は大西洋を超え、北米にも轟いていた。NYタイムズ紙で取り上げられた記事の切り抜きが、シカゴのドレイクホテルに勤めていたある理髪士の目に止まった。それがきっかけとなり、ある日彼はロンドンの店を訪れ、トロントでT&Hの支店を出したいと直談判に来たのだ。

THE STORY OF TRUEFITT&HILL<br>世界最古の理髪店の歴史(その2/20世紀編)<br><br><br>スタッフ100名を抱えるトゥルフィット&ヒルの繁栄と栄光

現在のトゥルフィット&ヒル

1993年、トルフィット&ヒルはセントジェームズストリートに店舗を移転する。紳士用品の老舗が軒を連ねるセントジェームズストリートはその名声だけでなく、パレスにもほど近く、ホワイトブルックス、ブードルズといった古くからのジェントルマンズクラブが点在し、ジェントルマンの聖地(クラブランド)の中心的な場所であり続けている。またセントジェームズパレスにも近く、同時にロンドンのクラフトマンシップの中心地でもある。通りの南側には8軒の老舗が集まっている。靴のジョン ロブ、帽子のジェームズロック、薬局のDRハリス、銃砲のウイリアム・エバンス、世界最古の葉巻商ジェームズJフォックスとロバート・ルイス、そしてワイン商のベリーブロス&ラッドとジャステリーニ&ブルックス。その歴史を足すと1700年にもなる。

トゥルフィット&ヒルの190周年を祝うパーティーは、その華麗なる顧客を証明するかのように素晴らしいものだった。クイーンエリザベスと皇太后クラレンスハウス、セントジェームスパレス、エジンバラ公、アンドルー王子といったロイヤルファミリーから、上院議員、下院議員からもメッセージカードが届いた。

このプレステージは何世代も信頼を構築してきた歴史の連なりによって形成されるものに他ならない。現在の英国王室とのつながりは、理髪士のデニスとウインディーがバッキンガム宮殿やウインザー城を訪れ、エジンバラ公にサービスを提供している。トゥルフィットのポリシーには顧客の自宅を訪ねサービスを供することは含まれていない。しかしながらエジンバラ公だけは例外を認めている。もちろんエジンバラ公以外の王室関係者は、セントジェームスへ来店をお願いしている。

トゥルフィット&ヒル

           
Photo Gallery