アルファロメオ・ミト 試乗(前編)|アルファらしいコンパクト
ALFA ROMEO MiTo|アルファロメオ・ミト 試乗(前編)
アルファらしいコンパクト
小動物を思わせるキュートなデザインで話題を呼んでいるアルファロメオのコンパクト2ドアハッチバック「MiTo(ミト)」。日本への導入がはじまった同車に、自動車ジャーナリスト、小川フミオが試乗した。
文=小川フミオ写真=荒川正幸
ミラノ+トリノ=ミト
アルファロメオのなかでももっともコンパクトな2ドアハッチバックの新型車「MiTo(ミト)」がさる4月2日より日本で発売された。エンジンはインタークーラー付きターボチャージャーを備えた1.4リッター4気筒。6段マニュアルトランスミッションのみとなる。価格は285万円。
MiToとは少し変わったネーミングだけれど、これはダブルミーニング。ひとつはイタリア語で神話の意味で、もうひとつはMi(ミラノ)+To(トリノ)。ミラノはアレーゼにあるチェントロスティーレ(デザインセンター)でデザインされ、トリノの本社工場で生産されるため、この名前がついたそうだ。
7つのエアバッグをはじめ、衝突時のむち打ち防止のためのアクティブヘッドレストなど、安全装備が充実しているいっぽう、ドライビングプレジャー、運転する喜びを謳うのが、アルファロメオらしい。ターボが効きはじめるまでのパワー不足感、いわゆるターボラグの解消をめざして慣性質量の小さなタービンインペラーを採用しアクセルペダルへのすばやい反応を追求している。
注目の新技術「アルファロメオD.N.A.システム」
もうひとつ注目すべき新技術が「アルファロメオD.N.A.システム」。Dはダイナミック、Nはノーマル、Aはオールウェザー(全天候)を意味し、センターコンソールのスイッチでたとえばDを選択すると、ターボチャージャーのオーバーブースト機能が働き、パワーアップする。具体的には、トルクがノーマルの20.5kgm/5000rpmから23.5kgm/3000rpmに増大し、同時にパワーステアリングのアシスト量が減る。
MiToには、ブレーキやエンジンパワーの制御などでコーナリング時の安全性を確保するVDC(ビークルダイナミクスコントロール)という機構が備わるが、「アルファロメオD.N.A.システム」でDモードが選ばれるとその介入タイミングが少し遅れるようになり、スポーティな動きを堪能できる。
撮影協力|アルベルゴ バンブー Tel. 0460-84-3311
BRAND HISTORY
セダンからオープンスポーツまで、洒落たイタリアンデザインとスポーティな走りにより、日本でも圧倒的な人気を誇るALFA ROMEO(アルファ ロメオ)。1910年、イタリアの企業家たちが、ミラノにあったフランスのダラック社の自動車組立工場を買い取り、設立したのがA.L.F.A社である。A.L.F.Aは“Anonima Lombarda Fabbrica Automobil”の頭文字からなる名前であり、“ロンバルディア自動車製造会社”を意味する。
すぐに独自モデルの「24HP」を投入したA.L.F.Aは、レースへの参戦も果たし、スポーツカーメーカーとしての頭角を表しはじめるが、財務状況は芳しくなく、1915年には経営陣が大きく変わることに。このとき主導権を握るのが、実業家であるニコラ・ロメオであった。1918年には社名をニコラ・ロメオ有限会社と改め、第一次大戦後の1920年にはアルファ ロメオのエンブレムを掲げた初のモデル「Torpedo 20-30」が発売されている。
1922年には本格的なスポーツモデルである「RL」を投入。23年のタルガフローリオでは1-2フィニッシュを飾り、アルファ ロメオの名を世に知らしめる結果となる。そして同じ1923年にはレーシングカーの「P1」を開発、搭載される1990ccの6気筒にはすでにDOHCが採用され、以後、DOHCはアルファ ロメオを特徴づける技術となった。しかし、P1そのものは失敗。そこでアルファ ロメオは天才技術者のヴィットリオ・ヤーノをフィアットから引き抜き、グランプリカーの「P2」を開発、レースの歴史に輝かしい足跡を残すことになる。
第二次大戦後は量産車メーカーに転身し、1954年の「ジュリエッタ・スプリント」、1962年の「ジュリア」など、アルファ ロメオを代表するモデルを発売。1986年にフィアット傘下に収まったあとは、「アルファ156」や「アルファ145」「アルファ147」といったモデルが日本でもヒットし、アルファ ロメオの人気はますます高まりを見せている。