第7回 「キネマ旬報」編集長と、映画「パフューム」を語る 3
第7回 「キネマ旬報」編集長と、映画「パフューム」を語る 3
text by NAKANO Kaoriphoto by TATSUNO RinSPECIAL THANKS:GAGA COMMUNICATIONS INC.
香りと記憶
中野 関口さんは、なにか香水にまつわる思い出をお持ちですか?
関口 この前、タクシーに乗ったら、運転手さんが「半年前、ここからここまで、乗ったでしょ?」っていうんですよ。どうして覚えてるのかって聞いたら、「その香り」って。バックミラー越しに(笑)。
中野 何をお使いだったんですか?
関口 「ロー・ド・イッセイ」です。多くの人が使ってるポピュラーな香水でしょう? だからわたしがよほどなにか運転手さんの印象に残るようなことをしたのかなって、ただただ、おそろしくって(笑)。
中野 うしろも見ないで、「その香り」(笑)。たしかに、ことばなんかだと、細部を忘れてしまうことも多いけど、においは、時間がたっても、そっくりそのまま情報が再現されますよね。
関口 香りって、刻みつけられるように記憶に残るもんなんだな、と。
中野 逆に香りによって、自分の存在を他人の記憶に刻みつけようとする人もいますよね。
担当編集者マコトくん 作家のE.Yさんはそれで有名ですよ。遠くのほうから「プワゾン」がにおってきたら、「あっ、来る!」ってみんなそわそわする(笑)。
中野 そのレベルまでいけたら、あっぱれですね。私などはせいぜい、便箋に署名代わりにひとしずく…。
関口 郵便が配達されると「あっ、中野さんからの請求書が来る」ってわかる、みたいな(笑)。
パフューム至上主義の、パフュームそのもののような映画
担当編集者マコトくん この映画は、たしかに大作ではあるんですけど、ほんとうに特殊なストーリーなので、観客の反応っていうのが、想像できないんです。どうでしょう、一般の観客にはどんな受け止め方をされると思われますか?
中野 役者の演技はすばらしい、衣装も完璧、音楽は最高、映像には一ミリの無駄もない。みごとにパーフェクトな映画なんですよね。
関口 ただ、それで涙を流したわけではないし、大笑いしたわけでもない、スカッとするわけでもないし、ありがたい教訓を得られるわけでもない。
中野 香水と同じ、接している間は、わけもわからず、うわーっと感情をゆさぶられて。で、なにが起こったのかよくわからないまま、白日夢を見たかのように映画館の外をさまよう(笑)。
関口 観てすぐの段階では、消化不良のままだと思うんですよ。今、自分が感じたのはいったいどういう感情か、定義できないまま、すっきりしない。その分、ずーっとひきずっていて、ことあるごとに映画のことを思い出す。日々の記憶の中に残ってあとあとまで考えさせられる、そんな映画かもしれませんね。
中野 まさしく、極上の香水と同じ効果。
関口 冒頭のシーンから、ああいうどんでん返しがあって、さらに自分の末路の決着がこうくるか…っていう驚きがすごく大きかったんですよ。何の予備知識もなかったので、もうただびっくり。メルヘンのような終わり方をしているので、観た人の考えも、多岐にわたるんでしょうね。
中野 観客は、ローラが殺されるかどうか、ってところで、助かってほしいと思って観てるんでしょうか?それとも、殺されるのを期待してるんでしょうか?
関口 そりゃ当然、天才は任務をまっとうしてほしいと思いながら観てますよね。ローラを殺して仕事をコンプリートしてほしい、と。
中野 観客にそういう風に思わせた時点で、監督の勝ちですよね。この映画のなかでは、主人公は俗世間の善悪の基準をはるかに超越したところに生きていて、殺人が「罪になってない」。においの天才が完璧な香水を作る、という天才の任務の前には、殺人さえ「罪にならない」。そういう、香水至上主義映画としても見ることができる。
関口 原作者はドイツ人でしたっけ? ティクヴァもドイツ人ですよね。
中野 ドイツ人と香水。考えてみれば相性のよさそうな組み合わせではないですよね。偏見、入ってますが(笑)。
関口 芸術のためなら殺しもいとわず、というようなフランス的芸術至上主義に、フランスに対するドイツ的な憧れも感じるんですよ。
中野 1本の映画でこれだけ多くのことを語れる映画も少ないですね。「泣いた」とか「感動した」とかの単純な感想を許さない、それだけ複雑きわまりない、奥の深い映画っていうことでしょうか。その意味ではほんとうに、おさまりのいい説明を許さない極上の香水そのものと似ています。
(この項、了)
「パフューム ある人殺しの物語」
3月3日(土)サロンパスルーブル丸の内ほか全国松竹・東急系にてロードショー