Vol.2 中山 英之 インタビュー
DESIGN / FEATURES
2015年3月16日

Vol.2 中山 英之 インタビュー

Vol.2 中山英之インタビュー

夢見る建築の未来

多様な価値観が共存する現代において、建築家のたち位置とはどこにあるのか? 中山英之氏が手がける、感覚的にとぎ澄まされたその建築は、人間の感性という"はかないもの"を、人が暮らすための住宅に落とし込んだ、繊細さといきいきとしたファンタジーに満ちている。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

──建築との出会いを教えてください

『遊びの博物誌』というすごく好きな本があります。坂根厳夫さんという方が新聞に連載していた、古今東西の不思議なおもちゃとか、ちょっと科学的なトリックを使ったアートを紹介する記事をまとめられた、1970年代の本です。はじめはたしか、親が図書館で借りて来てくれたんです。それをすごく気に入ってしまって、結局買ってもらいました。小学生の頃です。

──どのようなことが書かれている本なのですか?

たとえば天板が「スーパー楕円」という形をしたテーブルの写真が載っているのですが、このテーブルを使うと「レストランの面積が15%節約できる」と書いてあります。この形は、建築家に駅前ロータリーの設計を相談されたピート・ハインという物理学者が、丸と四角の中間の方程式を使って見事な解答を示したことから生まれた、なんて逸話も一緒に紹介されています。丸と四角のあいだ、という謎めいた響きに、何ともいえない不思議な印象を受けました。
他にも、この本を通じて憶えてしまったおかしな横文字はたくさんあります。「ホログラフィ」とか、「メタモルフォーゼ」とか。人物では、ピート・ハインなんてその後一度も別の本でお目に掛かることはありませんでしたが、たとえばチャールズ・イームズも登場しています。おかげで、彼は僕にとって長らく「世界中のコマをコレクションして映画にした人」だったんです。

家具デザイナーとしてのイームズと再会するのは、それからずっと時間が過ぎて予備校生になった頃です。ある日洋書屋さんで、黄色いリングで綴じられたとても綺麗な椅子の写真集を見つけました。その本のなかで、「あ、これいいな」と思う椅子に限ってCharles&Ray Eamesとあります。「このエアメス兄弟って凄いな」っていうところから家具デザインへの興味に火がついて、すぐにそれが「イームズ」と発音し、兄弟ではなく夫妻であることを知りました。彼らはただの家具デザイナーではありませんでした。建築、おもちゃ、写真、そして映画。大学生になってすぐ、結局僕は家具屋さんでバイトをはじめたんですが、そのお店ではじめてあのコマの映画をVHSでみました。スーパー楕円をテーブルにしたのは、アルネ・ヤコブセンであることを知ったのもこの頃です。

──それらがどのように建築につながっていったのでしょうか?

建築家を職業として意識するようになった直接のきっかけは、家の近所にGAギャラリーという建築専門書店(注|東京千駄ヶ谷にある建築専門のギャラリー&ブックショップ)があったことが大きいのですが、建築家というよりも、テーブルの形を物理学者(ピート・ハインは詩人でもある)が発明していたり、家具デザイナーがコマの映画を撮ったり、そういう多様な人間像に対する憧れみたいなものを、あの本によって植え付けられたような気がします。

──現代において、そのような多様さこそが必要な気がするのですが、今や失われてしまったコトのような気もします。

ですから、ある時代を生きていたとある人物が、同じ時代にあったいろいろなものに触れながら考えたり何かをつくったりすることによって、単純な切断面としてではない感覚や、その時代の生活の風景のようなものが、なんだか得体の知れない謎めいた塊になってこちらに迫ってくるような、そういう複雑な人間像が、僕にとっての理想的な建築家なのかもしれません。例えば私たちが1920年代を想像する時のように、いつか2000年代も思い出されたりするわけですから。

個人邸「2004」について

──独立されて最初に手がけた住宅「2004」はどのような経緯で生まれたのですか?

伊東豊雄さんの事務所に8年間在籍していたのですが、そこで最後に担当させてもらったのが、多摩美術大学の新しい図書館でした。そのひとつ前の仕事を終える頃に、独立をはやる気持ちや色々な出会いが重なって、小さな住宅を個人的に設計することを特別に許してもらいながら、同時にこの図書館の仕事を担当することになったんです。
スタッフをひとり捜して、伊東事務所のそばに小さな部屋を借り、そこに夜中と週末だけ通うような生活がはじまりました。スタッフといっても、春に大学院を出たばかりです。僕はほとんどの時間を図書館の仕事に費やしていたわけですし、実は住宅の設計なんて一度もやったことがありませんでした。そんなメンバーで普通にやっていても、新しいことなんてできるわけないですよね。それで、どうせ知らないのだから、いっそのこと「住宅とはこういうものだ」というようなことは考えずにつくっていこう、ということにしました。知らないなりに、自分たちで決めた理由や意味をきちんとひとつずつ納得しながら設計すれば、新しくて、でも自然なものができていくんじゃないか、というような事をはじめに話し合いました。

それで、全体像からつくっていくのではなく、自分たちでも想像ができる机とか椅子とかコップとか、窓だったら目の前にある草とか、そういうものにストーリーをのせて考えていくことをはじめたんです。形より先にシーンがあるわけですから、手っ取り早い方法として、コピー用紙に色鉛筆とかシャープペンで絵を書くようなことが多くなっていって、それをスタッフが強引に模型に翻訳していくような作業です。パースペクティブやスケール感がでたらめな絵を模型にすると、自分では全く想像していないような空間の結びつきが生まれていたり、ぜんぜんつじつまが合っていないところがあったり、誰がつくったのかよく分からないような形が生まれます。話がつながらないような形が出来てしまってもあまり気にしないで、また全く別のつくり話を考えてつなげていく。そうやって形が決まっていきました。

──生活のシーンをイメージしていくなかから全体が生まれてきた、という感じですか?

そこが少し微妙なんです。スケッチにはかなり具体的なシーンが描かれていたりしますが、住んでいる人に「こう使ってください」となってしまうのは、とても嫌です。自分たちが形について考えたときに、ここまでは思いついた、ということをあくまでも書き留めている程度なんです。
だからスケッチに具体的な「物」が描かれていても、それが細かいところまで生活をシミュレーションして、全部が首尾よくうまくいくようにつくっていった、というわけではありません。どちらかというとスケッチに描かれている世界はかなり抽象的なものなんだけど、人がそこで何かを思いついた瞬間に空間の形にフォーカスが合って、その人がそれをやめてしまったり変えてしまった瞬間に空間そのものが消えてしまうというか、ピンぼけしてしまうような、何か流動的なものだと思っています。

例えば、眼鏡をひとつ描けば、白い紙には眼鏡が置かれた水平面が見えてきますよね。そこで考えているのは、ここに眼鏡を置いて下さいってことではなくて、眼鏡を置いたとたんに、何もない空間に水平面やスケール感が見えてくるようなことです。だから、どちらかというとスケッチに描かれているものは、無くなるもの、無くなってもいいものと思っているところがあります。けれどそれがあるおかげで空間があることがなんとか判るような。

──スケッチに描かれたオブジェがあることによって、かろうじて空間がわかるくらいの曖昧さ、ということですね

そうです。同時に、これはちょっといままでの話とは矛盾するかもしれませんが、形式的な物に対する興味というのもけっこうあります。以前は、建築家は完全に抽象的なものをつくることによって、そこで自由な発想を抱いてくれる誰かをサポートしているんだっていう風に考えていました。でも、例えば楽屋口からお客さんを入れる、というような変わった演出をした舞台があって、そういう時のドキドキする感じって、劇場には劇場の形式がハッキリとあるからこそ得られる感覚ですよね。

どう使ってもいいです、というような、方向性や形式性が極端に曖昧な箱をつくっても、そういう感じは生まれません。皆が形式的なことだって思っている事とそれを形式だと思わない視点が、同時に生まれるようなところにある物が、実はかなりユニバーサルな物なんじゃないかと。
だから、完璧な抽象世界をつくるというわけでもなくて、絵に描けるような具体性と絵に描けないような多様なものとが感覚的に混ざりあったような状態を、自然につくれるような方法が見つかればいいなと思います。

──東京に暮らす建築家として、「東京という都市に建築を行っていく」ことに対してどのようにお考えですか?

答えになるか分かりませんが、つくることと選ぶことって、なんか同じかな、と思うことが多いです。建築っていうと、全部を1からつくるっていう感じがするけれど、東京にはいろいろなものが既にたくさんある。だから、「つくる」と「選ぶ」の中間ぐらいにある住み方が出来るといいな、と思います。たとえば既存の建物の改装というのは、まさに「選ぶ」ことと「つくる」ことが半々になっているので、すごく都市らしい感じがします。さっきの劇場の話のように、正面玄関から入るのと楽屋口から入るのでは全然感じ方が違うようなことが、建物の改装ではたくさん起こりますよね。土地を買って新築するような場合にも、もしかしたらつくっている感じと選んでいる感じというのが同時に生まれてくるような、そういう都市らしい住み方やつくり方というのはある気がします。

──東京という都市と結びつけて、その多様さを考えると、何か具体的な人間像が見えてきそうですね

物理学者であり詩人でもある人物が、「丸と四角のあいだ」なんて、ちょっと詩のような思いつきに数式を与えたように、そういう多様で複雑な人間像が、現代でないと思いつかなかったようなつくり方、考え方、組み合わせ方を試行錯誤することで、うまく説明はできないけれど"誰にでも理解はできる、ある年代の風景のようなもの"をつくることに繋がっていくんじゃないかなと思っています。

中山英之

1972年 福岡生まれ
1998年 東京芸術大学建築学科卒業
2000年 東京芸術大学建築学科大学院修了
2000年 伊東豊雄建築設計事務所勤務
2006年 hideyuki nakayama architecture設立

           
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