伊藤嶺花 × 坂口恭平|スピリチュアル対談(前編)
Lounge
2015年3月4日

伊藤嶺花 × 坂口恭平|スピリチュアル対談(前編)

スピリチュアル対談 Vol.14|坂口恭平

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「慈愛にあふれる社会の実現を使命とする、ピースメーカー」(前編)

さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解く「リーディング」と複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去生や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなか表に出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。

Photographs by KADOI Tomo

Text by TANAKA Junko (OPENERS)

第14回目のゲストは、建築家、アーティスト、作家……とさまざまな肩書きをもつ坂口恭平さん。あるときは、“建てない建築家”として、またあるときは、熊本市に開設した「ゼロセンター」を拠点とする独立国家の“初代内閣総理大臣”として、つねに話題を提供しつづける時代の寵児(ちょうじ)である。今年は『モバイルハウスのつくりかた』と題した初のドキュメンタリー映画が公開されるなど、さらなる活躍でわたしたちを魅了しつづける坂口さんの魅力に迫ります。

文章を書く目的は、根源的なおもいを伝えたいだけ

伊藤嶺花(以下、伊藤) 坂口さんの活動領域ってどこからどこまでって断言するのが難しいですね。

坂口恭平(以下、坂口) そうなんです。でも、おもしろいですよ。ぼく言ってること全部記憶してるので、サバン(※)って言われてるんです。ビデオテープで撮っていくような感じで、全部を空間記憶していくんですよ。こっちからここまでは何メートルぐらいとか、小学校のときのあの子と自分の距離とか、そういうのがずっと頭にあるんです。それを、裏から見たときの様子を想像したりとか。

(※)サバン症候群=自閉症や知的障害を持ちながら、ある特定の分野で非常に卓越した才能を発揮する症状の総称。男性に多く、記憶力・音楽演奏・絵画などにおいて天才的な才能を持つ。(出典:デジタル大辞泉)

伊藤 あ、わかります! わたしもそうです。

伊藤嶺花 × 坂口恭平|スピリチュアル対談(前編) 02

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坂口 たとえば、テキストだと一日に50枚ぐらい書けるんです。最高で2万字ぐらいになるんですよ。普通だと、それが結構時間かかるでしょう。でも、ぼくの場合、そのほとんどを前の日にインストールしてるんで、なんの気なしに書いてるんですよ。朝5時から11時ぐらいの間に。人が寝てる間に働けっていうのは最初から決めてたんです。

伊藤 すごいですね! 執筆以外の時間はどんなふうに過ごされているんですか?

坂口 平日は街を歩いて、近所のおばちゃんとか猫とか花とかを見てるんです。するといろんな声が聞こえてきて、「だんご虫が困ってるな」とかわかってくるんです。そしたら「コンクリート埋めてるやつらをこらしめてやろう」というふうに、ある種の敵意を抱くわけです。そしたら、嫁さんに「それを言葉で説明したら?」っていわれたので、「じゃあ言葉で説明しましょう」っていうだけのこと。ぼくが文章を書く目的は、そういう根源的なおもいを伝えたいだけなんです。

伊藤 うん、ただおもいを伝えたいだけですよね。

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坂口 「土を掘ってはいけない」とかそれだけです。「お金がないと生きていけない社会が当然だとは絶対におもってはいけない」とかね。だから「ホームレスの人たちを見ても、ちゃんと声をかけなさい。彼らは、絶対にテクニックをもってるはずだから」ってね。ぼくは“genius of you”ってよんでるんですけど、“天才”の姿が見えるので、その天才のいうことだけ聞いていくんです。どんなにささいなことであっても、たとえホームレスの人からであっても。そうすると、その人たちはいろんなことを教えてくれるんですよ。彼らにつねに教えを請うっていうことをやってるので、職業=学生みたいな感じなんです。

伊藤 職業=学生ですか。すてきですね!

坂口 だけど、8年ぐらいは運営できていなかった。こういう生き方は、キャピタライズ(=資本主義社会)のなかでは、なかなか大変なんですよ。といいつつも、生活は成り立つんですけどね。ギリギリのところで、ちゃんと助けてくれる人がいるのは知ってたので。だけど、もうちょっと社会にジャックイン(=入りこんでいくこと)したいとおもいはじめたんです。それが、2009年ぐらいからの動きです。

伊藤 はい。

坂口 それから、1年のうち、4ヵ月はほとんどなにもしないで、“巣篭り”みたいな状態に入るんです。夢を考える時間ですね。そのあいだに、いろんな地域の中央図書館に行って、自分の読みたい本を見つけて――でも、ぼくほとんど本文は読まなくて、目次しか読まないんです。人の本の目次だけ読んで、自分で本を書いていくんですよ。そういう行為をずっとつづけていくと、4ヵ月後ぐらいには原稿が書けるようにセットされてるんです。

伊藤 すごーい! いまも書かれているんですか?

坂口 去年の12月からいままでの5カ月間で、原稿用紙3000枚分書いています。止まらないんですよ。それでも、昔は壊れてもコントロールできないので、すぐにショートしてたんですけど、いまはだいぶ自分をコントロールするのがうまくなりましたね。でも、精神状態っていうか、頭の状態は、つねにスーパーフル回転で、いっさい休みがないんです。

伊藤 そうそう。じつは、事前にすこし鑑定させていただいてるんですけど、つねに頭のなかは高速回転の光ファイバー状態ですよね。

スピリチュアル対談 Vol.14|坂口恭平

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「慈愛にあふれる社会の実現を使命とする、ピースメーカー」(前編)

小学校のときに交わした約束をぼくは永遠に守る

坂口 中央図書館でどんな本を読んでるかというと、だいたいは古典に向かうんですよ。時間を経ても絶えていないもの。そういう人たちの本をチェックしています。

伊藤 昔から本は好きだったんですか?

坂口 自伝をよく読んでいました。『ガンジー』とか『コンチキ号漂流記』とか。もちろん童話も読んでいましたけど、童話よりはノンフィクションが好きだったんですよ。自伝を読んでると、だいたいみんな劣悪な状況に陥ったけど、小学校のときに交わした約束をずっと守ってる人しかうまくいっていないんです。

伊藤 そうですよね。

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坂口 だから、小学校のときに交わした約束をぼくは永遠に守る。ぼくは小学校のとき、自分の学習机の下を家にしたんですよ。「これを一生やればいいんだ」って心に決めたんです。学校の方程式はつまんなかったですけど、そういった自伝方程式っておもしろいな、とおもって。いつか自分も自伝を書くって考えたら、自分の人生がすべてダイレクトに返ってくるじゃないですか。そうやってゴールを決めてゲームにしてしまったら、臨場感があっておもしろい。ダイナミックにできるからそういうふうにしようとおもったんです。

伊藤 おもしろーい。坂口さんが小学校のときに交わした約束っていうのは、家をつくることだったんですか?

10歳のころに建築家になるって決めたんです

坂口 スタートは建築っていうか空間なんですよ、いまでいうと。この世界をもうひとつ別なもので表現できないっていうことにすごい衝撃を受けて。これってできないでしょ。写真は撮れますけど、写真で見ても違いますもんね。ビデオは撮れるけど、ビデオで見ても違いますよね。どれだけやっても、いま目の前にあるこの状態を、生のままやることはできない。映画も無理、劇も無理。つまり、この体験はいましかできない。そういうことがとてつもなく重要だというのは、若いころに認識してたんです。

伊藤 へぇ。

坂口 それで子供のころ、酒屋さんの裏でよく空き箱の家をつくってたんです。そしたら親は「それは酒屋さんの裏の敷地にあるから、酒屋さんのものだ」って。ぼくにはその意味がわからなかったので、「いや、これはぼくの家なんだ」っていったんです。でも、母から説得されてよくわかりました。これは現代社会では“家”じゃないんだってことが。よくわかったけど、そのとき母にいったのは、「これは絶対にぼくの家だから。とりあえずぼくはここのことを忘れないけど、あなたのいってることもわかります」って。

伊藤 (笑)お母さんびっくりされたでしょうね。

坂口 でも“所有してる”って、なにを所有してるかわからないし、そんなこと普通に考えればわかるじゃないですか。所有なんてできないんです、人間は。そういう普通のことが、なぜこの人たちは考えることができないのかってずっと疑問だった。「ぼくにとっては、普通にこれは家だから、こういうものを家とおもってやりたい」っていったんです。そしたら、父が「建築家っていう仕事があるよ」って教えてくれて。それで、ぼくは10歳のころに建築家になるって決めたんです。

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伊藤 それはお父さんもすごいですね。的確なアドバイスですよね。

坂口 そうですね。結構しゃれた親でしたね。うちは中流階級で、自分たちの家は持てないっていうのがはじめから決まっていました。よく、「うちはなんで望遠鏡とか地球儀が置いてある家じゃないんだ」っていったら、「そういうふうには住めないんだ」って。

伊藤 子どものころって憧れますよね。

坂口 それでも、グラスはバカラだったり、古伊万里の器にお茶をいれたり、独特のこだわりを持っていて、結構しゃれてたんですよ。

伊藤 バカラに、古伊万里……。おしゃれ!

家っていうか動物の巣みたいなものに対して興味を持ってる

坂口 そのときは気づいていなかったんですけどね。いまおもえば、全部沖縄のガラスだったし。お箸とかもすごいこだわってましたね。つまり、人が触れるもの、これには徹底的に金かけるぞって、そういう家でした。あと着る服もそう。素材がしっかりしてる本当にいいものを買うと。じつはそういうことを教わってたんだと、あとから気づきました。

伊藤 こだわるところにはこだわってらっしゃる。すてきなご両親ですね。

坂口 着る服や触れるものも家のひとつですから。最小限の家。そういう感覚で、自分が身にまとうものとか、シェルターとか、避難所みたいなもので──家っていうか動物の巣に近いですね。ああいうものに対して興味を持ってるんです。なんで興味を持たなきゃいけなかったかっていうと、(それに匹敵するものが)なかったからなんです。

伊藤 そっか、そっか。

坂口 ぼくのなかの“巣”みたいなものが、なんでこの環境にはないんだと。祖父の家に行ったときにすこし垣間見るぐらいです。でも、それじゃちょっとまだ物足りないなとおもっていて。なんでいろんな人間が、こう横になってぐちゃぐちゃしないのかなって。うちはいつも川の字になって5人で寝て、ごちゃごちゃっと混ざってたんですよ、みんなで。そういうのがすごい好きだったんですよね。

スピリチュアル対談 Vol.14|坂口恭平

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「慈愛にあふれる社会の実現を使命とする、ピースメーカー」(前編)

なんとなく基礎がない建物を求めていた

坂口 で、そんなことおもいながら高校に入ったんですけど、進学校だったから、みんな東大に行くんです。「なんで、お前東大行くの?」って聞くと、「東大行ったほうがいいらしいよ」っていうんです。その頃からぼくは考えはじめました。考えるのが好きだったので。それで出した結論は、なんで大学へ行くかを説明できないやつはモテないだろうって(笑)。

伊藤 (笑)

坂口 それで、学校の先生全員に聞いたんですけど、なんで大学を東大にしなくちゃいけないのかがわからなかったんです。そこで「“もの”に行くからわからなくなる。人だろ“人”」とおもったわけなんですよ。つまり「大学に行くんじゃなくて、だれに会いたいかを考えればいいんだ」って。

伊藤 うん、うん。

坂口 それで「そうか!あまたの建築家のなかで会いたい人を見つければいいんだ」って答えが出たんです。そこからなにをすればいいかは簡単です。建築雑誌を全部読んで、一番自分がピンときた人に会えばいい。まずは図書館に行きました。建築雑誌のバックナンバーを1979年ぐらいから全部見たんです。そしたら、ひとりだけいたんですよ。地中に鉄のまん丸い円柱が転がっていて、砂利で止めてるだけで、コンクリートで基礎をつくっていない。つまり、掘ってない人がいたんです。建築っていうのは基本的に掘りますからね。

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伊藤 すごい下まで掘りますもんね。

坂口 そうなんです。ダンゴムシも、ミミズも、ムカデもみんな殺して、コンクリートで埋めます。「ここは人間の住む場所だよ」って。でも、よくよく考えると、法律をつくっていないので、建物の構造的にやってるわけじゃないんです。なんのためにやってるかというと、経済システムですよ。それに、税制システム。あと、所有感を持たせて、ローンをつくらせる。そういうの、19世紀のエンゲルス(※)さんもずっといっていたんです。問題なのは明白なんだけど、それで労働をつくってる。

(※)フリードリヒ・エンゲルス=1820~1895年。ドイツの思想家・革命家。マルクスと科学的社会主義を創始。「ドイツ・イデオロギー」「共産党宣言」を共同で執筆。マルクス死後は、社会主義運動に参加しつつ、その遺稿を整理して「資本論」の第2、第3巻を刊行。著「反デューリング論」「フォイエルバッハ論」「家族、私有財産および国家の起源」「自然弁証法」など。(出典:デジタル大辞泉)

伊藤 そうですね。

坂口 でも、これは全部あとから気づいたこと。当時はそんなことわからずに、なんとなく基礎がない建物をぼくは求めてたんです。きっと自由に見えたんでしょうね、その先生が。石山修武さんっていうその人は、早稲田大学理工学部建築学科の教授をしてたんです。

伊藤 んー! それで早稲田大学へ行かれることになったんですね。

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坂口 ここで、またひとつ閃(ひらめ)いたのは、学校の先生に「ぼく試験は受けなくていい」っていったんです。だって、この人見つけたんだから、わざわざ、なんで試験を受けにいくんだって。受けなくても、その先生に会いにいけばいいわけで。「だから、試験は受けない」っていったら、その先生が焦って、指定校推薦っていうのを見つけてきてくれて。結局、試験も受けずに受かったんです、早稲田大学に。

伊藤 (笑)おもしろい。

多摩川に住んでる“おっちゃん”との出会い

坂口 それで大学に行ってみたけど、だれも巣のことを教えてくれる先生がいなかったので、ここでもまだ巣は見つけられないんです。それで、もういいやってなって、多摩川を歩いてるときに、20年間多摩川に住んでるおっちゃんにたまたま出会ったんです。竹林のなかに入っていったら、途中から紐で結ばれてるんですよ、竹垣が。幻覚みたいに見えたので、なんか自分がおかしくなっちゃったのかとおもいました。

伊藤 へぇ。どうして人が住んでるってわかったんですか?

坂口 友達3人といたんですけど、「なかに入ってみよう」ということになって入ってみたら、なかに20年間住んでるおっちゃんがいたんです。「(家は)全部ゴミでつくって、タケノコを近所の人たちに売りながら食べている(=生活してる)」っていうんです。

伊藤 うわぁ。

坂口 「自給自足しながら、猫と一緒に暮らしてる。こんな幸せなことがあるかね?」って聞かれて、「そんなに幸せなんですか?」って聞き返したら、「本当に幸せだ。ただ生きるっていうのは、本当に幸せだ」っていうんです。「おれたちは動物みたいになれなくはないんだよ」って。本当に動物みたいな生活をしてるので。それまで、いわゆるホームレスって呼ばれる人の存在はもちろん知ってたんですけど、そうじゃない人と出会ったんですよ、いきなり。

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伊藤 うん。

坂口 「住所とかはあるんですか?」って聞いたら、「住所とかはないんだけど、なんの意味があるの?」っていわれて。「確かにそうですよね」ってなったんです。「住所持ってたら、なにが手に入るの? ただ税金抜かれるだけじゃない。大丈夫?」っていわれた。そしたら「そうだよな」ってなって。

伊藤 それは、すごい出会いですね!

坂口 そうです。それでヒントを教えてくれたんです。「お前らパフォームしてんだよ。というか、パフォームさせられてんじゃないの?」みたいなことを。

伊藤 へぇ。

坂口 それが、『0円ハウス』の本につながっていくんです。それで、「卒業論文をその作品でやります」っていったんです。そしたら、会いに行った先生が、「お前は10年後、絶対重要な人物になってるから、頼むから飢え死にしないでくれ。それと、頼むから建物を建てるな。それほど感じてくれてるんだったら」って。そして、「おれは建てた。みんなミスを犯してる」っていわれたんです。

伊藤 へー! 先生からそういったお話があったんですね。

スピリチュアル対談 Vol.14|坂口恭平

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「慈愛にあふれる社会の実現を使命とする、ピースメーカー」(前編)

自分が理解されるために、どこまでオーガナイズすればいいかなって

坂口 ぼくは、犯したミスは二度と塗り替えられないっておもっていて。そこから抜け出せないところを、いかにちょっとずつ調整するか。ぼくはそういう危機をずっと持ってたんで、だから図面を引けなかったんですよ。図面を書かず、建物も建てず、ギリギリ抜け出して卒業はしましたけど、就職先なんかないから、とりあえずバイトして。しゃべりだけはおもしろかったんで、ホテルで働けば、給料以上にチップをもらっていましたね(笑)。

伊藤 すごい!坂口さんの過去生から視えてきたもののひとつに、“旅芸人”って言い方だと平たくなってしまうんですが、文学とか芸術とか、いろいろな時代背景のなかで、少しでも生きる喜びや楽しさを感じてもらいたい、なにかその一瞬の現実に違う視点で生きる幸せを感じてもらいたいがために、ご自身が創造したことや幻想的なものをひたすら語り続けるような、旅芸人さんがいらっしゃいました。だから、潜在意識として、引き出しがすごく多いのはたしかですね。

坂口 そうですか!そのときは、ぼくおしゃべりだけすればいいんだなとおもって、いつかおしゃべりをする人間になりたいっていう夢を持ったんです。このとき、最初の本『0円ハウス』はもう出ています。でも、ほとんどの人は、ぼくのこと“路上生活者の研究者”としかおもってくれていない。

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伊藤 路上生活者の研究者(笑)。

坂口 ぼくからしたら、「巣を発見したんだから、巣の発見者として称えられないといけないんじゃないか」とおもっていて。だって、この社会には巣がないんだから。そこから、いろんなことをやっていったんです。自分が理解されないので、理解されるために、どこまでオーガナイズすればいいかなって考えながら。

伊藤 うん、うん。

坂口 たとえば、「本の翻訳なんか、普通はお金出せない」っていうところを、「いくらだったら出せますか」って聞いてみたり。それで、予算内で受けてくれる学生を見つけて、2週間で翻訳してもらいました。「(これだけしか渡せないけど)その代わり名前を一生残すから」っていって。

伊藤 (笑)お墨つきなんだ。すごーい!

坂口 そういうのを自分で全部セッティングするようになっていったんです。それから、それを持ってロンドンとパリの書店を巡ったんです。そうすると彼らはわかってくれる。フランクフルトのブックフェアっていう国際見本市にも持って行って、そこから世界中に流れていった。それこそ、パリのポンピドゥセンターから、ニューヨークのMoMAから、カリフォルニアの現代美術館に置かれはじめたんです。

伊藤 へー!

坂口 そしたら、それを見たバンクーバー州立美術館の方がぼくのところに来てくれて、「あなたはカナダの現代美術のフィールドで仕事をするべきだ。なぜなら、カナダはそういう視点を持ってる」っていってくれたんです。そのとき、『0円ハウス』が出たばっかりのころだったんですけど、今後について考えている時期だったので、なんかそれがおもしろく感じて、受けたんです。そしたら大成功を収めて、スポンサーがつきはじめたんです。

伊藤 そうそう。ビジネスであれば、細分化していろんな活動をされるときに、それぞれに長けてるパートナーさえ得ておくといいですね。

坂口 なるほど。彼らは「君はいつもニュースを持ってきてくれる」っていって、会う度に「What’s the news?(今日はどんなニュースを持ってきてくれたの?)」って聞かれるので、最近見つけたおもしろいおっちゃんの話とかを振る舞いと一緒に話したら、「おもしろい!」っていうんです。それで、「ぼく、じつは絵を持ってきてるんです」って切り出したんです(笑)。

伊藤 (笑)おもしろい。

伊藤嶺花 × 坂口恭平|スピリチュアル対談(前編) 14

「国民が心配」とかそれぐらいのレベルなんです

坂口 路上生活者の研究者とおもわれたくはないんです。「ぼくは、もっとカオスなんですよ」って説明したいんですけど、うまく説明できなくて。日記でも足りない。そこで、バランスを取るためにドローイングを描きはじめたんです。そしたら、そのドローイングが売れはじめた。

伊藤 うわー!

坂口 それで、そのお金で(東日本大震災の)被災者を熊本に呼んで、面倒をみたりしていました。ドローイングはのちに、新政府(※)の貨幣になる予定です。

(※)新政府=東日本大震災後の2011年5月、都内に首都を設けて立ち上げた新政府のこと。坂口さんが初代内閣総理大臣に就任した。

伊藤 へー!

坂口 なんでそういうことをやってるかというと、子どものころからずっと、いじめられてる人を助けるってことをやっていたからなんです。ほかにも、自殺未遂の子とかも助けています。その子をどうやって生きる方に持っていくかっていうのが、ぼくのメインテーマなんです。それでいろいろやっているんですよね。

伊藤 はい。

坂口 昔は「なんでそういうことをやるんですか」っていわれてたんです。「宗教観ですか?」とか「下心があるんじゃないか?」とか。「そういうのはなにもないんです」って答えてたんですけど、いまは「総理ですから」っていえますからね。そうやって、一番当たり前な職業を見つけたんです。「国民が心配だ」とかそれぐらいのレベルなんですよ。「ぼくでよければ、なんかするけど」っていう。

伊藤 あの、事前に鑑定させていただいたときも、視えてきたのは一般の方とはまったく違う視点を、つねにいくつも持っていらっしゃるということ。そういうのは、坂口さんのもともとの気質としてあるようです。“仕事”って言うと人生そのものであって、それイコール坂口さんご自身でもあって、全部がイコールみたいな感じなんですよね。

坂口 うん、ただの使命ですよ。もう使命をもって生きてるだけです。


……というわけで、前編では建築家をこころざすきっかけになったお話から、カナダでスタートしたアーティスト活動までたっぷりと語っていただきました。後編では、そんな坂口さんが真夜中の代々木公園で突然涙した驚きのエピソードと過去生との関係を伊藤さんが読み解きます。

――伊藤嶺花さんがみた、坂口恭平さんの過去生とは?
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坂口恭平|SAKAGUCHI Kyohei

1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築家学科卒業。2004年路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』(リトル・モア)を出版し話題に。2006年カナダ・バンクーバー美術館で初の個展を開催。2008年、隅田川に住む路上生活の達人、鈴木さんの生活を記録した『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出書房新社)を出版し、翌2009年には自身も多摩川で路上生活をおくる。2011年3月、故郷の熊本市に移住し「ゼロセンター」を開設。新政府樹立を宣言し初代内閣総理大臣を名乗る。2012年5月に新著『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)を出版。6月30日から、初のドキュメンタリー『モバイルハウスのつくりかた』が渋谷・ユーロスペース他で公開。

           
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