Diary-T 230 1963で分かったこと。
1963で分かったこと。
戦いから愛へ、ですね。その愛そのものが音楽なのです。
今読んでるジャック・アタリの文章にこんなのがあります。
気持ちいいので書きますね。
音楽、つまり感覚がなかったら、残るのは雑音と静寂だけだ。
そして雑音と静寂しかなかったら、もはや生命は存在しない。
音楽がなくなったら、人類は消えてしまうのだ。
音楽とは、
危険を告げさせるために鉱山に連れて行くカナリアのようなものだ。
音楽が途絶えてしまったら、危険がやってくる。
音楽の多様性が消えるとき、人類の多様性も消滅する。
音楽の世界化とともに、商業的な画一化を乗り越えてきわめて多彩な世界が我々の前に出現した。
数えきれないほどの音楽ジャンルが現れてきては、消え去ることなく互いに混じり合っている。
人類は、あらゆる音楽を聴く機会を通じて、放浪を繰り返してきたそのルーツを再発見しているのだ。
音楽は未来に現れるはずの社会の構造を反映している。
…その本当の実力は宗教儀式において発揮される。
…つまり音楽は何よりも、ここの利害を超えて社会の合意と平和を作り出すために存在している。
音楽にメッセージ性を持たせる必要はない。
音楽自体がすでにメッセージなのだから。
音楽の持つもっとも重要なメッセージはもちろん美であり、
美ほど革命的なものは存在しない。
美は超越し、空虚を作り出す。なぜなら、美のなかにあることをやめるとたちまち、人は美の世界と現実世界の相違を痛感し、後者が前者に似ることを熱望するようになるからだ。
美学とは本質的に革命的なものである。
そのため、音楽は変化、既成の概念に対する造反、革新、未来を叫びかけるものだ。
音楽はいまよりもずっと広大な感覚の広がりの一部をなすようになり、最悪の場合、人間を操作し、コントロールする、
軍楽よりもずっと強力な手段となるだろう。
しかしもっともすばらしいの可能性として、
激情を鎮め、自己の超越を実現する手段にもなりうるのだ。
…芸術家とは
もやい綱を解いて未知の世界に漕ぎだしていく人間のことだ。
芸術作品は本質的に旅に似ている。この旅に意味を与えるひとつの方法が音楽である。なぜなら多くの人にとって、旅とは何よりも生き延びる手段であるのに対して、音楽はそこに詩的、空想的、美的な側面を付け加えるからだ。
旅はつねに危険と隣り合わせでもある。
ジャック・アタリ編著
「いま、目の前で、起きていることの意味について」
一部抜粋しました。
PIRATE RADIOを始めて二年が過ぎた。
いつもそうだが、衝動的に始めてその始めたことから学ばさせてもらっている。
音楽に救われているのだ。
年齢的なものもあるだろうが、after311以降、
死を非常に身近に感じるようになった。
つまり地震で目が覚めてこれを書いているのだから。
しかし本来人間はそうした生きものだったはずなのだ。
戦争に行くために用意する軍服が男を美し見せるのも、
死と直結している覚悟を装うことで、
美しく男を見せているのである。
そうそれもある種のまやかしなのである。
だからアーミーもののファッション・アイテムがいつの時代も普遍な理由もそこだろう。
だからさ、安全だと長い間信じ込まされてきた私たちは、
そんな死への危機感が希薄だった。
あらゆる種類の暴力への憧れも、
そんな隠蔽された死からの往復ビンタなのかもしれない。
ストリート系とか横乗りとかタテノリとか、
あきらかに肉体を犠牲にして熱くなる快感は、
すべてそこに端を発しているのかもしれない。
まわりくどくなった。
死を意識する。これは決して間違っていない。
そこへ突っ込めば突っ込むほど、
自分がどう今日を生きるかが見えてくるのだと思う。
後悔しない日々を、人生をちゃっかり幸福に過ごすには、
死を忘れることではなく、
死を身近なものとして日々抱きしめ愛してやることだ。
と私はつくづく音楽から教わったのだ。
うん?書きたかったことってこれ?
いま、目の前で起きていることの意味について
考えることは楽しいね。と今朝は言っておこう。
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