Diary-T 228 常軌を逸した人
Lounge
2015年4月15日

Diary-T 228 常軌を逸した人

Diary-T

Diary-T 228 常軌を逸した人

文・アートワーク=桑原茂一

川村記念美術館所蔵 巨匠と出会う名画展
モイーズ・キスリング:姉妹(1950)

この傾いた首を見て下さい。

常軌を逸している。と私が感じても不思議ではないでしょう。

絵画のタイトルは「姉妹」

ちょっとどうかと思うこの傾いた首の絵画の奇妙さに怖いほど惹かれて、画家、モイズ・キスリングを検索してみた。

モイズ・キスリング
(Moïse Kisling、1891年1月22日 - 1953年4月29日)は、
エコール・ド・パリ(パリ派)のポーランド人画家。
本名はモイジェシュ・キスリング(Mojżesz Kisling)。
キスリングは、20代後半には画家として成功し、パリ派の陽気で面倒見の良いリーダーだった。「モンパルナスの帝王」とも呼ばれた。自殺したパスキン、アルコール中毒のモディリアーニ、ユトリロなど破滅型のイメージの強いエコール・ド・パリの画家たちの中では珍しく幸福な生涯を送った画家である。

本当にそうなのか?

確かにこの本人の写真からはモテキムードを十二分に醸し出しているが、元マン・レイの恋人だったキキとの危険な関係を垣間みると、幸福な生涯だったと本当に言い切れるのだろうか…


マン・レイ「ベールをかぶったキキ」1922年、
キキ、マン・レイ撮影


モイーズ・キスリング「赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ」1925年

モンパルナスの女王と呼ばれたキキという女性です。

彼女の本名はアリス・プランといい、ブルゴーニュから戦時下のパリの軍需工場に働きに出てきていました。モンパルナスのカフェに出入りしていたキキは、そこで貧しい画家たちと知り合い、16歳の時からモデルをつとめるようになりました。

マッチの燃えカスで眉毛を黒く塗った姿を売春婦と間違われることもあったそうですが、その10年後にはパリの雑誌や新聞を賑わせるほど有名になったのです。

キキはシュールレアリスムを代表する写真家のマン・レイの愛人となりましたが、その一方で画家のキスリングの恋人にもなりました。

画家や映画監督からも愛され、ルネ・クレールの映画の登場人物や藤田嗣治の絵画のモデルとしても人々を魅了しました。

マン・レイが撮影した写真の中のキキはどこか崩れた美しさで男性を挑発しています。

彼女は白く良く光る歯を持っていて、それを見せびらかすために薔薇をくわえるのが好きでした。

ポーズをとっているとき、景気づけにオペラ歌手のまねをしてキスリングに大笑いされたことがきっかけとなって、キキは有名なナイトクラブ「ジョッキー」に歌を歌いに行くことを思いつきました。夜に2度、彼女は卑猥な一節に力を入れて、大声でシャンソンを歌いました。

「3人の金銀細工師」「カマレの娘たち」「荷車引きの女」など彼女が喝采を浴びたシャンソンはパリの浮浪者のものでした。それから、彼女はクロークから借りてきた客の帽子を持って客席を回り、チップを集めました。


藤田嗣治「ジュイ布のある裸婦」1922年
※キキをモデルに描かれたこの作品はサロンでも好評を博しました

そんな妖艶な美女も、その末路は憐れでした。第2次大戦後、アルコールと麻薬に犯された彼女は喘息もちのジプシー女のように落ちぶれ、「クーポール」に食事に来た客に「手相を見ましょう」と声をかけながら、テーブルからテーブルへ身体を引きずるようにして回っていました。

キキは50歳で亡くなりましたが、その葬列はまるで謝肉祭の行列のようでした。花輪にかけられたいくつかのリボンには金文字で「ジョッキー」「ジャングル」「ドーム」「クーポール」など彼女が活躍したナイトクラブの名前がしたためられていました。

それらは彼女の幸薄い人生の各段階を示すものでした。すでに有名になっていたモンパルナスの画家たちのうちでたった一人、藤田嗣治だけがティエスの墓地まで彼女の遺体に付き従いました。

葬儀を伝えたパリの新聞もこう記しています。
「モンパルナスの女王キキはもういない。思い出に忠実なフジタは、レネック病院でその遺体に弔意を表した。」

ロイヤルアートスクール

ロイヤルアートスクールより抜粋

三人の男性芸術家が描くと一人の女性もこんなにも変化する。

それぞれが見たキキは同じ女性であっても、

実は別人であった。

私にはその方が自然に感じる。恋愛とはお互いの幻想を認め合うことだろうから、同じにしかみえないのであればそれは相当常軌を逸した行いだったということになる。

変化するのは女性だけではなくもちろん男性も見る相手によって見え方が変わるのは至極当然のことだろう。

誰が見ても同じ人という方が私には奇形に思える。

話は、画家モイズ・キスリングだ。

男の本質はいつの時代のそう変わることはない。

少女と裸体

当たり前に見える欲望が幸福の条件なのかもしれない。

ここは至極まっとうな人生をおくった芸術家だったということにしておこう。

で、こんなブログを書いてしまった動機は、

DIC川村記念美術館へ
http://kawamura-museum.dic.co.jp/index.html

抽象と形態:何処までも顕れないもの

五木田智央、角田純、の作品に惹かれて、

雨の降りしきる土曜日に遠出をしたのだった。

目を見張るお二人の作品もさることながら、

レンブラントの「広つば帽を被った男」を初めとする

超有名常設コレクションに、

改めてことごとく芸術に腰を抜かされたからだ。

その印象をここ暫く語ってみたい。

あ、そうそう、ショーン・ペンとデビッド・バーンの映画の強烈な印象モネ…

← Diary-T 225~230

購入はこちらから
http://ckstore.shop-pro.jp/?pid=41033425

           
Photo Gallery