Diary-T 214  つかの間の白日夢
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2015年4月15日

Diary-T 214  つかの間の白日夢

Diary-T

Diary-T 214  つかの間の白日夢

文・アートワーク=桑原茂一

日本はこれまでいったい何を建設して来たのだ。

熱砂の誓ひ(ステレオ)
http://www.youtube.com/watch?v=ZyPavf9eU5g&feature=youtu.be

この歌に、強いメッセージのこの歌に、
私は今へ繋がる大切なメッセージを感じた。

李香蘭出演の映画「熱砂の誓ひ」のパブリシティ
映画「熱砂の誓ひ」のパブリシティ。
(クリックすると拡大してご覧いただけます)
 1941(昭和16)年2月、李香蘭が東京・有楽町の日本劇場(日劇)に出演した時は、詰めかけた大勢のファンが劇場を7周半取り巻き、彼らを移動させるために消防車が出動、散水したというほどの人気ぶりでした。その1カ月ほど前に、佐賀県内でも李香蘭の映画「熱砂の誓ひ」が公開されましたが、公開直前には佐賀新聞にパブリシティ(記事体広告)が掲載されました。

佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/48/02.html

 1941(昭和16)年 
 大スター李香蘭は佐賀県人

李香蘭が日本人で、佐賀県出身ということが分かったと伝える佐賀新聞の記事(クリックすると拡大してご覧いただけます)
 太平洋戦争開戦前夜の1941(昭和16)年。庶民最大の娯楽だった映画で、県民の関心を集める記事が2月16日の佐賀新聞に載った。
 「満州(中国東北地方)の映画会社満映の大スター李香蘭が日本人で、しかも本籍地が佐賀県杵島郡と分かった。東京の日劇に出演した際の書類から本名と本籍地が判明した」という。
 李香蘭は本名・山口淑子(敬称略、当時の紙面では俊子と表記)。満州で生まれ、父親と親交のあった中国人の義理の娘分となり「李香蘭」の名を得た。美ぼうと中国語の巧みさを買われ、38(昭和13)年、女優兼歌手としてデビューした。
 中国人と信じられていたため、戦後、日本への協力者として中華民国政府に逮捕され、裁判にかけられたことも。帰国後は女優、参議院議員として活躍。来年で90歳。今も健在だ。

そんな歌どこで覚えたの?

私はまだ台湾のことを何も知らない。

私はまだ北朝鮮のことを何も知らない。

アジアで、日本で、日本人はいったい何を建設して来たのか?

今一度思い出すべき大切な記憶とは何か?

”そんな歌どこで覚えたの?”

長谷川一夫の初々しいセリフに導かれて、

私はYouTubeの迷宮に迷い込んだ。

つかの間の白日夢。

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