Diary-T 192 金魚
いよいよ明日から仕事始めだ。
やるべきことが目の前にある。本当にありがたいことだ。
高校一年生から働き始めてずっと働き通しだ。
途中図に乗って暫く遊んだ時期があったが、にわか不良はすぐぼろが出て様にならなかった。その一二年のエピキュリアン的な日々は結局その後の人生を厳しいものに変えてしまい、今もその余震に悩まされている。あのとき覚えた自堕落な自分をどう飼い慣らすかを未だに消化できず思い悩んでいる。
バイオリンの練習を一日休んだら、もとに戻すにはその何倍もの日数が必要だと聞いたことがある。
死ぬまで働くことはもう分かっているが、そう簡単に操作出来ないのが日々の煩悩だ。
肯定的に考えればあの頃の自堕落な時間も栄養の時間ともいえなくもない。
食にしても酒にしてもあれにしても音楽にしても映画にしてもあのあれにしても、存分に時間があればこそ会得出来たこともあっただろう。
言いたかったことは、目の前にやるべきことがはっきりしている。ということは、生きる上で大変贅沢なことだということだ。なにもしなくていい時間が目の前に広がっているほど恐ろしいことは無いのではないか?
つまりそこには触りたくても触れない自分が居るということだ。
別の言い方をすれば自分はもう存在しないということだ。
死んでいる。というのは、なにも呼吸が止まった。
ということではないのではないか。
明日から、というのは会社の都合であって、
大晦日も元旦も今日までも、私はこうして働いている。
今日を生きている。今日を生きよう。
が私にはやっぱりしっくりくる。
高井鴻山はこの普段なら火鉢に用いるような陶器に金魚を入れて飼っていたらしい。
金魚を愛でながら自分を飼い馴らすことの難題と
どう対峙していたのであろうか。
今年の難題は、自分を許す。人を許す。これがむずかゆい。
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