Diary-T 189 花言葉
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2015年5月7日

Diary-T 189 花言葉

Diary-T

Diary-T 189 花言葉

文・アートワーク=桑原茂一

「毛の如き茎の先に白色五瓣の小輪を多数に叢り咲かせ、遠くから、見れば置き忘れし女神のヴェールか、カスミの掛かった様に見えるのでカスミ草といいます。最も作りよい一年草で切り花として他の花の添え花に多く使われ、投入盛花の分野においては艶麗誇るダリアも一歩を譲る風情です…。」

「ペチュニア、和名つくばね草と称してミせられ愛せられしは紫紅色の小輪のものなりしかど、近頃の進化せる交配種は花茎10cm位にも及び花色も又多彩美麗となり、切り花としてもなかなか悦ばるるにいたりぬ…」

「蒔き時、春は彼岸より五月頃までに苗床に蒔き付け…。
花言葉、あなたと一緒なら自然と心が和らいでくる。
ずいぶん長い花言葉だな。…サルビア、花言葉、私の心は燃えている、か。」

彼の表情が、その二つの花言葉を読み上げると、
曖昧になった。

吉行淳之介著 砂の上の植物群 より抜粋。
昭和三十九年三月一日 初版 定価三八〇円

上田のルヴァンの二階で催されていた古本市で閃いて購入した四冊の本の

一冊が、「砂の上の植物群」だった。

なぜあのとき咄嗟に”読む”と閃いたのかは分からない。
そのタイトルの所為か、はたまた私の記憶の何処かに、
”いつか読みなさい”のインプットがあったのか?
なぜなんだ、と。詰め寄り問いただしたくなるほど、
この「砂の上の植物群」を私は複雑な思いで読み終えたのであった。

時間を紡ぐのが小説だ

と何処かで読んだ記憶があるが、
書いている本人が書いてることに説明を加える及びまるで言い訳でもしているような構造の小説が私には新鮮だったのかもしれない。この方法なら書き手の羞恥心は或る程度緩和されるのではないか?つまり、自動書記というのか、誰かに乗り移られて書かされている感じ?なら、大概のことが書けてしまうから(もちろん特別な文才ありで)、人前でパンツを脱ぐイイワケがあらかじめ用意しているというか、客観的に俯瞰的に小説との距離を突き放すことで、ともすれば破廉恥な公序良俗に反するお話をなにか別のものに置き換え本当に言いたいことは奥にしまってあります的と言うか恥ずかしさをこうして緩和することで私ではない誰かが書いているのだから、読むあなたも誰にも恥ずかしがること無くこの小説の幾分いかがわしい世界を存分に楽しんでいただき、しかもその深い意味をきっと感じ取って下さるであろうから作者はまったくそんなこと(文学で自慰)は微塵も心配していません。解放されない主人公と同様にまたこれを書いた私とあなたはつまりみんな共犯者なんです。乾杯~。ともすればこの感覚はアルコール依存症的とも感じられる思考をみんなで肩組んで酒を酌み交わしながら楽しみましょうね。…なんていったい誰がこんなことを書かせているのか私には分かりません。なんとなくですが、どうやら自分の中にも潜んでいる怪しい欲望を、小説内では「痴漢」と率直に称していましたが、実際に行動に移すか否かはさておき、この文学的エロ小説が当時の世間をざわつかせたのではないかということは容易に想像がつきます。北山耕平さんのいう、「日本は酒によるコミニケーション」がほとんどを支配していた時代だったでしょうしね。いまもその点はダストほども変わっていないかもしれませんが…で、こんだけどうでもいいことを並び立てるということは私の何処かに案外似たような衝動が発見されてしまったことへの言いがかりをちゃんと自覚してイイワケしているのですが、それは本当ではない。ことにここではお願いしますね。なんたって今夜は初夢なんですからね。新しい年を爽やかに、”お正月を写そう!”で参りましょう。それにしても、なんですかね、このワクワク感は…いい正月になりました。
ももしかしれ、これれれ飲んで書いてるる?あああたぼうよ!

「鋤とセントポーリア」

「わがまま骨董」
菊池信義著 坂本真典写真より
iphone grapherさせて頂きました。

セントポーリアの花言葉

「小さな愛」

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