Diary-T 168 collage 非常識の肯定
この話ね、仮に飛行場へ向かう地下鉄の車内で実際にあったドラマだということでつぶやいてみますね。
しかも終点までのたった五分の間にうまれたドラマだということでね。
で、なんの前触れもなく突然薮から棒に、
そのひとは現れたのです。
生涯でこれほど私の好みのひとに出会ったことはなかった。
と断言出来るようなひとが、私の目の前の席に座ったのです。
あなたなら、ど、ど、どうしますか?
“私はあなたに出会うために生まれてきたものです”って、
そんな風に勇気をもって声をかけることがあなたには出来ますか?
ところで、ひとの脳は、たった二秒で、
ものごとの判断を決定しているそうです。
例えば、この人と結婚するか、否か、のような
人生の大切な局面でも二秒、
コンビニに入って何を買うかも二秒、
たった二秒で脳はすべてを決定しているんだそうです。
この説は、あの茂木健一郎さんが、脳科学者の立場ならそうなんです。
と、
先日、久留米の講演でそう断言されたのです。
ということは、この場合、私の目の前に座っているひとが
実は運命の人で、生涯でどうしても会いたかったひとだった。
この究極の判断も、たったの二秒だった、ということです。
生涯で唯一心の奥底からこみ上げる奇跡のような出会いに、
もうどうすることも出来ないほどの激しい恋心が、
ガバ爆発(ガバは久留米のひとたちのvery much)していたとしても、いい歳をした大人が、いきなりそのひとに声をかけるなんてそんな、ねぇ~、
「非常識」で、恥ずかしい。ご無体。なことが、
私に出来るはずがないじゃないですか。というこの判断も、
たった二秒だったと。いうことになるのです。
繰り返しますよ、そのひとが私の前の座席に座り、
あっ、私が生涯で会いたかったのはこのひとだ。
という出会いの瞬間から、
そんな恥ずかしいこといきなり口に出すなんて無理。
そんな別れの瞬間までが、仮にアバウト五分だったとします。
五分×60秒=300秒だから
私はこのひとに会う為に生まれてきた。運命の出会いの二秒。
しかし人の道として私には無理。あぁ~運命の別れの二秒、
計、四秒。を300秒からマイナスした残りの296秒。
この余白の時間を、
私はどう落とし前をつければ良いのでしょうか。
運命の人に声をかけたい。かけたい。かけ……できない。
かけたい=できない。
296秒の間、
このループが私の脳の中でぐるぐると
相当高速できっと回転していたはずです。
しかしこの心の奥底から沸き上がるもう堪らん思いも、
脳科学者ならこういうね。
“「脳」が判断する時間は、たった二秒です。”
じゃ、残りの時間の296秒間はどうなるの?
その判断のお陰で私の人生が台無しじゃないか。
なにしろもう会えないですから、
だって、えっ? どこをどう探すんですが、名前も、住んでるところも、
働いてるところも教えてもらってないんだから、聞いてないんだから、
知らないんだから、あぁ~あ、
もうこれで俺の人生は終わったな。って気分ですよ。
生涯に一度しかなかったあの出会いを、
うまれるときはべつべつでも、死ぬときゃべつべつってね、
それほど大事な出会いを、
私の脳はたったの二秒で片付けてしまって、さ、
これまで生きていた一世紀の半分以上を費やしても得られなかった幸運の出会いを、、
ちくしょ~、てやんでぇ~、もうこうなったらぐれてやる。
えっ? そんなことでムキなるような歳でもないだろうって?
なな、なに、いってんですか、れ、れ、恋愛に、と、と、歳は関係ないって、あのゲンズブールもモンタンもいってたよね、ね、ね、
しかも、人間は棺桶に入る寸前までひとの脳は成長してるって
あの茂木さんもいってませんでしたか~、
だから、これまで生きてきて出会ったなかでこれ以上のひとはいなかった。ってことよ。それを、こんちくしょう、あの「脳」の野郎、
たった二秒なんかで勝手に判断なんかしやがって、
ザッケンな、もう許せねぇ、金輪際、お前とは二度と口気かねぇからな、いいか、よく聞けよ、お前にはこれからびた一文負けねぇからな。忘れんなよ。まったく、お前みたいな薄情な奴とよくここまで一緒に暮らしてこれたもんだよ。冗談じゃねぇ、こうなったら三下り半を出してやる。首を洗って待ってろよ。今すぐ書くからな、離縁状だよ。そうだよ、お・別・れ・のお手紙のこと。そう、こんな温厚な俺でもよ、てめぇみてな、冷たい脳とはもう二秒たりとも一緒には暮らせねぇ~ってことよ。分かった。分かったか? 慰謝料なんてものはびた一文払わないばかりか、俺がもらいたいぐらいだよ。一生を棒に振ったんだよ。お前のおかげで、当たり前だろう。当然だろ、当たりきシャリキ、ケツの穴ブリキ、当たりマエダ(のクラッカー)OH!NO~って、こんだけつまらねぇ~シャレを俺に言わせるお前みたいな出来損ない脳に、もうこれでお別れだって、いいか、ついてくるなよ、だから、フォローするなよって、ストーカーはごめんだよって、馬鹿野郎! 泣いてなんかいないよ、別れに涙はつきもんだって、わかれ~に星影のワルツを歌おう~さよなら、さよなら、(ここ淀川長治風でね)ByBee
さて、茂木健一郎さんの講演会を久留米で拝聴した。
うまくなった。思わず浮かんだ素直な感想でした。
大変おこがましい言い方で恐縮すが、
うまいヴォードヴィリアン(Vaudevillian)になられた。
つまり講演内容が素晴らしいのは今更いうまでもありません。
その話芸に、これまで以上の鋭いユーモアが加わり、
エンターテインメントとして評価される大変愉快なものだったのです。
つまり90分のトークショーにクライマックスが何度も訪れたまさにプロフェッショナルな話芸だったのです。
もしあのマシンガントークの言葉のフレーズを数えてみたらそのまんまギネスブックに登録されるのではないでしょうか。
講演会の後で茂木さんは、実はもっと辛辣に言いたいことがあったとおっしゃってましたが、優しい雄大な心根の茂木さんらしく謙虚に慎ましくお話をまとめていらしたのです。
一番ヤバいところへ突っ込むのがコメディーの本質だ。
常日頃からこうした持論をお持ちの茂木さんの耐える姿は、
まるで武芸の達人のようで、太刀を振るえば決して負けることのない技をあえて忍ばせ耐えることの美を私たちに伝えているかのようでした。
そういえば、打ち上げの席で、本当はもうこの日本は駄目かもしれない。と……本音を小さく漏らされました。
で、twitterにこうつぶやきました。
俺には希望はないが、脂肪はある。
そのアンサーが、
RT @kenichiromogi: 乙武くん。。。 RT @h_ototake: 俺には、四肢がないが、意思はある。 RT @kenichiromogi: 俺には、希望はないが、脂肪はある。
「落語とは非常識の肯定である」
とある日の新聞にこう書いてあった。
茂木さんの話芸にはこの精神がしっかり息づいているのだと
私は何度も頷いた。
ps. 茂木さんから聞いた話。
実は茂木さんは、立川談志一門からの名前を受けつぐつもりが真剣にあったそうです。
で、つけようとした名前が、「立川脳志」だったとか。
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