Diary-T 110 「THE TREE of LIFE」
Lounge
2015年5月8日

Diary-T 110 「THE TREE of LIFE」

Diary-T

Diary-T 110 「THE TREE of LIFE」

文・アートワーク=桑原茂一

私の記憶の中で日増しに変化し成長しつづけている映画

「THE TREE of LIFE」について今日閃くいくつかの事柄をつぶやいてみる。

それは「地獄の逃避行・BADLAND」に多大な影響を受けた私の記憶の整理でもあるから。

でまずテレンス・マリック監督をもっともっと知ること。

観ていない作品を探してみること。

と同時に「THE TREE of LIFE」への答えのない質問を紐解いていくこと。

たとえば、まったく何も知らない聖書物語のこと。

生命誕生の神秘を映像化しようとする?監督の崇高な挑戦に対する

畏敬と敬虔の念を自問する。

自分自身の潜在的意識も含め世界中の家族が家長制度に従っていた時代のこと。

俳優という摩訶不思議な存在、

なかでも母であり、比喩としてのマリア様のようなJESSICA CHASTAINの

奇跡の役柄と演技のこと。

で、答えのない映画が好きだ。

つまりひとつしか答えのない映画には興味がないのだ。

もしかしたらこの映画は答えがあって質問を考えるような映画かも知れない。

観てからの余韻がいまも消えない。ふとしたときに、ぴか!とひらめきが起こる。

その妄想とは、

今日私たち人類は否応なしに変化進化を促されているのだと感じていること。

たとえば二十一世紀に差しかかった矢先、

1999年に『ファイト・クラブ』(Fight Club)が話題を呼んだのは

きっと偶然ではないだろう。あのとき、

あらためて人類は精神は肉体に宿ることを再認識させられたのだ。

しかしそれはこれから起ころうとすることの

ほんの序章でしか過ぎなかったのではないか。

そう思ってちょっと周りを見渡してほしい。

そうあれから世界を牽引するクリエーター達はそのことを本能的に感じ

今も実行している。

無意識にストイックに彼らは己の肉体と対峙しているのだ。

進化へ向かうために……。

で、その先が、この「THE TREE of LIFE」ではないか……。

がそれを知覚するには繰り返し繰り返し

あのテレンス・マリック監督の抽象的な映像を流しつづけるしかない。

この感じを私は説明は出来ないから……

みるでもなく、きくでもなく、ただ私たちの生活の場に流しつづけること。

そこから何を受け取るか?どう行動するか?

それはその人の資質でしかないという刹那も受け入れながら……

で映画の予告編はひとつのすぐれた作品でもあるのだから、

当然監督の意志は完璧に盛り込まれている。

まず私は無心でyoutubeをループすることから始めてみようと思う。

もし神の視点というものがあるとするならば、

その視点に立ってみたいと思うのが人間の数ある欲望のなかでは、

ある種の無謀で崇高な頂点なのかも知れない……

そしてしかも人間の進化には多大な犠牲がつきものだと……

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