Diary-T 105 ガラスの海
結局、私は、「言葉」の力を信じているのかもしれない。
途中略
私たちは、言葉との付き合い方を根底から見直すべき時を迎えている。人間は
そのことは、私たちが今まさに迎えようとしている時代と、
無縁ではない。胸の奥がじりじりとするような、焦燥感があるのだ。
途中略
この本に集められた、数々の表現者の血が流れている、言葉のありったけに託している。人生のすべてがそこに流れ込むような。言葉のきらめき、存在という地面から掘り出された宝石。生きる術を、明日に向き合うエネルギーを、そして何よりも隣人に対するやさしさを、これらの言葉の中から抽出して、自分の魂に振りかけてみたいと思う。そしたら、きっとまた、心の底から笑えるさ。
「心と脳に効く名言」茂木健一郎著
さいごに より抜粋させていただきました。
“人間は、自分の置かれた、その中で最善を尽すほかないでしょう。”
この小津安二郎の台詞にぐっときている。
生きることは受け入れることではないかと思う。
あがいても抗っても泣き叫んでも、人は逃げ出すところなどないのだと思う。
受け入れるということは他者からの強要でも環境の変化からでもない。
すべてのことがらは自分自身が生み出したこと、「身から出た錆び」
根本はそこにある。と考えている。
問題は外部からおしよせて来るのではなく自分自身がよびよせているのだ。
自分自身が変わらなければ、付き合う相手を変えても、環境を変えても、
その問題は変わらずそこに鎮座している。
ところが私もそうだが、日常に耽溺してしまった思考をもみほぐすことは誠に容易なことではない。あれこれ難癖つけてじたばたするのだ。
しかし、結局、他者や外部に問題を置き換えているうちは
自らが進んで人生の奴隷になっていることに他ならない。
つまり向き合う相手は思考の根源である自分自身なのである。
そのことに理解が進めば、私はどう生きるか?
この難題もずいぶん軽やかになってくるのではないと考え言い聞かせている。
賢者の言葉に耳を傾けるというのは、
すなわち自分自身と対話するということだから……
自由な時間とは、そのことではないかと考えている。
この本を授かったということは自由時間が増えたということだ。
自由を我らに!
この言葉の向かう先は
目に見えない大衆ではなく私自身にあったということだった。
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