祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)

祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.36 FPM 田中知之さん(後編)

祐真朋樹対談

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前回前々回に引き続き、ゲストにFPM=Fantastic Plastic Machine(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)の田中知之さんをお迎えしてお届けする編集大魔王対談。FPMという名前の由来から現在制作中のアルバム、偏愛するヴィンテージまで幅広くお話を伺いました。ここでしか読むことができないエクスクルーシブな内容は必見です。

Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by MAEDA AkiraText by ANDO Sara (OPENERS)

9.11を機に活動拠点を日本へ移すとアジアでブレイク

祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真) FPMという名前になったいきさつは?

田中知之さん(以下、田中) デモを作り始めた94年に、ピチカート・ファイヴの小西さんと音楽プロデューサーの坂口修さんと僕の3人で、ソニーから選曲のコンピレーションアルバムを3枚出したんです。映画音楽のコンピレーション、バート・バカラック※1のカバーのコンピレーション、クリスマスソングのコンピレーションを同時リリースしました。制作当時、『The Fantastic Plastic Machine』※2という映画のサントラを持っていたんです。音楽が素晴らしかったので、アルバムに入れようという話をしていたら小西さんが「Fantastic Plastic Machineっていうバンドがあったらいいよね」っておっしゃったので、そうですね、なんて言ってて。そして音楽を作り始めた時、その名前をそのままちょうだいしたんです。デビューするなんて思っていなかったので、深く考えずに。

祐真 話を戻しまして、日本の音楽が世界に拡散していったのは2001年で一区切りがついたということですが。

田中 僕自身の話に限って言えば、そんな気がします。ラウンジというムーブメントが一段落したというか。そこから活動拠点を日本国内とアジア諸国に移して、エイベックスに移籍して、ラウンジミュージックと決別して。ファンクやディスコ、フィラデルフィアソウルなんかにフォーカスした「beautiful.」※3というアルバムをリリースしたら、アジアでブレイクしたんです。

祐真 その時点で日本ではなくアジアに目を向けたのは?

田中 たまたまです。それまでと違う音楽を作り始めたらアジアでのDJの依頼も増えていきました。そんな中、韓国のソウルにDJとして呼ばれたんですよ。どんなところでどんな風にDJをするのかなんて聞かされていなくて、韓国で自分のことを知ってるやつなんているわけないだろう、というスタンスでした。どこか小さいクラブにでも連れて行かれるのかな、なんて思っていたら、着いた先はホテルでした。まずはここにチェックインするのか、と思っていると奥のボールルームへ通されて、なるほど、何か大きなイベントの前座なのかと思いました。「では今から1時間半お願いします」と言われ、ステージへ。幕が上がると、3〜4000人ぐらいの人がいたんです。その時点でも、誰かほかの人のファンなんだろうなって思っていました。いざDJが始まってぱっと後ろを振り返ったら、自分のアルバムのジャケットが大きく映し出されていて、そこで初めて、全員が自分のお客さんだったことに気づいたんです(笑)。

祐真 すでに韓国で人気があったんですね。

田中 アメリカやヨーロッパでリリースしていたからですね。韓国には徴兵制度※4があるので、その影響で海外へ留学する人も少なくないみたいで。留学先の北米やヨーロッパで僕のレコードを買った子たちが、韓国へ持ち帰って流行っていたようなんです。日本で韓流ブームが起こる以前に、日本人DJブームが韓国で起きていました。一番人気があった時は、訪韓時には僕にSPが3人ついていたほどです(笑)。

祐真 それはすごい(笑)!アジアでウケる音楽とはなんだったのでしょう。田中さんがNYで廻していた頃とは違いました?

田中 アメリカ・ヨーロッパを頻繁に回っていた頃から時代も変わっていたし、僕自身の気分も変わっていたので、もう少しDJ的な4つ打ちハウステクノにシフトしていました。でも、韓国でウケていたのはメロディだったりハーモニーだったりとか、いわゆるヨーロッパで人気だったダンスミュージックとは違う音楽だったように思います。それを日本人が作っていることでウケていたのかなと。ほどなくEDMの登場で、立場が韓国と逆転していくわけですけど。僕が韓国で人気があった頃、VERBAL※5と一緒にFPM-floとして大きなフェスに出たんです。僕らの前の出演者のステージにはお客さんが5、6人しかいなかったので、これはマズいなと思っていたのですが、僕らが出たらどんどん人が集まってきて最終的に1万人ぐらいになってホッとしました。僕らの出番が終わると出てきたのがデビューしたてのビッグバン※6。当時は僕らのほうがウケてたんですよ。そういう転換期を韓国と日本で見ていた気がしますね。

Page02. 50歳を越えて文章を書くことが楽しいと思えるようになってきた



1 バート・バカラック
(Burt Bacharach/1928-)アメリカの作曲家、音楽プロデューサー、シンガーソングライター。ポピュラー音楽の世界において、作曲家として常にそのトップに立ち続けてきた人物で、音楽史に残る名曲を数多く生み出したことで知られる

2 『The Fantastic Plastic Machine』
1969年に製作されたサーフィンのドキュメンタリー映画。歴史的シェーパーとして、革命的ラインを描いたサーファーとして、レジェンドと呼ばれるスキップ・フライ、ナット・ヤング、ボブ・マクタビッシュ、ミッキー・ムーニョス等の原点を映し出した作品。Fantastic Plastic Machineとはサーフボードのモデル名のこと

3 「beautiful.」
田中知之氏のソロプロジェクトFPM(Fantastic Plastic Machine)が2001年1月にリリースした3枚目のアルバム

4 徴兵制度
国家が一定年齢の国民に兵役義務を課して、強制的に軍隊に入隊させる制度のこと。志願兵(募兵)制度の対義語

5 VERBAL
日本のMC/DJ/音楽プロデューサー/デザイナー。m-flo、TERIYAKI BOYZ、PKCZ®、HONEST BOYZ®のメンバー。アーティスト活動のほか、グラフィックデザイナーでパートナーのYOONと共にファッションブランドAMBUSH®も経営する

6 ビッグバン
2006年にデビューした、韓国出身の5人組男性アーティストグループ。日本では09年にCDデビューし、日本でK-POPブームを巻き起こした立役者とも言われる

ABOUT
SUKEZANE Tomoki

1965年京都市生まれ。(株)マガジンハウスのPOPEYE編集部でファッションエディターとしてのキャリアをスタート。現在は『UOMO』『GQ JAPAN』『Casa BRUTUS』『MEN’S NON-NO』『ENGINE』等のファッションページのディレクションのほか、著名アーティストや文化人の広告のスタイリング等を手掛けている。パリとミラノのコレクション観覧歴はかれこれ25年以上。   Born in 1965 in Kyoto, Japan. He started his career as a fashion editor at POPEYE magazine of Magazine House. Currently, he is working on various magazines such as UOMO(SHUEISHA), GQ(Conde Nast Japan),Casa BRUTUS (Magazine House), MEN’S NON NO (SHUEISHA), ENGINE(SHINCHOSHA)and he is setting styling people such as artists and […]