MOVIE│ファッション界に君臨した天才女性エディター『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』
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2014年12月15日

MOVIE│ファッション界に君臨した天才女性エディター『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』

MOVIE│50年にわたりファッション界に君臨した天才女性エディター

ドキュメンタリー『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』

幾多の伝説とともに20世紀のファッションをつくりだした天才女性エディターを描いたドキュメンタリー『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』が12月22日(土)から全国公開される。

Text by YANAKA Tomomi

ダイアナの孫と結婚したリサ・ヴリーランドが監督

ファッション、アート、音楽──。すべてのカルチャーがダイナミックかつ刺激的に変化しつづけた20世紀において、華麗なるファッション界の中心に50年間にもわたって君臨したダイアナ・ヴリーランド。「ハーパース・バザー」のカリスマ・エディターとして1937年から25年間、革新的な誌面をつくりつづけ、1962年にライバル誌である「ヴォーグ」の編集長に就任、輝く才能を次つぎと世に送り出した。晩年、メトロポリタン美術館の衣装研究所の顧問に就任してからも、いくつもの衝撃的な衣装展を成功させるなど、晩年まで意欲的な活動をつづけたことで知られている。

そんな華やかな経歴だけでは語りきれないこの稀有なる女性の生涯と、創造の秘密に迫る本作を監督したのはダイアナの孫と結婚したリサ・ヴリーランド。ダイアナ本人が“地獄の庭”と呼ぶ真っ赤なリビングルームで、自伝出版のために受けたインタビューをもとに、貴重なアーカイブとセレブリティや親族へのインタビューを丹念に整理し、初監督作品にして、緻密なドキュメンタリーを完成させた。

「いい人生はひとつだけ。自ら望み、自らつくる」

1903年にパリで生まれたダイアナは、華やかなベル・エポックの時代にモダニズムやアール・ヌーボーの洗礼を受けて育つも、第1次世界大戦のはじまりとともにアメリカへ。家族との複雑な関係や英語が話せないなど辛い状況のなかで、ダイアナは後の成功を決定づける「いい人生はひとつだけ。自ら望み、自らつくる」という哲学に目覚めていく。

その後、19歳で出会ったハンサムな銀行家リード・ヴリーランドと結婚。この時期にはシャネルとの交流も深めている。1936年にニューヨークに帰還したダイアナは「シャネルを個性的に着こなしたそのセンスが魅力」という理由のみで雑誌「ハーパース・バザー」のコラムを任される。『なぜやらないの?』という挑発的なタイトルのコラムが、常にあたらしい経験とヴィジョンを求めておそれずに進んだ彼女の人生を象徴する出発点となった。

そんな彼女をファッションの女帝たらしめたのは、美と才能を見極める傑出した“目”とずば抜けた創造性をもっていたから。大きな鼻も長すぎる首もそばかすも、短所すらチャームポイントとして見せる手腕は独創的ですらあったという。

 

 

また、ダイアナは“ミニスカートの女王”と呼ばれたツィギーをロンドンから呼び寄せ、シンガーとして大ブレイクしたシェールやミック・ジャガーを見出し、マノロ・ブラニクに「靴のデザインをしてみれば?」と提案するなど、その伝説には枚挙に暇がない。そんなエピソードを彩る著名人たちへのインタビューもこの映画の見所のひとつといえるだろう。

いま見てもなお新鮮で刺激的なダイアナの偉業。そして、心の扉を開き、想像力とファンタジーの力を信じて夢を見つづけたひとりの女性の生涯は、夢を見ることが困難なこの時代に、あらたな発見と冒険に飛び立つ勇気をあたえてくれる。

『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』

12月22日(土)から、シネマライズ、TOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国順次ロードショー

監督・製作│リサ・ヴリーランド

出演│ダイアナ・ヴリーランド

配給│シネマライズ×ギャガ

2012年/アメリカ

           
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