「ソー・エルメス」への旅|祐真朋樹
祐真朋樹の「ソー・エルメス」への旅(1)
障害馬術の国際大会「ソー・エルメス」。その第10回目となる大会が3月22日から24日まで開かれ、最高峰の戦いが繰り広げられた。僕はそれに招かれ、人生初の「ソー・エルメス」観戦の機会を得た。
Photographs & Text by SUKEZANE Tomoki
■1日目
「ソー・エルメス」は障害馬術の一種で、障害飛越のエリートがグランパレに集結して競技を争う重要な国際大会。国際馬術競技で最も難易度の高い「CSI5★」レベルだそうだ……と聞いてもちんぷんかんぷんなのだが、かねてから乗馬に対する憧れは強く持っていたので、貴族の伝統を受け継いだ馬の競技を観戦できるのかと、年明け早々に気分が高揚した。
出発間近になってスケジュール表を見ると、また一段と気分が上がる。今回の旅は、まずロンドンで2泊。そこでエルメスのメンズコレクションのランウェイを見てから、ユーロスターでパリへ移動、というスケジュール。
ロンドンではランウェイの観覧以外に、ホワイトキューブへ行く予定が組み込まれていた。宿泊先は過去に2度泊まったことがあるザ・サボイ。今は団体の観光客なども目立つ大型ホテルだが、ロビーやバーの内装、そして客室の至るところに、伝統と格式が築き上げた趣が残っている。そんなザ・サボイでビスポークした服に着替え、ディナー前にバーでカクテルを頂けば、もう気分はオールド007。それがなかなか愉しい。ユーロスターに乗るのも、かれこれ11年ぶりだった。ますます期待が高まる。
到着した日の夜は、ホテル近くのレストランでディナー。各国から来たプレスと一緒に徒歩で向かう。大人の遠足気分で微笑ましい雰囲気。ほどなくPetersham Nurseriesに到着。店はガーデンニングショップ内にレストランスペースがあるナチュラルな作り。団体で歩いて行くというピクニックのような演出も功を奏し、みんな気分が和らいだ状態で店に入った。ウエルカムシャンパンを1杯やってからテーブルへ。
日本人プレスのテーブルは決まっていたが、フリーシートだったため、一瞬どこに座るか戸惑う。僕は最初にテーブルに着いたので、とりあえず一番奥の席へ座った。店内を眺めていると、11年前にリッチモンドにあるPetersharm Nurseriesの本店に行ったことを思い出した。その時は、家族3人でロンドンへ来たのだが、彼女が下調べした結果、一番行きたい店がそこだった。70年代からロンドンに住んでいる友人も一緒だったが、「こんな場所に、こんな店があるのね!」と驚いていた。
生まれて初めてオーガニックシャンパンを飲み、大きな畑のあるガーデン内で食すランチ。気分爽快で素晴らしかったことを思い出した。それが今やロンドンのど真ん中、コベントガーデンに洗練されたかたちで支店が存在している。改めて時の流れを感じつつ、腕時計に目をやった。
今回のソー・エルメスツアーに参加するにあたり、何かエルメスの服を着て行こうと考えて、出発直前に銀座の店でマスタードイエローのパンツとリネンの白いハンカチを購入した。
パンツは、僕が20年近く前に買ったエルメスの黒いトレンチコートに合わせようと考えた。リネンの白いハンカチは透明感があって美しく、一目惚れ。普通の白いハンカチだけど、「実はエルメスなんです」ってところに惹かれて衝動買いをした。
が、この日のディナーで身につけたエルメスアイテムは服ではなく、約15年前にフォーブルサントノーレのエルメス本店で購入した腕時計だった。僕が持っている腕時計では最も高級で一番派手なデザインだ。購入したのはパリに撮影で行ったときのこと。到着したその日のことだった。つまり、時差ボケのダルさを残したまま、空港からロケ場所の下見に直行し、その後ホテルへ行ってブランチ。
その日は、夜のフィッテイングまで時間が空いたのでブランチにシャンパンを抜いたため、かなり酔いが身体にまわっていた。そしてその状態で、気分が上がったまま、エルメス本店へ。パリへ来る前、雑誌でエルメスの新しい腕時計広告を見て、文字盤のデザインに注目していた。時計売り場がある二階へ上がり、目的の時計がないかと探したが、なかなか見つからない。いよいよ最後のショーケースだな、と思って覗くと、なんとそこに目当ての時計が鎮座ましましていたのである。
僕は思わず、「あっ!これだ」と大きい声を発した。ワクワクした目(おそらく)でショーケースを覗いていると、年配で落ち着いたフランス人女性のスタッフに、「お試しになる?」と声をかけられた。体内のアルコールが僕の背中を押して、その後数分のうちに購入に至った。ベルトの色を茶色にしたかったが、その時は赤しかなかった。でも、なにしろ僕は酔っ払っていたので冷静な判断がつかない。「使っているうちに渋くなるだろう」と都合のいいように考え、赤いベルトを買ってしまった。
東京へ戻って案の定、その赤の派手さを気にしていたら、彼女から「似合わないよ」の一言。本質を突かれた。それ以降15年ほどマイ・クローゼットで冬眠していたが、今回の旅では、持っている限りのエルメスを身につけたいと思って引っ張り出してきた。自分も歳を重ねたからか、赤の派手さもしっくりしてきたような気がした。時が解決してくれたなと思っていると、「この買い物は失敗ではなかったんだよ」とどこからともなく、買い物の悪魔に優しく囁かれた気がした。
席に着くと、ふたつの思い出が立て続けに蘇り、旨いラムステーキを噛みしめるまでは、何を食べたか憶えていない。ワイワイと騒がしく声がこだまし、ナイフ&フォークの音が響く中、ひとり思い出に浸って旨い肉と赤ワインを口に運ぶのは心地いいものである。その日は、そのままほろ酔い状態でホテルへ戻り、シャワーを浴びて寝た。
■2日目
お約束の時差ボケで4時半に目覚める。僕は悲惨なまでの時差ボケ体質。20代からサプリはもちろんのこと、食事制限、酒、スポーツとありとあらゆる方法で時差ボケ解消に努めてきたが、どれもこれも奏功せず。結局、時差ボケ脱却は諦め、40歳以降は時差ボケをライフスタイルとして受け入れることにした。スギ、ヒノキ花粉にも22歳から悩まされてきたが、これも40を過ぎてからは無駄な抵抗はしなくなった。
昨日は到着早々にディナーへ出掛けて、酔って帰ってすぐ就寝。さすがにアンパッキンは済ませていたが、机に置かれていたエルメスからの案内状など、諸々をチェックしていなかった。早速寝起き頭のボケボケ状態で、ひととおり目を通す。この日の予定は、朝からホワイトキューブへ出掛けて、ランチはイタリアンレストラン、そして夜のランウェイコレクション観覧後にパーティ……という段取り。
夜のパーティは着席ではないので、ランチはしっかり食べておいた方がよさそうだ。スケジュールの確認後は、締切り間近の某誌の連載原稿に取りかかり、2時間程で書き終える。バスタブへお湯をために行き、再び机へ戻って東京の編集者とラインで仕事のやりとりをしていたら、バスタブのお湯が溢れて部屋ギリギリのところまできていた。危なかった。間一髪セーーーフ。慌ててバスルームのタイル床にたまったお湯を必死で流し、タオルでも床を拭き取る。あっという間に時差ボケの気だるさが吹っ飛んだ。
その昔、一緒にロンドン取材に来た編集者が、バスタブにお湯を入れようと蛇口をひねったままベッドでウトウトしてしまい、気づいたら部屋の床がプール状態になってしまった事件を思い出した。最終的には旅行保険が下りたらしいが、相当な金額を払ったと聞いた。その時はドジな人だと思ったが、自分もやりかねないタイプだと悟った。汗を拭いながら、お湯を拭いたタオルを力一杯絞り続けた。気がつくと、いつの間にか9時をまわっていた。イングリッシュブレックファーストを食べ損ねたが、特に空腹感もない。冷蔵庫にあった冷たいコカコーラを一気飲みしてシャワーを浴び、熱々のバスタブにつかった。
風呂から上がり、髪を乾かすとホテル周りを散歩したくなった。ロビー集合15分前だったが、ホテル周りをウロウロ。出勤途中らしき人々が歩いてくる波に逆らうように歩いていると、その先に駅があった。なるほど、みんな駅から出て来てたのね。路地裏へ入ると、バーバーを発見。90年代、僕はロンドンの床屋は格好いい!という印象を持っていた。古臭いビルの部屋に椅子が一つだけあって、とびきりカットの上手い職人がいる。そんな印象。今もそんな店はあると思うが、その店は今風であった。ニューヨーク、ロンドン、東京……大都市で見かける、ナウなバーバーだった。
ロビーへ戻り、みんなとホワイトキューブへ。今回見に来たのはトレーシー・エミンの個展。個人的には、こうやって誘ってもらわなかったら見に来なかったと思う。彼女自らの悲痛な体験をダイレクトに写真、画、詩に表現し、それらを一気に集めた空間。そこで約1時間を過ごした。
病みの重さがのしかかってくるようだった。見ている時は「素敵な絵」だとか「いい写真」だとは感じなかったが、見たものすべてが今も脳裏に焼きついているということは、強烈なインパクトを持った作品群であったことは間違いない。深淵な魔力に包まれた個展だった。作家自身の映像や写真、絵を見ると、着るものに気を遣っているアーティストだというのがわかって興味深い。軽い表現になってしまうがトレーシー・エミンは「お洒落な人」だ。これは僕的には大切なことで、アーティスト、建築家、音楽家などなど、着るものに気を遣っている人だと興味が倍増するのである。
ギャラリーを出て、暫しのインスタグラムタイム。ながらスマホでリムジンに乗る。朝からコカコーラ一杯だったので、さすがに腹ぺこ。Café Muranoへワクワクの移動である。ロンドンのイタリアンレストランは、パリと比べるとレベルは高い。だいたいの店がパスタはアルデンテ……のはず。だが、僕はこれまでの経験上、どうしてもイタリアと日本以外でパスタを頼む勇気はなくて、パスタはパスして肉を頼むことにしている。
この日も迷わずマッシュルームのサラダとビーフのタリアータを頼んだ。デザートはティラミス。が、その後、隣のイギリス人男性が太めのパスタを食べているのを見て、ちょっと興味が湧いた。
なんだか、イタリアンマフィアが食べてそうなパスタなのだ。お皿からパスタの端が飛び出している。ちょっと心が揺れた。
ランチで空腹を満たして大満足。その後は自由行動だったが、ホテルへは戻らずテートモダンへ。
夜のパーティはロビーに7時集合だったので、フリータイムが2時間程あった。
テートモダンではジェニー・ホルツァー展を鑑賞。なんと無料だった。彼女の電光掲示を使ったワード・アートが好きだ。動く電光掲示を眺めていると時間を忘れる。
そして7時にロビー集合。日本を出発する前日に買ったエルメスのマスタードイエローパンツに、20年ほど前に買った黒いトレンチコートを合わせ、15年ほど前に買った腕時計をはめた。不自然な気もしたが、パーティは変な格好の方が面白い。
コレクションでは、日本人として唯一モデルとして出ていた内田雅樂君に注目した。表情、歩き具合などすべてが初々しくて爽やかな気分になった。エルメスのブランドイメージにもぴったりに思えた。
その後、パーティ会場ではフェニックスのライブがあり、シャンパンはルイロデレールが振る舞われた。POKITのデザイナー、バイオード・オデュオールと偶然の再会をして盛り上がった。後は、あんまり憶えていない……。
祐真朋樹の「ソー・エルメス」への旅(2)
■3日目
ロンドンで迎える二度目の朝は、どうしても朝食が食べたかった。なので、昨夜のシャンパン酔いの残りに、熱い朝風呂と強いシャワーで立ち向かう。その後、ロビー横にあるレストランへ。庭を眺めながら熱いイングリッシュブレックファーストティーに暖かいミルクを入れて、ゆっくりとスプーンで混ぜる。三角のブラウントーストにバターを塗り、蜂蜜をたっぷりかける。まず、紅茶を一口、次にトーストをがぶり。そして再び紅茶。これを暫し繰り返して、二杯目はミルクなしの紅茶にする。二枚目のトーストはバターのみにして、ソーセージ、ベーコンフライドエッグ、トマトにポテト……。ゆっくりとノンストップ攻め。合間にフレッシュオレンジジュースと炭酸水を飲み、最後に再びストレートティーで締めた。
30年前にロンドンに初めて着た時は、サマセット・モームの「ロンドンで美味しいものが食べたいなら、三食ともブレックファーストを食べるといい」という名言がぴったりだと思ったものだが、今やランチもディナーも美味しい店はたくさんある。
モームの言葉も今となっては神話か都市伝説のように思えた。朝食後、そのままホテルを出て周辺を10分ほど散歩してから部屋へ戻る。荷物を詰めて、ロビーへ。
今日はパリへ移動である。ユーロスターに乗るのは、「もしかしたら初めてだったっけ?」と思えるほど久しぶり。
ホテルを出てセント・パンクラス駅へ向かう。この駅はキングズクロス駅と繋がっていて、そういえば11年前にもパリからユーロスターで来たことを思い出した。キングズクロス駅と言えば、あのハリー・ポッターで有名な駅。
ハリー・ポッターにはまっていた息子がまだ小学生の時に、9と3/4番線ホームを見に行ったりもしたな〜。懐かしい。到着すると、直ぐに出国審査をして荷物検査を受けた。トランクも全て手荷物扱いになるから、電車に乗り込むまでが大掛かり。大きなトランクを検査台(高い)に乗せるのが一苦労なのである。が、大変そうにしていると、前後にいる人たちの救いの手がスムーズに出てくる。さすが、ジェントルマン&ウーマンの国である。
電車に乗ると、向かいの席はGQの鈴木編集長だった。久々にいろんな話をして楽しかったが、最も印象的だったのは、ユーロスター内(1等席)で出される食事についてだった。まず、前菜が出てきて、ワイン、ビール、ソフトドリンクが選べ、その後に温かいメイン料理が2種類から選択でき、最後にデザートまできっちりと出てくる。まるで、飛行機のビジネスクラスである。列車からの眺めも最高で、とても有意義な時間が過ごせた。
鈴木編集長、「こんなサービスは新幹線では味わえない」「とても人間らしくて素晴らしい」と絶賛。僕もその話を聞いて、改めて「言われてみればそうだな」と感じた。思えば昔は新幹線にも食堂車があったな〜。サービスの内容には大きく差があるが、食堂車に行けば温かい食事ができたし、ビールやウイスキーも頼めばきちんと出てきた。新幹線の食堂車は何故なくなったのだろう?
温かい食事、グラスで飲むワイン、ほんの2時間少々の旅だが、単に移動するだけとは違う「いい時間」が過ごせる。なんならユーロスターに乗るためだけに渡欧するってのもありかも。そう思えるくらいの快適さなのだ。日本には駅弁の愉しみもあるが、それとはまた違ったお・も・て・な・し(古い!)を感じた。
パリの北駅へ到着し、ホテルにチェックイン。その後はすぐにグランパレへ。
エルメスの鞍職人が最新作の鞍を並べてプレゼンテーションしているブースへ行く。エルメスならではの上品なオレンジとイエローを使ったブースには、これ以上ない爽快感が漂っていた。
新しく発表された二つの鞍は、美しくスタイリッシュ。
実際にこれまで鞍を見比べたことなどないが、その二つの鞍は圧倒的に美しかった。職人は、「騎手が跨がった時に、鞍に乗っているのではなく、限りなく馬の背に乗っている感覚になるよう作っている」と、何度も繰り返し言っていた。
限りなく馬に跨がっている感じか〜。つまり、裸馬に乗っている感じなのだろう。
僕もいつの日か颯爽と馬に乗りたい願望を持っている。
実は過去に数回だけ乗馬経験はあるのだが、裸馬に乗ったことはない。人馬一体となって命がけの危険な競技に挑む、騎手と馬の関係は興味深い。
それを繋ぐ鞍が人の手作業によって作られていることに、心を揺さぶられる。
職人を囲んだプレスインビューを終えてからは、障害競技の予選を軽く見物。
どの馬も艶がいい。丁寧にブラッシングされているに違いない。何の予備知識もなくいきなり見たのでルールは理解できなかったが、騎手たちの緊張感のある姿勢や表情に感動を覚えた。
その後はグランパレを後にしてホテルへ。ホテルはグランドホテル ド パレロワイヤル。パレロワイヤルの真横にある、プチな可愛いホテル。シャワーを浴びてディナー行きへの準備を整えた。
AGESに来たのは初めてだった。それほど空腹ではなかったのだが、コースメニューはどの皿も味、量ともに絶妙でペロリと平らげた。シェフ自らによる料理の解説など、献身的なサービスが印象的だった。
最初に「それほど空腹ではないです」などと曖昧な自分の空腹状態を説明したのだが、それだけで絶妙な量感をアレンジしてくれた。軽くて美味しい印象が残った。今度は少人数で来たい。
食事の後はホテルへ戻り、昼間ユーロスター内で鈴木編集長の話に出た堀田善衛をグーグルで調べてみた。興味深くてあっという間に2時間が過ぎ、ベッドへGO。
祐真朋樹の「ソー・エルメス」への旅(3)
■4日目
朝からフォーブルサントノーレにあるエルメスの店へ。4階か5階にある、エルメスのアーカイブ品や過去に歴代のオーナーが収集してきたヴィンテージ品の数々が展示されている部屋を案内してもらった。宝の山を探検しているような時間であった。
ナポレオン時代に将校が使っていたという、身の回りの小道具を全ていれるケースが圧巻だった。手鏡、グラス、パイプ、ペン、レンズ……その他もろもろの必需品が無駄なくコンパクトに収納されているレザーのボックスで、それがとにかく素晴らしかった。開けるとビッシリと無駄なくアイテムが収まっている様がエレガントこの上ない。当然、たやすく運べるものではないが、他に代えがたい持ち物を大切に運ぶ行為に痺れた。
使い捨ての物は存在せず、こだわり抜いた最高のものを大切に使うスタイル。そこにすこぶる憧れがある。「使い手が見えない部分も心地よくするのがラグジュアリーなのよ」と案内してくれたエルメススタッフが説明してくれた。その言葉は今も時折頭に響いてくる。
その後はグランパレで競技の準決勝を観覧。
会場でランチをとる。このランチ会場が広大で面白かった。半端ない観客数の胃袋を全部満足させるための料理が揃う。肉、魚、貝、サラダ、フルーツ、デザートと、あちこちに作りたての料理が並ぶ。それらをバイキング形式でピックアップ。屋台街のように、ブースごとに料理があるので、長時間待つこともなく、食べたいものを見つけたら少し並んでピックアップするのだ。客の数も凄いが、テーブルや席もたっぷりあるので焦らなくても大丈夫。大な数の客がいるにも関わらず、上手い具合に収まるようになっているのが見事だと感心した。
心ゆくまで競技を見てからは、エルメス本店へ買い物に。自分への土産(?)として、シルクの幾何学模様の生地を使ったジップケースを2つ購入。出張の際、機内持ち込み物入れに使うつもり。その後はホテルへ戻って暫しシエスタ。起きたらシャワーを浴びて、ディナー仕様へと正装する。
大晩餐会もグランパレで行われた。グランパレでディナーなんて初めての経験だ。ダークスーツに身を包み、エルメスの時計をはめて参加。入口、階段、エントランス、そしてカクテルスペース、テーブルスペースと、それぞれ違ったポップカラーでライティングしているのが心地よかった。カクテルスペースとテーブルスペースを仕切るスクリーンが生花で構成されたオブジェなのもイカしてた。
同じテーブルにエルメスのスタッフがいて、僕の腕時計を見ながら「このシリーズは今や生産していない稀少なものですから大切にして下さいね」と言った。なんだかお宝発見のように言われて気分が上がった。
食後に、昼間の競技場周りを歩く。昼間の喧噪とは打ってかわって、夜の静けさを纏った競技場は穏やかでクールだった。
■5日目
この日は決勝を見て帰国の途へ、という予定。まずはホテルのチェックアウトを済ませて、そのままランチへ。パリ最後の食事は北アフリカ料理店「Chez Omar」でのランチ。ジモティーが並ぶ人気店である。もちろんクスクスが評判なのだが、僕はメインをフィレステーキにしてサイドディッシュをラタトゥイユにした。クスクスは向かい側に座っていたCasa Brutus誌の編集長にお裾分けしてもらった。確かに、どれもこれも美味しい。威勢のいいスタッフの声など店の雰囲気が食欲をますます増長させた。
ランチを終えてグランパレへ向かう。再び緊張感の高まる競技場へ。昨日、一昨日と同じ状況のはずだが、決勝は客席がさらに華やかなムード。騎手や馬のボルテージも一段と上がっているように感じた。競技前に行われたスペクタクルな馬術も、一瞬だが見ることができた。ちょっとゆっくりランチを取り過ぎたかな……。
白熱する決勝はフライト時間の関係で最後まで見ることはできなかったのが残念。僕はグランパレを後にしてから、エルメスが主催している10年目の「ソー・エルメス」を観戦しに来たこの4日間を振り返っていた。忘れていたことを沢山思い出せて、新しいことにもたくさん出会えた旅だった。何故か吉田拓郎の「元気です!」が頭の中に流れてきたパリの夕暮れであった。