第16章 止まらない「官から民へ」のうねり
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2015年5月7日

第16章 止まらない「官から民へ」のうねり

第16章 止まらない「官から民へ」のうねり
このままでいいのか

文=今 静行

“民営化推進”のひとり歩きと疑問点

すったもんだの末、今秋10月に郵政民営化が実施されましたが、その後も「なんでも民営化ありき」の風潮が続いております。

民営化の推進とは、ヒト、モノ、おカネを効率的に動かす経営を目指すことに尽きます。親方日の丸的な官僚依存体質から脱却し、より行きとどいたサービスを提供しようということです。このため徹底した効率主義、成果主義の経営が求められます。当然ですが、採算の合わないところは切り捨てることになります。郵政民営化をめぐって百家争鳴の状態が続き、なかなか結論を出せなかったのは、それなりの背景、根拠があったからです。

アメリカでは、空港はもちろんのこと、刑務所さえも民営化花盛りです。日本でも最近、初の民営刑務所が誕生し大きな話題になりました。アメリカ、日本を問わず、「民営化がベスト」というかんがえに疑問をもつひとたちも多いと思います。政府の役割と私企業活動の役割を、あらためてしっかり議論する必要があります。

経済学に出てくる「夜警国家」とは

経済学を系統的に学んでいく過程で「夜警国家」という項目が出てきます。

経済学の始祖といわれるアダム・スミス(1723-1790年)は、不朽の名著『国富論』(1776年刊行)で、国家の任務は、国防、司法、教育や最小限の公共事業などの機能だけにして、それ以上のことは民間にゆだねるべきだと主張しました。

この理論は、のちにイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946年)によって徹底的に批判されました。ケインズは、自由放任主義を否定し、国家が積極的に財政支出などを行い、失業、不況を克服しようという「国家介入」を最重要視した経済学を築き上げ、各国に大きな影響をあたえました。
戦後の日本経済はケインズ経済学を基調にしてきました。現在も強い力をもっています。

とくにドイツの国家社会主義運動の指導者フェルディナント・ラッサール(1825-1864年)は、アダム・スミスの『国富論』を“安上がりの政府=「夜警国家」”と名づけ批判しました。つまり、“安上がりの政府”とは、政府が強盗や盗みを防ぐことを職分とする、ただの夜警になることであり、弱肉強食を許すことにほかならないと反論しました。

現在の資本主義国家は、公共部門と民間部門が混在する混合経済体制を採っています。大切なのは、官には官の役割があり、民には民の役割があるということをよく理解し、私たちが安心して生活できるために協力し、知恵を出し合うことなのです。

投資家保護を貫いてほしい“官”――ある証券マンの本音

つけ加えておくことがあります。大手の生命保険会社や損保会社のなかで、保険金不払いが多発し、加入者に多大な迷惑をかけていることが明るみに出ました。

私たちの記憶にはっきり“不正”が焼きつけられました。「信用第一の生損保会社がまさか」と受け止めるひとたちがほとんどだと思います。保険会社は新聞に謝罪報告を載せたり平身低頭です。これは、官である監督官庁(金融庁)の摘発があったために表面化したひとつの例です。

いま金融庁は、不動産取引の正常化を高め、投資家保護に乗り出しています。これも一例ですが、「不動産ファンド」でも、官の監督により不正を防ごうという動きがあります。不動産ファンドは、投資家から集めたおカネで不動産を買い取り、賃貸収入や売却益を分配するという新しい金融商品で、その規模は14兆円に達しています。

国民生活を乱すもの、ことを、“官”が法的な力で防ぐのは当然です。官には官の役割があるのです。どんなときでもしっかり国民の立場で官は働くべきです。

私の知人である大手の証券会社役員が、ある日こう本音をもらしました。
「官庁サイドから、ああだこうだと文句をいわれることが多すぎる。イヤになってしまう」
少し間を置いて、
「もっとも、監督官庁がなければ、証券会社や銀行はなにをやらかすかわからないところもありますがね」
とやや自嘲ぎみに本音を語ってくれたことを、いまでも鮮明に思い出します。

           
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