第12章 目に見えない国民性の決定的な強味
第12章 目に見えない国民性の決定的な強味
文=今 静行
──経済の生産性を押し上げる心の生産性──
日本人の思考、生活感覚にとまどいを覚える外国人が実に多い。知識人ほどその傾向が目立ちます。
誰でも次のような話を何回か聞いたことがあるはずです。私の友人の一人であるアメリカ人ジャーナリストで東京在住の特派員が、思いを込めるようにして語ってくれた内容を紹介してみましょう。
「赤ちゃんの時はお宮参り、結婚式は教会で、葬儀はお寺で。このようなことに何の抵抗もなく少しの違和感もない日本人──われわれ欧米人にとって本当に不思議な国だと思う」
さらに言葉を続け、「しかし冷静になって考えてみると、日本経済の底を流れている力強さは、案外このへんにあるのかもしれない。我々外国人の物差しでははかれないような“合理性”を、日本人は風土そのものの中に持っているのかもしれない」と、自分に言い聞かせるように話してくれました。
彼の言う“合理性”を経済の場に移して生産性と置き換えてもいいでしょう。目に見えない国民性のようなものが、経済の生産性を押し上げていると考えているのです。「目に見えない日本人の高い生産性」という表現がこの場合適切かもしれません。“心の生産性”といえます。
見落とせない日本自身の持つプラス誘因
はっきりいって日本のように宗教上のトラブルがないとか、人種的差別が少ないというのは、その国の発展にとってはかりしれないほどのプラス誘因として働きます。
日本ではキリスト教信者と仏教徒がぶつかり血を流すというのは全く考えられない。新興宗教といわれるものを含め、社会不安を増長させるようなトラブルは絶対といえるほど起きることはないのです。
たとえば現在成長著しいインドですが、カースト制が牢固として根を張っているため、最新技術を導入しても吸収消化するうえで、宗教上、様々な支障があるため、とても日本のようにはいかない事情があります。
またイスラム教を国教としているようなアラブ諸国では、なにがあっても一日5回メッカの方に向いて礼拝するというような宗教上の習慣は、近代的な工場システムと本質的にマッチしない面があるでしょう。
このように見てくると、外国特派員のとらえ方は一つの正しさを示していると思います。とはいっても、それはあくまで一つの真実にすぎないのですが‥‥。
とにかく日本の決定的ともいえる強味があることをこの機会にしっかり理解することが大切です。
不変の強味と言い換えることもできるのです。繰り返すようですが、なにがあっても生き残っていける素地が日本にはあるということです。
文盲率ゼロの国ニッポンの不変の強味と歴史的背景
四つの強さを改めて確認する大切さ
何があっても日本という国は行き続けて行くことができるのですが、その歴史的背景というか不変の事項を四つ挙げておきます。
(1)教育水準が高い
(2)勤労意欲が高い
(3)人種、宗教、言語にトラブルがない
(4)島国である
諸外国では考えられない日本経済の持っている独自の強さは、この四つに集約できます。
(1)の教育水準の高さと経済との関連から述べてみましょう。日本には読み書きソロバン(計算)ができない人はいません。文盲率ゼロです。教育水準の高さが、ものを理解し、技術を高め、文化を高めるうえで、どれだけ決定的な役割を持っているか、我々日本人にとっては当たり前のことのようになっていますが、改めて評価しなければならないと思います。
私は東欧圏やアジア諸国に技術者として行って来た友人の話を聞いたことがあります。向こうの労働者に比べて、日本の労働者の質の高さに驚いたというのです。欧米各国の比較でも似たことがいえるでしょう。
そこに村があり町があり人がいれば、必ず文教施設や学校をつくるというのが、明治、大正の日本国家の考え方でした。あの貧しい中から国も地方自治体もおカネを教育に投資したのです。
教育は30年、50年では花を咲かせることはできません、やはり100年経って初めて花を咲かせ実をつけることができるのです。「国家百年の計」という言葉がありますが、まさにその通りです。私たちは先輩に感謝しなければならない点が多々あるのです。
評価できる日本人の“勤労意欲”
(2)の勤労意欲ですが、一所懸命やるという気持ちが国民になくなったらその国は終わりです。“やる気”というものが経済にとって不可欠なものであることは先に述べましたが、日本人の勤勉性は風土のようなところがあります。残業をいとわないとか、当たり前という習性をひとつ取り上げてみてもうなづけると思います。
もちろん、不十分な福祉制度や、退職時とリンクしない年金制度の現状など将来の大きな不安もあって働かざるを得ないという一面もあります。このことを否定できません。
もっともただ働くばかりで一生を過ごせばいいというものではないし、結局どこかでラクをしなければいけないのですが、国民に働く意欲がなくなれば国力が衰退し疲弊します。そうなれば国民生活は苦しくなるばかりです。国力と国民生活は不即不離の関係にあるのだから当然です。
雑多な宗教と島国はかけがえのない財産
さて、(3)の人種、宗教、言語にトラブルがないことが、国力を高めるための絶対的要件であることについて展開しましょう。
たとえばアメリカにおける白人とアフリカ系アメリカ人(黒人)など有色人種との人種問題は、50年、100年経っても解決することはないでしょう。この問題は別稿で取り上げていますが、はっきりしているのは50年後近くには白人と有色人種の人口構成比は半々になり、その後は有色人種が白人を上回って増え続けていくのです。
行政上のロスもさることながら、私にはアメリカ人同士による心の傷つけ合いは、将来一国の存立、発展にいちじるしくマイナスに作用すると思います。
日本では仏教やキリスト教、ほかの新興宗教を含めて、血を流して衝突するようなことはあり得ません。わが国は雑多な宗教が共存しています。宗教上の争いほど陰湿で根深いものはない。幸い日本の社会には宗教面での根本的な対立はないのです。
金銭で買えない島国の優位性と経済
さらに(4)としてあげた島国の優位性は、どう経済の発展に結びつくのでしょうか。はっきりしているのは海のない内陸部の国はなかなか経済大国になれないという点です。
他国の港を使って原料を荷揚げし、いくつもの国境を越えて自国に運び込んで製品をつくり、その完成品は同じようなコースをたどりながら外国へ輸出することになります。これでは大変なコスト高になることは避けられません。
内陸部の国に比べ、日本のような島国は、臨海工業地帯で輸入した原料を加工し、その港から輸出します。海のない国のコストとは比較しようもないほど安くつきます。日本のような太平洋、日本海、東シナ海、オホーツク海と四面、海に囲まれた日本の絶対的な地理上の有利性は見落とせないのです。金銭で買えるものではないのです。
他にも日本経済は転換能力が高いとか、金融、財政政策が適切であったとか、日本経済発展の理由はいろいろ指摘できますが、いずれもその源流、つまり上述した四つの面を離れては考えられないのです。
敗戦直後の日本は国民の最低生活すら維持できない破局的な事態を招きましたが、今日、世界第二位の経済大国に成長し、いまも維持し続けている背景をたどっていくと、いま挙げた四つの強味に行き着くのです。
日本経済を回顧し、先行きを展望してゆく上での不変の出発点であり、一番重要なことであることを、この際、改めて強調しておきます。