第9章 「平均の原則」的思考の落とし穴
第9章 「平均の原則」的思考の落とし穴
文=今 静行
─一知半解による大失敗に直結─
─どんな時代でもやる気、意欲が決め手─
明治時代にこういう話があります。
数学を学んでいた一人の若い数学者がいました。彼は、ある日小舟で河を渡らなければならない用事ができましたが、そのときフッと数学でいう「平均の原則」を思い出しました。両岸の深さと最深部の水深を船頭にはかってもらい、平均値を出したところ、自分の身長からいって十分徒歩で渡れると判断。帰りの船賃を節約するため河を歩いていったところ、水中に消えてしまったという話です。
これは一知半解がもたらした大失敗のたとえ話であり、小賢しさを強く戒めた一つの訓話です。
身近な例をもう一つ挙げておきましょう。いまここに100人がいるとして、99人が貯金ゼロの貧しい人たちですが、たった一人が1億円の貯金を持っていたら、100人の一人当たりの平均貯蓄額は100万円になります。この数字をベースにしてビジネスを展開したら間違いなく大失敗につながります。
このような教訓的事例をもってきた意図は、戦後の日本は「平均の原則を否定し、覆すことで目覚ましい成長を遂げたこと」をよく知ってもらいたいのです。
経済理論に「比較生産費の法則」と呼ばれる、大変有力な学説があります。これはイギリスの経済学者デビッド・リカード(David Ricardo,1772-1823)が、比較優位という概念を用いて始めて説明したものです。
複数の国が貿易する場合、たとえばA国の生産する製品(財貨)や提供するサービスがB国の製品、サービスに比較して相対的に安価なら、A国は財貨・サービスについて比較優位にあるという。各国が自国の比較優位にある財貨・サービスの生産、提供、販売に傾斜(専門的には「特化」という)して国際貿易を行うことが、各国にとって利益になるという説です。
アメリカを例にとると、繊維、鉄鋼、自動車など多くの業種が、賃金コストなどの面から徐々に比較優位を失いつつあります。このような比較優位を失いつつある業種は生産を縮小し、他の比較優位を持っている国に生産を任せていくことが望ましいし、そうすることによって余裕のでてきた労働力や資源を他の業種に振り向けるようにするのがベストということです。
どこからみてももっともな説であり、肯定の立場をとらざるを得ないでしょう。各国は比較優位の産業に集中するはずです。文字通り理論と現実が一致します。
それでは、戦後の日本経済はどうであったか。見るべき資源が何一つない上に、狭い国土に1億人以上の国民がひしめき合って生きてゆかねばなりません。さらに太平洋戦争のため海外との技術交流が途絶えてしまい、大きく欧米諸国に水をあけられてしまいました。
「比較生産費の法則」でいくと、戦後の日本は労働集約的な繊維産業、雑貨工業などなどに傾斜せざるを得ないことになります。自動車工業や鉄鋼業をはじめることは「比較生産費の理論」からいえば大きく逸脱する狂気の沙汰ということになります。
事実、昭和26年に川崎製鉄が千葉県に鉄鋼一貫メーカーとして進出する大構想を発表したとき、当時の一万田尚登日銀総裁は「アメリカの方が技術も優れており、鉄鉱石や石炭も豊富で安い。経済的な合理性からいっても、日本がやるべきではない。失敗ははっきりしている」と決めつけ、「ペンペン草が生えるだけだ」と確信に満ちて言い切りました。
乗用車の生産についても、まったく同じような見方が有力な国会議員たちから出ました。工場設備、生産方式、どれひとつ取り上げても海外とは比べものにならないのですから乗用車生産は中止すべきだ。そんなことよりも繊維製品を輸出して、その輸出で稼いだおカネで外国から乗用車を輸入することが国策に沿うし、また合理的だという主張を強く打ち出しました。
結果は改めて説明するまでもないでしょう。
日本の鉄鋼生産はアメリカを抜いて、当時の旧ソ連と共に世界第一位となり、乗用車もアメリカを追い落として世界一の生産国となりました。
両産業は、輸出を通して日本経済の牽引力となりました。戦前は「富国強兵」に結集し、とにもかくにも欧米諸国を見返すだけの実績、力をつくり上げました。
戦後は「強兵」という部分は消失しましたが、そのかわり「富国」一本槍で欧米先進国に追いつき追い越そうと猛烈に働きました。富国とは経済力そのものです。
その意気込みは経済学の比較生産費などの理屈を吹き飛ばしました。一言で言えば、日本国民の“ヤル気”の成果であり、ひたすら重工業国家を目指した官民ならびに労使の一体化の成果だと言い切れます。
過去の延長戦に立ったもっともらしいというか、ありきたりの方針を吹き飛ばして、ヒトと同じことはやらないぐらいの決意をもって進んでほしいと思います。