小木"Poggy" 基史「セレクトショップの未来はどこへ向かう」|UNITED ARROWS & SONS
FASHION / MEN
2016年8月1日

小木"Poggy" 基史「セレクトショップの未来はどこへ向かう」|UNITED ARROWS & SONS

UNITED ARROWS & SONS|ユナイテッドアローズ&サンズ

バイヤー 小木"Poggy" 基史

セレクトショップの未来はどこへ向かう(前編)

UNITED ARROWS & SONS(ユナイテッドアローズ&サンズ)の指揮を執る小木"Poggy(ポギー)"基史氏。いまでこそ業界では知らない人がいないほどの名物バイヤーだが、彼がどのようにして東京のファッションシーンを牽引する一人となったのか、そのルーツを探った。

Photograph by OPENERSText by OPENERS

バイヤーへの道は1日にしてならず

小木さんは1976年生まれというから、今年40歳になる。いまでこそ業界では知らない人がいないほどの名物バイヤーであり、いまの東京のファッションシーンを牽引する一人と言えるが、ここまでの道のりはなかなかにドラマティックだ。

「札幌の出身で高校生くらいからファッションに目覚めて、藤原ヒロシさんとかNIGO®さんとかに 憧れていまいしたね。服飾の専門学校に入りデザイナーを目指したんですが、ミシンが下手でデザイナーは早々に諦めました。それでもファッションの仕事がしたかったんですが、たまたま友人がユナイテッドアローズの有楽町店にアルバイトの空きがあると教えてくれて、それで応募するために東京に出てきたんです。まさに20歳の時です」

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小木"Poggy" 基史氏

根っからのファッション好きとは言え、当時の小木さんはストリート系のスタイル。ユナイテッドアローズに関してもクロムハーツとポーターを扱っているのだという程度の知識しかなかったというから驚く。

「穴の開いたデニムを履いて店頭に立って怒られたりしてましたね。その後、有楽町店から新宿に移り、その頃からショップスタッフが雑誌によく出るようになって。当時プレスだった酒井武さんに自分も出たいと!と提案書とともに直訴してみたり」

とにかくセレクトショップが大ブームであった時代。

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「とにかく忙しかったし、帰りには一杯飲むし、服は買い続けるはで、当然金欠で。当時赤羽に住んでいて、電車で寝過ごして4時間かけて歩いて帰ることもしばしばでしたね」

若さゆえの無謀さも、いまの自分につながっているのかもしれない。

「そんなこんなで(笑)、雑誌にもちょこちょこ出させてもらえるようになり、がむしゃらに働いていたのですが、さてこれから先どうしようかと考えていた時、プレスになりたいといろんな人に相談したりしていて。その後原宿にあったBlue Label Storeに異動になり、しばらくして酒井さんが呼んでくれてプレスとして働くことになりました。最初は右も左もわからなく、スタイリストの先輩方は怖いし、誰もリースに来てくれなくて焦りましたね」

憧れていただけのプレスと実際の仕事との差にどぎまぎしながら、それでも持ち前のエネルギーで突進した新人時代。そこに大きな転機が訪れる。

「25歳の時に初めてニューヨークに行きました。その時に街の至るところでHip-Hopが流れていて、一発で魅了されちゃいました。それまではロック一辺倒だったのですが、その頃(2000年代初頭)のニューヨークではファレル・ウィリアムスやアウトキャスト、カニエ・ウエストたちがそれまでのストリート感満載のダボダボな服からトラッドアイテムを着崩すようになっていて、ちょっとショックを受けました。日本はというと、ストリートはストリート系のショップで、セレクトショップはセレクト系のアイテムを扱うという色分けがなされていて、それじゃつまらないと考えるようになりました」

その直感を信じるところが 小木さんの快進撃の源なのだろう。「それで帰国してすぐに社内プレゼンを行って通り、トラッドとHip-Hopをミックスさせた”Liquor,woman&tears”(LWT)をオープンさせました。そこでディレクター兼バイヤーを初めて経験したことが大きな転機になりました」

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ただそこだけで終わらないのが小木氏が”Poggy”たる所以だ。「当時アメリカのストリート系の展示会にバイイングに行っても、誰も自分のことを知らないし、覚えてくれないと相手にもされないので、服装もどんどん濃くなっていって(笑)。日本でもHip-Hopシーンでは初めて会う人が多かったので、クラブに行くときは必ず蝶ネクタイをしていったんですよ。で、“あーあの蝶ネクタイの奴ね”と覚えてもらったり」。

独特のコミュニケーションの手段も自分自身のファッションの仕事と結びついて、自分自身も進化するという、なかなか真似のできない手法が今日まで続いている。

そんなこんなでひたすら頑張っていたら、ある日、カニエ・ウエストが突然店に現れて、店の中でチキンサラダを食べ始めてるという、その頃のユナイテッドアローズでは考えられない事件まで起きた。

海外のショーを回っていた2008年初頭、またここでも世界的ファッショニスタとの出会いがあった。「イタリアのフェンディのショーの前に会場の前で見知らぬ人に写真撮らせて、って言われて撮られたら、それが世界一有名なファッションスナップサイトとも言われる、<The Sartorialist (ザ・サルトリアリスト)>のスコット・シューマンだったんです。その時は、トムブラウンのジャケットを着て、黒い蝶ネクタイして、指には3連リングとかをしてました。コメント欄にはニューヨークの5thアベニューとハーレムが混じってて気持ち悪いとか書かれたんですが、それでこういう見られ方のもあるんだ、って気づきましたね」
その後も、ファッションショーでのスナップショットの常連になり、海外でも一気に知名度が上がっていく。

だがずっと順風満帆が続いていたわけではなかった。やっと軌道に乗りかかったLWTだったが、リーマンショック後の2009年ごろから景気が悪くなり、ブランドを休止することになる。しかしここでも小木氏はめげない。

「その頃ちょうど、原宿本店 メンズ館をリニューアルする話が社内で出ていて、じゃあ僕に変えさせてください、と。驚かれましたが、プレゼンを繰り返し、自分がやりたいことを会社が理解してくれて。それで”UNITED ARROWS & SONS”をオープンさせました」
そこでユナイテッドアローズが大切にしているスーツやドレスの良さを次の世代にきちんと伝えていきたいという思いが芽生えた。

「でも普通にスーツを着るのって自分じゃないという感覚があって、夜にクラブへ行くにも変だなと思い、じゃあインナーにベースボールシャツを着てみようかと。スーツを自分流に着こなすことを始めました。」

小木氏の中に生まれてきたHip-Hop的な黒人文化の影響と、スーツというオーセンティックなウェアをミックスするという感覚が徐々に定着していった。
――そして小木氏の冒険はさらに続くのだった。(後編TOKYOWISEへ続く)

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小木"Poggy" 基史|KOGI"Poggy" Motofumi
UNITED ARROWS & SONS Director (ユナイテッドアローズ&サンズ ディレクター)

1976年札幌生まれ、1997年6月ユナイテッドアローズ有楽町店でアルバイトをはじめる
2002年有楽町店、ブルーレーベルストア 原宿店(現ビューティ&ユース)などを経て、ユナイテッドアローズ プレスに就任
2006年社内ベンチャー制度によりLiquor, woman & tears を立ち上げディレクターを務める。 ※同ショップは 2010年に閉店
2010年ユナイテッドアローズバイヤーに就任。同年UNITED ARROWS & SONS を立ち上げ、ユナイテッドアローズ 原宿本店 メンズ館 B1F にコンセプトフロアオープン。
2010年THA RAKE 誌が選ぶ世界の 50 人に選出
2013年RISD MUSEUM の Exhibition、ARTIST/REBEL/DANDY:MEN OF FASHION に選出
2014年ユナイテッドアローズ 原宿本店 メンズ館 1F をリニューアルし、UNITED ARROWS & SONS を拡大。
2015年8月ラスベガスで開催されている合同展示会”Liberty Fair”に POGGY’S WORLD を初出展。
2016年3月ジュングループが手がけるコンセプトストア “THE PARK・ING GINZA”にポップアップショップ POGGY’S BOX を出店
現在、SNSでも彼を支持するフォロワーが多く、彼のセンスと動きは国内外のファッション界から注目浴びる一人。

問い合わせ先

UNITED ARROWS & SONS

Tel. 03-5413-5102

http://www.unitedarrowsandsons.jp

           
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