三原康裕|日本モノづくり 第6回 MIHARAYASUHIRO×KANETA ORIMONO×CENTO COSE
MIHARAYASUHIRO|三原康裕
第6回 MIHARAYASUHIRO × KANETA ORIMONO × CENTO COSE(1)
ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO」、通称“MMM”。衣料品の生地としてはポピュラーな綿織物。その国内有数の産地である静岡県・遠州地方の織物工場を訪れた三原さんは、ありふれた織物とは一線を画す日本でしかつくれない生地と出合った。
写真=jamandfix構成・文=竹石安宏(シティライツ)
綿織物の世界的産地、遠州・掛川
我が国にとって繊維産業は、かつて重要な基幹産業のひとつだったことをご存知だろうか。世界的にもクオリティが高いことで評判だったMADE IN JAPANの糸や生地は、戦後欧米へ大量に輸出され、1950〜'60 年代には高度経済成長の原動力となった。そうした繊維産業を支えていたのが、全国にあった織物や編物、紡績の産地だったのだ。今回三原さんが訪れたカネタ織物も、織物の産地として名高い遠州・掛川にある。
遠州とは大井川と浜名湖に挟まれた静岡県西部地域の古い呼称であり、令制時代には遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれた。一年を通して温暖な気候であるため、古くから綿花栽培と機織りが発展。また大井川や天竜川など、物流の要である舟運に最適な河川が豊富といった恵まれた地の利を活かし、「遠州縞」などの高品質な綿織物の産地として、江戸中期から明治にかけて全国に知れ渡るようになった。隆盛は高度成長期まで継続したが、カネタ織物はその真っ只中である昭和32年(1957年)に掛川で創業。同社は現在、三代目である太田 稔社長が切り盛りしている。
三原 懐かしいなあ。経通し(へとおし)の作業ですね。
太田 よくご存知ですね。機織りの工場にもよく来られるんですか?
三原 工場フェチなのでよく行きますが(笑)、僕はもともと多摩美(多摩美術大学)のテキスタイル科の学生だったんです。だから、学生時代にこういった作業もやっていたんですよ。
太田 そうなんですか。ここまで経験されているデザイナーさんは少ないかもしれないですね。
経通しとは、織機に経糸(たていと)を取り付ける作業のこと。一本一本職人が手作業で糸を取り付けなくてはならず、その数は多いもので5000本以上にもなる。根気のいる大変な作業だが、熟練した職人なら一日で3000本ほど取り付けられるという。そんな職人技に感銘を受ける三原さんを、太田さんは織機が稼働する機場へと案内した。
今も動き続けるシャトル織機の価値
三原 古いシャトル織機がたくさんありますね。
太田 すべて昭和48年(1973年)製のシャトルドビー機ですが、現在は25台稼働しています。
三原 これは一日にどれくらい織れるんですか?
太田 約50mほどですね。最新の高速織機はその3倍ほどですから、効率はけっしてよくありません。ですが、シャトル織機は経糸に余計な力をかけずに織れるため、高密度ながらもふっくらとした独特の風合いの生地ができるんです。古い機械なのでつねにメンテナンスが必要なんですけどね。50年以上のキャリアがある専属の技術者が、保全作業を欠かさず行っているんですよ。
三原 先ほどこっそり経糸に触らせてもらったんですが(笑)、高速織機のようにテンションがかかっていないので、風合いの良い生地が織れそうですね。でも、こんなにシャトル織機が揃っている工場は初めてです。ぜひこの織機で織った生地を見せてください。
専属の技術者がメンテナンスを行いながら、希少なシャトル織機を稼働させる様子を見学した三原さん。シャトル織機の製造メーカーはすでに存在しないため、廃業した工場から中古の織機を引き取ってパーツ取りしたり、足りないパーツは自作するなどして保全に務めているという。だが、そんな織機で織った生地を目の当たりにした三原さんは、それだけの価値があると確信することになる。
MIHARAYASUHIRO|三原康裕
第6回 MIHARAYASUHIRO × KANETA ORIMONO × CENTO COSE(2)
ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO」、通称“MMM”。カネタ織物が誇る希少なシャトル織機と、その独創的なオリジナル生地に触れた三原さん。三代目社長の太田さんとの会話は、世界も注目する遠州のモノ作りと、産地が抱える諸問題へと進んでいく。
写真=jamandfix構成・文=竹石安宏(シティライツ)
ほかにはないオリジナル生地の魅力
工場内を見学し終えた三原さんは、カネタ織物が織った生地のサンプルをチェックしはじめた。これまでにも何度か同社の生地を自身のコレクションで使用したことがあるという三原さんだが、そこにはいままで見たことのないハイクオリティな生地が並んでいたのだ。
三原 どれも独特の風合いや表情のある生地ばかりですね。ところで、これらのサンプルはオリジナルなんですか?
太田 そうです。10年ほど前からオリジナルの生地を作りはじめました。それまではいわゆる工賃仕事(生地問屋などから原料を受け取り、規格通りに生地を織って工賃のみを得る仕事)ばかりでしたけどね。それでも昭和30年代などは“ガチャマン時代”と呼ばれ、織機が一度ガチャンと動くと一万円儲かるといわれたほど好景気な時代もあったんです。しかし、安価な中国製織物などの影響により、近年遠州の織物工場は衰退の一途を辿っています。とくに世界不況の影響は大きく、10年前には500軒ほどあった織物工場も、現在では100軒弱にまで減ってしまいました。こうした状況で生き残っていくには、オリジナル生地の開発しかないと思ったんですよ。
三原 遠州の生地はクオリティが高いということは知っていましたが、その評判はむしろ国内より海外でのほうがよく耳にしました。そうした評判と、現在の衰退にはギャップを感じますね。イタリアやドイツにはもう良い織機が残ってないし、中国はまだ歴史が浅いので良い風合いの生地は作れないと思います。イタリアなんてサンプルと出来上がった生地がまるで違ったりしますから(笑)。とくにコットンの織物は日本のほうが全然品質が高いし、海外の高級ブランドも結構使っているでしょう。でも、今は衰退のスピードに売り込みのスピードが追いついていないのではないでしょうか。
海外にも通じる日本の織物工場の実力
太田 そうですね。ウチもオリジナルで作った生地が、海外の高級ブランドに採用されたことがあるんですよ。守秘義務があるので、ブランド名は明かせませんけどね(笑)。しかし、遠州は下請けの工賃仕事が多いので、やはり産地としての知名度がまだ低いのでしょう。そういった意味でもオリジナル生地を展示会などで売り込み、もっと国内にも世界にもアピールしていく必要があると思います。
三原 その通りです。そもそも日本人のデザイナーは、日本の生地をナメていると思いますよ。特有の舶来主義でイタリアなどの生地ばかりに注目していますから。でも、海外のブランドなどで使われていることをもっとアピールしていけば、遠州の衰退を止めると同時に、日本の多くの工場や職人が抱える後継者問題の解決にも繋がるでしょう。現在は不景気で人材も豊富ですが、若い人は仕事に夢がないと動かない。自分が作った生地が海外ブランドのコレクションになるということは、若い人にとっては大きな夢になるはずですから。
こうして遠州のモノ作りの未来まで語り合った三原さんは、太田さんが開発したカネタ織物のオリジナル生地を厳選した。それは今回のもうひとつの目的である、掛川のセレクトショップ「チェントコーゼ」のためでもあった。
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第6回 MIHARAYASUHIRO × KANETA ORIMONO × CENTO COSE(3)
ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO」、通称“MMM”。遠州の織物工場であるカネタ織物を見学した翌日、トークショーに参加するため三原さんは掛川のセレクトショップ「チェントコーゼ」へと向かった。クリエイションに関わる3人が、それぞれの立場から日本のモノ作りについて語り合う。
写真=jamandfix構成・文=竹石安宏(シティライツ)
掛川で実現した異業種間の語らい
JR掛川駅からほど近い立地にある「チェントコーゼ」は、浜松と掛川に店舗展開する遠州随一のセレクトショップ。オープン当初から三原さんのブランド「MIHARAYASUHIRO」をラインナップし続けており、今年創業10周年を迎えた老舗だ。その記念として企画されたのが、三原さんとカネタ織物の太田さん、そしてチェントコーゼ店長の磯部由裕さんによるスペシャルトークショーである。前日にカネタ織物を訪れた三原さんと磯部さんは、その高度な技術力と遠州の現状を知った。デザイナーと作り手、売り手という異なる立場の3人が、遠州の織物や日本のモノ作りについて語り合う貴重な対話は本連載の趣旨にも合致しており、今回一部抜粋して特別掲載する。
磯部 太田さん、昨日は工場を見学させていただき、ありがとうございました。初めてだったので、とてもよい経験になりました。
太田 いいえ。でも、外部の方があんなに長い時間、工場内にいたのは初めてですよ(笑)。現場の人間も緊張していましたが、三原さんがとても嬉しそうに写真を撮られていたのが印象的でしたね。
三原 太田さんの工場は、すごく古いシャトル織機があれほど揃って稼働しているのが魅力ですね。織るスピードは低速ですが、モーターまで古かったので、糸にテンションがかからず独特の風合いのある生地が作れる。
太田 そこまで見ていましたか(笑)。
三原 じつは筬(おさ/緯糸を打ち込む櫛状のパーツ)が降りてくるときにこっそり触ってみたのですが(笑)、トルクもそれほど強くないので痛くないんですよね。これなら糸にもストレスがかからないだろうと感じました。日本の機屋さんは高度経済成長後にドイツなどから高速織機が導入され、やがてコンピューター制御の織機で高速かつ大量に生地を織るようになりましたが、久々にコンピューターのコの字もない工場でしたよ。
太田 お恥ずかしい(笑)。
三原 いえいえ(笑)。でも、カネタ織物のような工場は世界的にもとても貴重だと思います。コスト面などでも合わないのでどんどん減っているし、あんなに残っているのは奇跡的。だから、昨日は僕も楽しくて仕方ありませんでしたよ。いままで見た織物工場のなかでは一番ローテクでしたね。
太田 ありがとうございます。それほど興味をもたれて細部まで観察されていたとは、やはりプロのデザイナーだなと思いますね。
磯部 僕は仕事柄、海外のデザイナーと会って話すこともあるのですが、みんな静岡のことは知ってるんですよね。「コットンと富士山で有名なところだろ?」っていうんですよ。彼らも相当遠州の生地を使っているようです。イタリアなどの生地は柔らかくて風合いもいいけど、耐久性は低いといいます。それに対して日本の生地は柔軟性や風合いも良く、なおかつ耐久性も高いそうです。そういったことを聞くようになってから、海外の展示会などで「これは静岡の生地だろ?」なんていえるようになったんですよ。「そうだよ」なんていわれると、発注せざるを得ないんですけどね(笑)。でも、コットンというと“安物”というイメージがありますが、太田さんが作った生地はまるでシルクのようじゃないですか。それこそ古い織機と高い技術の賜物だと思いますね。
これまでにない三者の接点の意味
三原 そういった意味でも、日本のデザイナーは恵まれていると思いますね。ある程度レベルの高い生地を国内で選べるんですからね。日本の場合、欲しい生地がないときは自分たちで工場に発注して作らなければならないのですが、生地屋さんが提案する生地も安心して使えるものが揃っていますから。それと日本が素晴らしいのは、定番的な生地がストックされていること。これはヨーロッパには基本的にないですからね。
太田 でも、デザイナーさんと我々のような工場の人間が、直接話す機会はほとんどないんですよね。もっと接点を作れれば、ポイントを絞った良い生地が作れるのではないかと思っています。
磯部 太田さんはオリジナルの生地を開発されるとき、製品のイメージなどはあるんですか?たとえば「この生地はコートに使ってほしいな」とか。
太田 それはやはりありますね。自分で着てみたい服のイメージがおぼろげにあって、そこから糸の番手や組織、打ち込みの密度などを考えていくんです。そういった意味でもデザイナーさんとの距離はもっと近いほうがいいと思いますね。
磯部 生地や素材のクオリティは、バイイングする際にも大きなポイントになります。僕の場合は、肌触りはどうなのかとか、縮みや色落ちはしないかなど、服を着る側の視点から見ることが多いんですけどね。だから、生地ができる工程を見せてもらった経験は、とても貴重で今後の武器になると思います。なにより、こんなに近くに太田さんのような大先生がいたことが収穫でしたよ。売り手と作り手の接点はなかなかないですから。
太田 いえいえ。でも、それは我々も同じですね。自分たちの作った生地が製品になった状態を見る機会は、意外にもほとんどないですからね。それが地元にあったということは、大きな意味があると思います。完成した製品を店頭で見て感じたことが、つぎの生地作りにきっと反映されるはずです。
三原 たしかに、そうしたお互いの接点はとても大事なことですね。デザイナーはもっと遠州のような産地に行くべきです。素材を作る人たちとも直に会って話さなければと、僕もつねに思っています。そういう時間が多ければ多いほど、良いものが作れるはず。マイナスになることはまったくないし、そういったことの必然性が高まっていると感じます。ただ、やはり一番の問題は後継者だと思います。昨日お会いした職人の方々も60代、70代でしたよね。それは織物だけではなく、靴や縫製の工場も同じであり、いかに業界全体を活性化させるかが課題です。
磯部 僕が携わる小売り業界は華やかなイメージがあり、若い人も「働かせてください」といってきますが、太田さんの工場などはどうですか?
太田 じつはたまに若い人からの問い合わせがあるんですよ。「織物が好きなので現場で働かせてください」と、県外からもアプローチしてくるときもあります。いまのところは間に合ってまるのでと、お断りしているんですけどね。
三原 ダメじゃないですか(笑)。
太田 そうですよね(笑)。でも、時代が変わり、若い世代にもモノ作りが見直されてきているんだなということを最近は実感しています。
MIHARAYASUHIRO|三原康裕
第6回 MIHARAYASUHIRO × KANETA ORIMONO × CENTO COSE(4)
ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO」、通称“MMM”。デザイナーと作り手、売り手という三者三様の視点から、地元・掛川のカスタマーを前に日本のクリエイションを語り合う、「チェントコーゼ」オープン10周年記念のトークショー。3人の熱い語らいを堪能したカスタマーには、まさに日本でしか作れないスペシャルなプレゼントが用意されていた。
写真=jamandfix構成・文=竹石安宏(シティライツ)
日本の工場が抱える諸問題
磯部 話しは変わりますが、ブランド側としては素材がどこで作られているといった情報は、やはり知られたくないことなんですか?たとえば生地に「MADE IN KAKEGAWA,JAPAN」と書くとか。いま野菜などは「○○さんが作った」というような生産者表示があるじゃないですか。
三原 考えたことはありますけどね。製品に表示するのは結構大変だから、実際にやろうとしたことはなかったですね。
磯部 そういった表示によって、若者にも太田さんのような人が日本にいるということを知ってほしいし、こういう仕事にも興味をもってほしいんですよね。そうじゃないと、10年、20年後には、それこそ技術が絶えてしまうと思うんです。
三原 その通りですね。オウプナーズの連載「MMM」は、まさにそういった世界を知ってもらうための企画でもあるんです。日本の産地はまだまだ消費者には知られていないと思うんですよ。日本には良い産地がいっぱいあるのに、みんな同じ問題を抱えている。本当に素晴らしいプロダクションが残っているのに、どこもロウソクの灯火が消える寸前のような状態ですからね。それをいかに伝え、理解してもらうか。そして若い世代に興味をもってもらうか。こうした活動は僕にとって“命綱”でもあるんです。
このままいくと、極端な話し30年後はすべてのものを中国で作らなくてはならなくなる。昨年、僕が靴の工場を作ったのも、ひとつは若い職人の育成が目的なんです。これは政治に期待しても無駄ですからね。たとえば政治家に日本の靴下とイタリアの靴下、どちらがいいかと聞いたら、絶対にイタリアと答えるでしょう。その違いが分かる政治家なんていませんよね。だから僕ら自身で、若者が入りやすい業界にしていきたいですね。
磯部 太田さんもそういった面で危惧はありますか?
太田 やはりありますね。若い人からの問い合わせを断ったのは、まずかったかなと(笑)。
三原 でも、一回断られても諦めず、もう一回問い合わせてくるくらいのほうがやる気を感じますけどね。最近の若い人は、すぐに諦めてしまうと思うけど。やっぱり“ゆとり教育”の影響ですかね(笑)。
磯部 理想と現実に差があるというのもあるのかもしれませんね。一度入ってみたら、思っているよりも仕事がキツくて辞めてしまうこともあるでしょう。
三原 それもありますね。僕も知り合いの靴工場に若い人を紹介したことがありますが、10人中8人くらいは辞めてしまいますよ。僕なんて、もともと理想はなかったですけどね(笑)。だって、バブルが弾けた後に社会に出た僕らの世代は、理想なんて抱けなかったじゃないですか。そういう意味では、今の世の中も状況は似ていると思うんですよね。今の若い世代は、物心ついたころからずっと不景気ばかりだし、本当は精神的には相当強いはずなんですよ。以前、小学校の先生に聞いた話しなんですが、今の子供は「夢の対語はなにか?」と聞くと「現実」と答えるそうです。本当は「絶望」なのに、それに○を付けなければならなくなってきているそうなんですよ(笑)。でも、それぐらい夢と現実のイメージが悪すぎるんでしょう。本来、夢なんて落ちているものではないけど、今は夢を“自家発電”していかなければならない時代になっていると思いますね。
日本でしか作れないものを作り続けたい
磯部 たしかにそうですね。ところで太田さんは若い頃、他社で修行などはされたんですか?
太田 いいえ。僕はそういった経験はないんですよ。でも、現在は外の世界に出ているんで、今が修行なのかもしれませんね。
三原 でも、太田さんが今やっていることはすごいことなんですよね。織物工場が自ら生地を企画し、問屋を飛び越して売り込みにいくなんて。日本は流通のシステムが堅固なので、なかなかできることではないですからね。そういったことからさらなる発展が生まれると思うんです。若い子が入ってきたとき、自由に動いて表現できる基盤になるじゃないですか。今まではあり得なかったことです。
磯部 僕らもインポートブランドを仕入れるときは商社を通すんですが、そういう面では日本は中間業者が多すぎますよね。海外にいくと、価格差などに愕然としますから。日本はそういったシステムだから、それぞれ末端の業界を知ることができないのでしょう。売り場の人間が工場に行くことはまずないし、その逆もない。これは大事なことだし、やらなければいけなかったことでしょう。
三原 ただ、やれるようになってきてはいますよね。後継者問題という課題は早急に解決しなければなりませんけど。僕らも企画したり、作ったり、売ったりするだけでは、もうダメなんだと思います。やっぱり、やり続けたいじゃないですか。僕のようなブランドの人間は、どうしても日本で作れなくなったら海外で作らざるを得ないという、最後の選択肢がありますけど、やっぱり日本は海外にも負けない高級品を作れる国として残したいですよね。昨日見た太田さんの工場で作られた生地のような、人の呼吸が感じられる素晴らしいものを作れる国にしていきたいと思いますよ。
こうして幕を閉じた「チェントコーゼ」10周年記念トークショー。世界も注目する日本ならではの高い技術力からその問題点まで、2時間以上に渡って語られたショーは、会場に駆けつけた数多くの地元・掛川のカスタマーを前に、大いに盛り上がった。そんなトークショーに参加した3人は、じつは前日にスペシャルアイテムを企画していた。「MIHARAYASUHIRIO」2010年秋冬コレクションのアイテムをベースに、三原さんと磯部さんがチョイスしたカネタ織物のオリジナル生地で仕立てるという「チェントコーゼ」10周年記念の限定別注モデルだ。生地は太田さんが開発した滑らかなコットンカシミア、アイテムはメンズのパンツとレディスのワンピース。それは日本のクリエイションの粋が結集した、まさしく世界に誇れるウェアだ。