三原康裕的日本モノづくり「第2回 トモイを訪ねる」(1)
Fashion
2015年3月9日

三原康裕的日本モノづくり「第2回 トモイを訪ねる」(1)

MIHARAYASUHIRO×TOMOI
第2回 トモイを訪ねる(1)

ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO(MMM)」。
いよいよ本格始動となる今回、三原康裕さんは奈良県にある老舗ボタン工場の伴井比呂志さんを訪問。果たしてどんなボタンができるのか、どうぞご期待ください。

写真=溝部 薫(ホークアイ ヴィジュアルワークス)写真=溝部 薫(ホークアイ ヴィジュアルワークス)協力=萩野 宏

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日本が世界に誇る貝ボタン工場

奈良県川西町。奈良盆地の中央部に位置するこの町は、日本一の貝ボタンの産地である。そもそも貝ボタンは、洋装とともに明治初期の日本に伝えられた。その製造技術はまずドイツから神戸に渡り、大阪河内を経て奈良に伝わったという。
農作地だった川西町の集落である唐院では農閑期の収入源として広まり、戦後から10年あまりの最盛期にはじつに全300世帯中200世帯が貝ボタン製造に携わっていたそうだ。安価な中国製やポリエステルボタンに逼迫され、現在では工場も減ってしまったが、なかでもいまだ国内シェア約7割を誇っているのが、こんかい三原さんが訪れた大正2年(1913年)創業の老舗貝ボタン工場「トモイ」だ。

三原 貝ボタンの原材料はどこから仕入れているんですか?

伴井 おもに南太平洋からになりますね。以前はすべて貝のまま輸入していたんですが、現在は半加工されたものが多くなっています。1トンの貝からだいたい20~25万個のボタンがつくれるのですが、弊社では年間約7000万個のボタンを製造しているので、1年で300トン以上の貝を輸入していることになりますね。

はじめての貝ボタン工場に興味津々な三原さんの質問に答えてくれたのは、三代目社長である伴井比呂志さんだ。
代々の工場と技術を受け継ぎ、国内の圧倒的シェアに加え、貝ボタンの本場であるイタリアをはじめとした、欧米の一流ブランドからのオーダーを受けるまでに発展させた伴井さん。その設備と技術力は、間違いなく世界のトップクラスといえるだろう。

三原 この地域はほかにも貝ボタン工場があるんですか?

伴井 現在では15軒ほどですが小さな個人の工房ばかりで、法人として操業しているのは弊社だけです。技術を継ぐ若い人も少ないので、いまではかなり減ってしまいましたね。

三原 僕が携わっている靴工場もおなじ状況ですね。若い人が入ってこないので、どんどん少なくなっています。日本では製造業のステイタスが、どうしても上がらないからかもしれない。イタリアなどではとても高いんですけどね。この連載では、そんな日本の製造業の素晴らしさと同時に、若い人へ製造業ならではの喜びなども伝えていきたいと思っているんです。ところで、貝ボタンの製造でもっとも難しいのはどういった点ですか?

伴井 貝は天然素材なので、厳密にはすべてカタチが不揃いです。そうした自然のカタチを均一に仕上げるのがやはり大変ですね。貝ボタンには高瀬貝や白蝶貝、黒蝶貝などが使われますが、とくに白蝶貝が貴重で高価です。なかでも厚みのあるものが高級品ですが、貝はすべて湾曲しているため、厚みと美しい直角的な仕上がりを同時に表現するのがもっとも難しいでしょう。どんな工程で貝ボタンができるのか、とりあえず工場を見てみてください。

ファッションデザイナー三原康裕がつくった靴下は、素材は機能性と天然素材にこだわり、吸湿性と速乾性を兼備させるためにコットンにヘンプを混紡したものをチョイス。多彩な色糸とネップが不均一に混ざった杢糸を使用し、スタイルのアクセントになるように独自のカラー調整とブランドロゴをかかとに刺繍した。そして針数60本の編み機によって、ザックリとした足馴染みのいい靴下に編み立てた。
web shopping「ルモアズ」のみで販売されるこのソックスは、三原さんとオウプナーズの意向により、売り上げの一部を東京都社会福祉協議会が運営する東京善意銀行を介し、東京都内の福祉施設に寄付される。

           
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