香道の魅力を探る_2
香道の魅力を探る ~稲坂良弘さんに訊く~
第2回 武人のたしなみとしての香
photo by FUKUDA Emiko
男子、兜に香を焚きしめる
吉田十紀人 香りというのは、気持ちを鎮める、集中させる効果はよく語られますが、逆に気持ちを高ぶらせるための香りというのはあるのでしょうか?
稲坂良弘 おっしゃるとおり、香の原点は「やすらぎ」と「ときめき」です。つまり中近東では媚薬のようにも使われたようですね。同じ種類でも濃度と使い方によって働きが変わってくるのです。
吉田 たとえば興奮あるいは沈静というのはどういう状態で?
稲坂 焚くと香りが出る香木が一番輸入されたのは鎌倉時代でした。力のある武家たちは競って良い沈香(伽羅=きゃら)を求めていたんです。
吉田 あの非常に高価な伽羅ですか。それをどう利用したんですか?
稲坂 兜に香を焚きしめるんですね。それは興奮剤であり、鎮静剤でもあったのです。戦場で、万一、不覚にも首を討ち取られたときに、「さすが名のある武将、これだけの伽羅を焚きしめて」と、男の美学として語り継がれる。しかし、実際にはその香りには冷静に闘うための鎮静剤としての実利もあったとも推察できます。
吉田 なるほど。それはいい話ですね。
稲坂 香りの文化は女性的に語られることが多いですが、歴史の中で香りの文化をつくってきたのは男性です。特に武家は、自己表現、自己実現、権力の証、さらに武人としての嗜(たしな)みとして香をつかんでいました。
吉田 香道には茶道や華道のように流派はあるんですか?
稲坂 あります。歴史をみると、室町時代は公家と武家が京都で合体したことから生まれた文化が特徴です。香道はまさにそうです。平安王朝貴族の文化が武家支配の中で新たな形となる。室町中期に、天皇家に近い内大臣の三条西実隆によって香道が体系化され、実隆は香祖と呼ばれました。その公家の香道といわれているのが「御家流(おいえりゅう)」で、それに対し、武家では志野宗信が興した「志野流」があり、各々、現在へ真直ぐに続いています。
吉田 御家流(おいえりゅう)というのはユニークな看板ですね。
稲坂 それは、公家の名家(各おいえ)には、平安朝以来の公家文化の形が受け継がれています。その共通性を踏まえて形づくられたと考えられます。
吉田 公家と武家とどう違うんですか?
稲坂 簡単に言うと、“自然の心が美しいかたちを伴う”というのが公家的発想とすると、“美しき心はまず美しいかたちから”というのが武家的思考、それぞれの特徴が二つの流派に表れています。
吉田 素晴らしい! でもどちらも扱うのは香木ですよね。
稲坂 日本は、国内では産出しない香木という世界に類を見ない貴重品を扱って最高の香の製品をつくっている国です。「香木」と言いますが、木として自然に育っていくのは、唯一インドが最高の原産地である「白檀」しかありません。それも成長が非常に遅い。
吉田 「伽羅」はどういうものですか?
稲坂 詳しい説明は省きますが、沈香・伽羅は、東南アジアのある特定の地帯で、ある種の樹木の樹液にバクテリアが作用し、長い年月の自然条件の奇跡的な重なり合いがあって初めてできるものです。伽羅は発見されるしか入手方法はなく、従って極めて高価で、1グラムが金1グラムの十数倍します。それも現在はもっと高くなる一方です。
吉田 白檀や伽羅などの香りは人工的につくれるのですか?
稲坂 現代の化学ではかなりの合成は可能ですが、伽羅の香りだけはまだ難しいようです。ですから香水ビジネスに携わっている人やメーカーが“オリエンタルな香りを”と頑張って、仮に「伽羅の香り」と表現しても、本物の香木の伽羅の香りとは、やはり違います。
吉田 難しいんですか‥‥。
稲坂 では実際に香りを“聞いて”みましょうか。