三原康裕的日本モノづくり「第3回 ル・モンドの靴下」(1)
MIHARAYASUHIRO×Le Monde
第3回 ル・モンドの靴下(1)
ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO(MMM)」。
毎日のように身に着けるものでありながら、納得のいく品がなかなか見つからないのが靴下。そうした不満は三原康裕さんにもあったようで、クオリティの高い日本製の靴下をつくりたかったという。そこで今回は、日本有数の靴下の産地である奈良県広陵町にある靴下工場を訪れた。
写真=溝部 薫(ホークアイ ヴィジュアルワークス)構成・文=竹石安宏(シティライツ)協力=萩野 宏
靴下の町で目指す高品質なモノづくり
もとは足袋や素足の文化だった日本に、靴下が普及しはじめたのは明治時代。文明開化とともに洋装が一般化し、革靴に合わせて履かれるようになった。そうした需要を受け、明治後期より靴下の生産が盛んになったのが奈良県広陵町である。
江戸時代より綿花と木綿の産地だった広陵町は、その背景を活かして海外より靴下用の手回し編み機を導入。大正時代には自動編み立て機も導入され、米作農家が農閑期に行う副業として広まった。戦後の最盛期には、地元の組合に200軒以上の靴下工場が加盟していたという。
現在でも国内で生産される約6億本の靴下のなかで、広陵町はシェア約4割と日本一を誇っている。だが、海外からの安価な輸入品に押され、組合の加盟軒数は70あまりに激減。生産数も年々減っているそうだ。
そんな広陵町の靴下工場とともに、ここでしかつくれない高品質な靴下の製造・販売を手がけているのが大阪のル・モンドである。今回の企画も同社代表の松本猛さんに窓口となっていただいた。そして松本さんは、長年の付き合いがある1977年創業の老舗・イズル靴下の出井裕久さんのもとへ、三原さんを案内してくれた。
出井 広陵町では戦前よりアメリカから編み機を輸入し、戦後になって農家に靴下製造が本格的に広まりました。高度成長の時代はとにかくなんでも売れましたね。生産量が多かったので糸から別注もできたし、ほかではできないものもつくりました。しかし、やがて中国や韓国から安価なものが大量に輸入されるようになり、国内のシェアは国内産がかつて60%でしたが、現在は10%あまりに落ち込んでいるんです。
三原 そんなに大変な状況なんですか。でも、現在は3足1000円の靴下を買って、穴があいたら捨てるという時代ではなくなってきていると思うんです。天然素材にこだわるなど、靴下のニーズも多様化しており、面白い時代になってきたのではないでしょうか。
松本 たしかに、欧米ではエコロジーな意識の高い人々のあいだで、オーガニックコットンの靴下がすでに普及しています。日本もやがてそういったこだわりは高まってくるでしょう。
現在は吸湿速乾性をうたった化学繊維の靴下などもありますが、それは天然素材が本来もっている機能を再現したにすぎず、ウールやヘンプでもその特性をうまくコントロールすれば十分快適な靴下はつくれるんです。