ニッポンのデザイナー連続インタビュー(3)吉岡徳仁
DESIGN / FEATURES
2014年12月11日

ニッポンのデザイナー連続インタビュー(3)吉岡徳仁

ニッポンのデザイナー連続インタビュー(3)

designers file|吉岡徳仁

デザインの概念を拡張する

プロダクト、建築、空間、インスタレーションなど、国内外でのプロジェクトを数多く手がける吉岡徳仁氏がデザインするものは、従来の物のかたちのあり方を超え、デザインの本質とその概念をゆさぶり続けている。例えばそれは、椅子をデザインしても、椅子がもつ概念を超え、椅子以上のものをイメージさせる力をもつ。自然がもつ美しさを超えるものはない、と語る吉岡氏の言葉から感じるのは、氏のデザインに共通するものがまさに物質性を超えた自然現象に近いものであるということだ。デザインプロセスに加え、海外でのプロジェクトのすすめ方など、吉岡氏の実践的な部分にまで話は及んだ。

Text & Photographs(portrait) by KATO Takashi

アイデアをかたちにするプロセス

──デザイナーになろうと思ったきっかけを教えてください。

小さいころは絵を描くことが好きで、芸術家になりたいと漠然と思っていました。デザイナーになろうと本格的に考えだしたのは、中学生のころに衣服のデザインに興味を持ってからです。高校生のころには、グラフィックやデザインの基礎を学びながら、ファッションデザイナーの登竜門でもある「装苑賞」のコンテストに応募したりしていました。


吉岡徳仁氏。都内の吉岡徳仁事務所にて


Cartier Time Art / Singapore 2011

──デザインへの興味のスタートはファッションだったのですね。

はい。しかも当時、男性が女性のファッションに興味をもつことがまだ少なかったころだったと思います。普通の男子学生がファッションの専門誌を見ていること自体がどこか恥ずかしい、という風潮があるころでした。テレビでは三宅一生さんをはじめ、ヨーロッパなどでの日本人ファッションデザイナーの活躍がドキュメンタリー番組などで紹介されていて、とても影響をうけました。

高校はバウハウスのような教育を行なっている学校でグラフィックデザインを学び、その後、立体造形に興味を持ち、桑沢デザイン研究所で工業デザインを専攻することになりました。
学生の時はジェフ・クーンズなどのコンセプチュアル・アートにすごく興味があって、図書館に通って本を見つけては読むのが好きでした。

──吉岡さんが工業デザインを学んでいた1980年代は、デザインの世界的な流れでいえば「ポストモダン」の時代でしたね。

はい。それとデザイナーでいえば当時はエットレ・ソットサスがデザイン界のスターでした。ポストモダンに対しても面白いと思っていて、メンフィスなど(イタリア人デザイナーを中心としたデザイン集団。日本から倉俣史朗や梅田正徳、磯崎新も参画)がつくるような椅子をいつかは作りたいと思っていました。

──ポストモダンは、グローバルツールズなど1960年代後半から1970年代の思想的なデザインの流れを経て生まれてきた面があり、機能主義的なそれまでの工業デザインとは一線を画していたと思います。軽やかでユニークなデザインがたくさん出てきていましたよね。

そうですね。ポストモダン以前は、デザインといえば、ほとんどが工業デザインのことでしたからね。 デザインが大衆や産業のためだった時代から、1969年以降は思想や個人の考えがデザインやアートにも色濃く現われてきたといえるのではないでしょうか。やはり、人間は合理性だけではなく心を豊かにするクリエイションを必要しているのではないかと思います。

──吉岡さんのデザインのプロセスについて教えて下さい。

特にルールはありませんが、私の場合、スケッチから生まれるものではなくて、デザインの切り口を大切にしています。頭のなかでアイデアを考えてから、次の段階は直接そのアイデアをCGにしていきます。そのときには寸法まですでに決まっているので、私にとって3D化とは、頭の中でイメージしたものが、本当に「形」になるのかを確認するためのものです。次の段階ではじめて模型をつくり、ボリューム感を検討し、最終的な図面をつくる、というプロセスです。

──ではつねに手を動かしながらモックアップなどをつくるというよりは、頭の中でイメージしている段階が重要ということでしょうか。

そうですね。そのプロセスがほとんどです。まれに説明のためにスケッチを描くこともあるのですが、私の場合、基本的に「フォルムの構成」によってデザインが形成されるようなものではなくて、ひとつの大きな切り口がまずあって、そこからものづくりを発展させていきます。アイデアの段階で図面に起こせないものは、手を動かしてつくっていき、それをデータ化することもあります。

ニッポンのデザイナー連続インタビュー(3)

designers file|吉岡徳仁

デザインの概念を拡張する

──吉岡さんのつくられるものは、物質がもつその特性や、自然の生成それ自体から生まれてくるイメージがあります。先ほどおっしゃった頭のなかにある言葉では言い表せないようなものをコンピューターで図面化することは、形にはイメージしづらいものを、コンピューターをある種のプラットホームにすることで可視化しているともいえそうですね。


"MEDIA SKIN / KDDI Cellular Phone / Japan 2005"

そうですね。パソコンで作られるデザインは一見自由でありながら、
人間の限界の輪郭を浮き出すようなものになっているのではないかと思います。
それを超えるために、時代を切り開いていくようなアイデアを大切にしています。それにより、実験と失敗の中で光が現れ、自分でも想像できないような奇跡的なものが生まれたりします。

──それはコンピューターのアルゴリズムが生み出す形とはことなるものでしょうか?

人間が想像できることというのは限られていると思います。想像できないものというものがあり、それが人にとてつもない感動を与えるものであったり、何かをつくるときの新しい切り口になることがあると思います。化学の世界の青色LEDの話と同じように、多くの実験の中から、いろいろな新しいアイデアが生まれると思います。

──なるほど。人間が想像できないもの、という吉岡さんの考えには共感できます。

ものづくりの過程でさまざまな実験をするのですが、そこでアイデアのヒントとなるような発見をし、最初にイメージしていたものからがらっと変わる、ということが時にあります。
2006年のミラノサローネでは、イタリアのブランド、Morosoでストローのインスタレーションを作りました。制作の段階でストローが崩れてしまいまわりは心配していたのですが、でも私はその時崩れたストローに想像を超える美しさを感じ、将来この光景を再現したいと考えました。それが、マイアミのDesigner of the yearを受賞したTornadeです。そのようにデザインをしながら考えていって、それがさらに次につながっていきます。それも私のデザインプロセスのひとつの特徴だと思います。パソコン上での作業や図面だけで作りあげられることはありません。ものづくりには、人が体験するために、理論や哲学を超える感動が必要だと思っています。
KDDIの携帯電話『Media Skin』をデザインしたときも、とても詳細なところまで関わって作っています。自分にとっての理想のかたちというものがありますので、それを確かめながら進めていきます。


Tokujin × MOROSO Installation / Italy 2007


Tokujin × MOROSO Installation / Italy 2007

かわるものと、かわらないもの。

──さまざまなプロジェクトに関わってこられたと思いますが、デザインのプロセスのなかで、特に大切にしているのはどんなことですか?

私がデザインで一番必要としているのは、物質ではなくて、人に与える感覚そのものだと思っています。視覚的なものだけではなく、音や香り、動きや光といった人が感じるあらゆる感覚が、デザインの要素になるのではないかと思います。
それがあることで、その場所の空気感さえ変えてしまうような、科学的な数値でははかれないものです。そういうものこそが、自分のなかでは表現したいものだったりします。

──工業デザインの場合、関わる人もそれをつくる人もプロジェクトごとに変わることが多いと思うのですが、その微妙な意識を共有することの難しさというのはありますか?

海外のクライアントはとくに、オリジナリティを強く意識したものを求めることが多く、彼らの個性的なリクエストがデザインの面白さにも繋がります。細かな部分のお互いのニュアンスのすり合せというのは、図面のやりとりだけでは難しいため、直接会って打合せを重ねたりビデオ会議を通して、少しずつ自分たちで手を動かし確認をしながらつくっていくプロセスが大切になってきます。

──海外と日本との違いはありますか?

ヨーロッパのグローバルな企業に共通して前提となるのは、いままでにないものをつくって欲しいということです。海外は、オリジナリティと新しさを強く求めるのに対し、日本は、マーケットの中で定番として位置づくデザインを求める傾向にあると思います。

──日本と違うのは、企業から求められるのが、新しさであったり、他にはないものということが多いということでしょうか。

そうですね。ミラノサローネひとつとっても、毎年たくさんの新製品が発表されています。その数多くのなかで皆さんに見ていただくだけでも、表現の新しさや力強さが必要になってくるのだと思います。ただ、何かをデザインするときに、私自身はマーケットの視点ではなくて、それを自分が生み出す必要があるのか、ということをつねに客観的な視点で考えながらつくっています。

──吉岡さんの言葉として、とあるインタビューのなかで「ひとつのアイデアを『生き物』のようにとらえて、それを育てていく」というお話を読んだことがあります。それがとても印象に残っているのですが、デザイナーの個性やアイデアはその場合どのように反映されていくのでしょうか。

その言葉の意味は、小さなアイデアのストックが自分のなかにはあるのですが、それに芽がでて、本当に正しいものであるのかを判断していくプロセスを経ながら、それが生き物のように成長して、実際のプロダクトになっていく、ということを言っています。

──それは生き物の成長過程のように線形に進んでいくものですか。それとも、何かのきっかけで、突然飛躍するようなこともあるのでしょうか?

そうですね、飛躍するということもありますね。ただ、デザインのプロセスには考える時間が必要だと思っています。

ニッポンのデザイナー連続インタビュー(3)

designers file|吉岡徳仁

デザインの概念を拡張する

──なるほど。吉岡さんは刻々と変わる自然のような、体験的なインスタレーション作品なども手がけられていますが、テンポラリーに近い、一瞬の情景を封じ込めたようなプロダクトやインスタレーション作品は、吉岡さんのどのような思いや背景から生まれてくるのでしょうか?

自分にとって魅力的なものってなんだろうかと考えたときに、自然がもつ究極の美しさを超えるものはないと思っています。ではその自然とは何かと考えたときに、それは必然的な造形でありながら、偶然性との重なりでできてきたものであったり、光や動きなど、人為的なものを超えたところから生み出されるものであったりします。そういった自然の美しさを見て変化していく、自分の感覚的なものから生まれてくるものです。

今の時代は身の回りのものがほとんどデザインされていて、全部シンプルできれいに整っている時代だと思います。

でも、これが自分が求めているデザインかといえば、何かが足りない、と感じている人も多いかもしれません。その足りないものが何かということを考えることは、自分を知る作業でもあると思っています。私にとって自分がどういったものをつくりたいかと考えたときに一番近いものが「自然」だったんですね。

かたちを超えていくデザインの可能性

──これまでお話をうかがっていて、言葉にしえないものをいかに形にしていくのか、現象として見せていくのか、ということが吉岡さんのお仕事や考え方につながっているのかなと思いました。
吉岡さんのデザインされるものは、たとえば、椅子をデザインされても、椅子という概念を超えて、椅子以上のものを見る人やそれを体験する人に感じさせたり、イメージをさせる力を持っていると僕は思っています。

たとえば蜂の巣や自然結晶など、自然が必然的な偶然から生み出す構造に興味があって、Honey-popやPane chairのような椅子も自然構造を表現するために、アイコンとして椅子などのかたちを使っているところがあります。それは、椅子という概念や歴史を超えて、より根本的な構造の原点に戻っていくという考えです。


Honey-pop Chair / 2000-2001


PANE chair Chair / 2003-2006

──おもしろいですね。抽象的になりますが、吉岡さんが何かをデザインする上で、そのものの原形を「超えていく」ということを考えたり、イメージされたりすることはありますか?

これ以上新しいものは作れないだろうと思われている分野でデザインするのは好きです。そこにこそ新しい方法が見つかったりします。人が良いと思うものや新しいと思えるものに出合ったとき、どうしていままでなかったんだろうと思う瞬間があります。それは、ものが生まれる原点みたいなものを、感じさせるものだからだと思います。

──デザインに物語や背景は必要だと思われますか? 戦後における経済発展や、幸せな暮らしの物語をデザインが描く時代から、多機能という機能性や、表層的なカタチの操作にデザインや工業製品がシフトしているような気がするいまだからこそ、デザインに物語性がふたたび重要になっている気がしています。吉岡さんはどのようにお考えでしょうか。

われわれの未来像といったものを社会的な状況からみていくと、デザインは今後どうなるのだろうかとたびたび考えます。未来において人間はどのようになっているのか、変化していくのか、などいろいろ考えていくと、人間を中心とした考え方ではこの先立ち行かないと思っています。もう「物」をたくさんもつことが幸せに結びついたり、物で自分を表現していく時代というのは終わったと思うんです。それよりもものを通じてどのような体験をしていくのかという、体験そのものを求める時代にますますなっていくと思います。そのような時代には体験そのものがひとつの価値となり、そういうものがデザインとなっていくと思っています。


"Rainbow Chair Designer of the Year / Design Miami 2008"

──震災以後いち早く世界のデザイン界に映像でのメッセージを出されていましたが、シンプルでありながら力強いメッセージにとても感動しました。どのような考えがあったのでしょうか?

突然のことに本当に驚いたという正直な気持ちがあり、被災者の方々に何か自分でもできることがないか、という思いがまずありました。ですが、何かをデザインしてということではなく、世界中の人たちにメッセージを伝えることで、力が繋がっていくようにと思っていました。

──世界的に知られる吉岡さんだからこそ届けられるメッセージがあるとあのとき思いました。

あの映像は、デザインとは関わりがないことかもしれないのに、世界中のデザインのサイトが協力してくれて、ムービーを掲載してくれました。とても嬉しかったです。私にとっても、自分のなかであらためてデザインとは何かと考えはじめたきっかけでもありました。皆様に協力していただいて本当に感謝しています。とても勇気をいただきました。

──具体的にはどんなことを考えていたのですか?

いますぐに何か答えがでることではないのですが、それ以前よりさらにデザインについて深く考えるようになったと思います。エネルギーひとつとっても、変化していくことの必要性を強烈に感じました。あのムービーも誰かに向けてのメッセージというよりは、ものづくりも含め、ひとりひとりが考えていかなければならないという、ひとつの考えのあらわれでした。ひとりひとりがよく考えて行動することで、未来は変わると信じています。

──いまの日本のデザイン界についてどのようにお考えですか? グローバル経済のなかで、デザインだけでなく、今後ますます日本国内だけでは経済は成り立ちにくい状況になっていくと思うのです。そのような状況のなかで、いまの日本のデザイン界についてどのようにお考えですか? 海外でのプロジェクトや受賞歴の多い吉岡さんですが、デザインのことだけではなく、日本人の国際感覚についてのアドバイスやお考えがありましたら教えて下さい。

現在は、海外で何かをするということ自体は珍しいことではなくて、境界線がなくなっていると思います。あと10年もすれば、宇宙で何かをしましょう、という話が現実味を帯びてきて、さらに世界がどんどん近いものになってくるでしょう。それによって私たちの国際感覚という価値観も変わってくるのではないでしょうか。

吉岡徳仁|YOSHIOKA Tokujin
1967年生まれ。2000年吉岡徳仁デザイン事務所設立。プロダクトデザインから建築、展覧会のインスタレーションなど、デザインの領域を超える作品はアートとしても高く評価されている。数々の作品がニューヨーク近代美術館、オルセー美術館など世界の主要美術館で永久所蔵、常設展示されている。Design Miami / Designer of the Year 2007、A&W Architektur & Wohnen/Designer of the Year 2011、Maison & Objet/ Creator of the Year 2012受賞。TBS系ドキュメンタリー番組「情熱大陸」への出演、アメリカNewsweek誌日本版による「世界が尊敬する日本人100人」に選出。2013年には自身の大規模な個展が予定されている。
http://www.tokujin.com/

           
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