2017年版ピレリカレンダーが登場|Pirelli
Pirelli|ピレリ
2017年版ピレリカレンダーが登場
真の美しさとはなにか。それを表現したかった
イタリアのタイヤメーカー、ピレリは年末恒例となるカレンダーの発表をパリで行った。2017年版にはフォトグラファーにピーター・リンドバーグを起用。ニコル・キッドマンやユマ・サーマンをはじめとする女優たちの素の表情をとらえた。
Text by OGAWA Fumio
女性の美はビキニやハイヒールにはない
ピレリ・カレンダーの2017年度版が公開され、報道陣むけのお披露目が2016年11月29日にパリで行われた。今回はピーター・リンドバーグが女優たちを被写体にしたもので、ニコル・キッドマンやユマ・サーマンらが登場。「女性の美はビキニやハイヒールにはない」というリンドバーグの美意識が全開の内容だ。
ピレリ・カレンダー2017には錚々たる面子が揃う。
アリシア・ヴィカンダー(「エクスマキナ」(2015年)で注目され、「リリーのすべて」(同年)でアカデミー助演女優賞受賞)
レア・セドゥ(タランティーノ監督「イングロリアス・バスターズ」(2009年)でハリウッドデビューし、「サンローラン」(14年)、「ロブスター」(15年)で注目され、「007スペクター」(15年)ではボンドガールも)
ロビン・ライト(「ドラゴンタトゥーの女」(2011年)に加えTVシリーズ「ハウス・オブ・カード」(2013年〜)でゴールデングローブ賞ドラマ部門女優賞受賞)
ルピタ・アモンディ・ニョンゴ(「それでも夜は明ける」(2013年)でアカデミー賞助演女優賞受賞し、「スターウォーズ/フォースの覚醒」(15年)にも出演)
ケイト・ウィンスレット(「タイタニック」(1997年)で一躍人気を獲得し、「愛を読むひと」(2008年)でアカデミー賞主演女優賞受賞)
ルーニー・マーラ(「ドラゴンタトゥーの女」(2011年)でアカデミーおよびゴールデングローブ主演女優賞にノミネートされ、「キャロル」(15年)でカンヌ国際映画祭女優賞受賞)
ジェシカ・チャステン(「ヘルプ」(2011年)、「ゼロ・ダークサーティ」(13年)、「アメリカンドリーマー」(14年)など主演作のほとんどで批評家から絶賛される演技派)
ペネロペ・クルス・サンチェス(「ハモンハモン」(1992年)でデビューし、ウディ・アレン監督「それでも恋するバルセロナ」(2008年)でアカデミー賞助演女優賞受賞)
チャン・ツィーイー(「初恋のきた道」(1999年)でデビューし、「SAYURI」(2005年)ではゴールデングローブ主演女優賞にノミネートされた)
ジュリアン・ムーア(「ことの終わり」(1999年)や「エデンより彼方に」(2002年)、「めぐりあう時間たち」(03年)などで高い評価を受け、「アリスのままで」(14年)でアカデミー主演女優賞受賞)
ユマ・サーマン(「パルプフィクション」(1994年)で助演女優賞にノミネートされ、「ガタカ」(97年)、「キル・ビル」(2003年)、「二つ星の料理人」(15年)などの話題作も多い)
ヘレン・ミレン(「キャル」(84年)およびニコラス・ハイトナー監督「英国万歳!」(94年)でカンヌ国際映画祭女優賞受賞し、「クイーン」(2000年)でアカデミー賞主演女優賞受賞)
ニコル・キッドマン(「ムーランルージュ」(2001年)でゴールデングローブ主演女優賞、「めぐりあう時間たち」(02年)でアカデミー主演女優賞受賞、「ラビットホール」(10年)でアカデミー主演女優賞ノミネート)
シャーロット・ランプリング(「地獄に堕ちた勇者ども」(69年)、「愛の嵐」(74年)、「まぼろし」(2000年)など多くの作品を経て「さざなみ」(15年)で全米映画批評家協会賞主演女優賞をはじめ数多くの賞)
加えてもうひとり、リンドバーグの友人といい、モスクワ国際関係大学moscow state university of international relationsで政治理論についての教鞭をとる美女、アナスタシア・イグナトワもフィーチャーされている。
「この人たちをどうやって選んだか−−─」。パリでの記者会見でリンドバーグは質問に答える。「全員いちどは結婚したいと僕が思った人たちなんです」とまず笑いを誘ってから、「女性は永遠に若くて、かつ若いときの美を保たなくてはいけない。という呪縛から解き放ちたかったのです。真の美しさとはなにか。それを彼女たちにかぎりなく接近して撮影することで表現したかったのです」。
びっくりしました、と言ったのはニコル・キッドマンだ。
Pirelli|ピレリ
2017年版ピレリカレンダーが登場
真の美しさとはなにか。それを表現したかった(2)
Text by OGAWA Fumio
ここから新たにすべてが始まる
ピレリ・カレンダー2017年のお披露目は、パリで3つのステージで行われた。最初はバンドーム広場のホテル、リッツ・パリでの小さなインタビュー。次にフォーブルサントノレ近くのオテル・ド・サロモン・ロチルド(ロスチャイルド)庭園で大きな記者会見。そしてしめくくりは、パリ郊外の大きなムービー撮影スタジオ、ラ・シテ・デュ・シネマを会場にした壮大なガラパーティである。
「私にとってピレリ・カレンダーの仕事は3回目になります。この話をもらったとき、私は友人でもある(ピレリ副会長の)トロンケッティ氏に尋ねました。“自分の信じるやりかたで美を表現していいか”と。彼は“もちろんやってほしい”と応えてくれました。私はこのところずっと思ってきたのです。美というと一般的に広告やグラビアで見かけるものを思い浮かべがちですが、それは一瞬で消費されてしまいます。そうではないところに本当の美があるのだと私は信じています。それを女優たちで表現したかったのです」
1944年にドイツで生まれたピーター・リンドバーグは記者会見の席上で熱く語った。配られたプレスリリースを読むと、リンドバーグがニコル・キッドマンを撮影するのは今回が初めてだったそうだ。「撮影が進むとニコルは私に向かって、“こんなふうにいままで私を撮った人はいないわ。こんなふうに私を表現したひともいない。とってもすばらしいわ”と言いました」。リンドバーグの回想が記されている。
実際にニコル・キッドマンは、ヘレン・ミレンとユマ・サーマンとともに記者会見の会場に登場した。おもしろかったのは全員が一様に「びっくりしたわね」と口にしたことだ。
「そこからそこまでちょっと歩いてみてってピーターに言われたの」と語るのは、エリザベス女王の姿がいまも二重映しに見えてしまうヘレン・ミレンだ。ウィットにとんだ語り口がさすが英国のベテランと思わせる。
「そうしたらすぐに“はい、オーケイ。もういいよ”ってピーターが。“なにが?”と聞けば、“もう撮れた”っていうじゃない。え? 私は最初ピレリのカレンダーの話が来たときに、濡れたような唇と真っ黒なマスカラのメイクと、それにヌードだと思っていたのに(笑)。おもしろかったわ」
リンドバーグとの友人関係が深そうなユマ・サーマンが親しげで優しい目線をこの写真家に送りながら、ミレンの言葉をひきとった。
「でもすごく難しかったわ。ふつうにしていていいっていうのは」
そうそう、とニコル・キッドマンがうなずく。
「私たちは女優だから自然と演技をするんだけれど、素のままでいてくれって言うのはどういうことなんだろうって、戸惑いました。これは文化的な転換点かもしれません。ピーターが最終的にこういう美の表現にたどり着いたというより、ここから新たにすべてが始まるんだと私は思っています」
あいにくピレリ・カレンダーは非売品である。その一部はここで見ていただきたい。