マイバッハ ランドレー
MAYBACH LAUNDAULET
マイバッハ ランドレー
きわめて贅沢なオープン
新生マイバッハとしては5番目のモデルとなるのが「ランドレー」だ。ランドレーとは、運転手付きの優雅なオープンカーのことで、運転席は屋根でおおわれる一方、後席には折り畳み式の屋根が用意され、ゲストの気分次第で屋根の開閉ができるようになっている。かつてのマイバッハでもランドレーがつくられていたが、新生マイバッハでも贅沢なオープンモデルが復活することになった。
ベースとなるのは、マイバッハのなかではもっともパワフルで、ショーファードリブン色の強い「マイバッハ62S」。サイドのルーフアーチとリアピラーを残したまま、ルーフのうしろ半分をソフトトップに置き換えることで、特徴的なスタイルを実現した。当然、ソフトトップの開閉はセンターコンソールのスイッチひとつで操作が可能。70km/hで自動的に立ち上がるウインドディフレクターも用意される。
エンジンは、「マイバッハ57S/62S」とおなじ6リッターV12ツインターボを搭載。電子制御エアサスペンションの“エアマチックDC”やアダブティブダンピングシステム(ADS II)により極上の乗り心地を提供。まさに至高のオープンモデルといえる。ヨーロッパでの価格は90万ユーロといわれており、2008年秋には最初のモデルが顧客のもとへ届けられる予定だ。
マイバッハ ランドレー
ボディ|全長─×全幅─×全高─mm
エンジン|6.0リッターV型12気筒ツインターボ
最高出力|450kW[612ps]/4800-5100rpm
最大トルク|1000Nm[102.0kgm]/2000-4000rpm
駆動方式|FR
トランスミッション|5段オートマチック
価格:─
(写真はスタディモデル)
BRAND HISTORY
1920年代から第二次世界大戦までのおよそ20年間、“ツェッペリン”に代表される約1800台のラグジュアリーサルーンを世に送り出したドイツの超高級自動車メーカーがMAYBACH(マイバッハ)だ。その名前を冠したモデルが再びわれわれの目の前に姿を見せたのは2002年のこと。ブランドの復活をはかったのは、マイバッハとゆかりの深いダイムラーだった。
19世紀末、ゴットリープ・ダイムラーがガソリン自動車の開発に躍起になっていた時代に、技術者として彼を支えていたのがウィルヘルム・マイバッハであった。ゴットリープとカール・ベンツの陰に隠れがちだが、ウィルヘルムなくしてダイムラー・ベンツ、そして、自動車の歴史ははじまらなかったといっても過言ではない。事実、そんなウィルヘルムを“king of design”として称える声もある。
ウィルヘルムは1908年にダイムラーを離れ、エンジン開発の会社を立ち上げる。ドイツの有名な飛行船ツェッペリン号のエンジンも同社のものであった。第一次大戦後にはウィルヘルムの息子であるカール・マイバッハが自動車メーカーを立ち上げる。これがくだんのマイバッハである。戦後は船舶や鉄道向けにディーゼルエンジンを供給したが、カールの引退に伴い、その株式の大半をダイムラー・ベンツが取得し、傘下に収めている。
この輝かしい歴史に敬意を表し、メルセデスを超える高級ブランドとして手がけるのがマイバッハなのだ。現在、「57」と「62」、そしてハイパフォーマンス版の「57S」「62S」をラインナップしている。