CHANEL|永遠の香り「N°5」をめぐるインスピレーションの旅
CHANEL|シャネル
展覧会「N°5 CULTURE CHANEL」
永遠の香り「シャネル N°5」をめぐるインスピレーションの旅(1)
シャネルのアイコンであり、タイムレスな香りとして愛され続けるフレグランス「N°5」を通じてシャネルとアートの深い関係を紐解く展覧会「N°5 CULTURE CHANEL」。フランス・パリにある美術館、パレ・ド・トーキョーにて今年6月の初旬まで開催された。大好評のうちに幕を閉じた本展では点在するインスピレーションを辿り、ガブリエル シャネルのイマジネーションの源泉に迫る。
Text by FUJITA Mayu(OPENERS)
点在するイメージを辿り、「N°5」という暗号を解き明かす
1921年に発売されて以来、時代を超えて愛され続ける普遍的な香り、シャネル「N°5」。「寝るとき身に纏うのはシャネル N°5を数滴」というマリリン モンローの言葉はあまりにも有名であり、彼女の言葉は、洋服と等しく“纏う”という言葉がふさわしい、香りの圧倒的な存在感を物語る。女性を美の高みへと導く、ガブリエル シャネルが創り出したもうひとつのドレス──「N°5」が生まれた1920年代といえば、芸術運動がもっとも盛んな時代である。アートシーンがもっとも活気に溢れ、ダイナミックであった時代。その絶対的な香りはいかにして誕生したのだろう?
本展で展示されるのは、「N°5」という暗号を解読するための無数の“ヒント”である。展示される芸術作品、写真、アーカイブや事物のほとんどは同じ時代をシャネルとともに生き、また親交も深かった作家たちによるものだ。それらはガブリエル シャネルの想像力の礎となったインスピレーションの数々について“示唆”するものであり、点在するヒントを拾い集めることで自分のなかに答を見出すというのが本展の試みである。
展示室に向かう道中にはオランダのランドスケープ アーティスト、Piet Oudolf(ピエト オウドルフ)が手掛けたガーデンが広がる。本展のイントロダクションともいえるこの庭では「未来への約束」をテーマに“香りの体験”を表現。季節の訪れとともに姿が移ろう庭園に、時間とともに変化する香りのイメージを重ねる。
秘かな庭を抜けて建物に足を踏み入れると、そこには白と透明で構築された無駄のないシャネルらしい洗練された空間が広がる。胸の高さほどのアクリルケースが三列に並び、部屋の奥まで続く。中央のアクリルケースには開かれた状態で置かれた真っ白な一冊の本。「N°5」に関するイメージと、ガブリエル シャネルやその時代を共に生きたアーティストたちの言葉をまとめた、この特別装丁本はアムステルダムを拠点に活動するグラフィックデザイナー、Irma Boom(イルマ ブーム)による作品だ。
真っ白なページに記されたイマジネーションの“鍵”。アート作品や手紙、詩など、それを物語るさまざまなピースがその両隣に展示され、来場者は3つのアクリルケースを交互に覗き込みながら会場を進む。ゴツンと頭をぶつけてしまいそうな距離が生む親しさに、「N°5」という暗号を解読する、自らの推理について自然と会話が生まれるのだった。
CHANEL|シャネル
展覧会「N°5 CULTURE CHANEL」
永遠の香り「シャネル N°5」をめぐるインスピレーションの旅(2)
「20世紀を代表する人物はピカソ、シャネル、ド ゴールの3人だ」
1907年パブロ ピカソの油彩画『アヴィニョンの娘たち』がキュビズムという革命がもたらし、1908年にはイタリアで未来主義が誕生。以来、アヴァンギャルドが勢いづき、1920年代の到来とともにモダニティが台頭する。絵画だけでなく詩や文学、音楽など、あらゆるジャンルの芸術に“抽象性”が求められた時代だ。
いっぽうシャネルは18歳で孤児院を出たのち、お針子として仕事をする傍ら歌手を目指すも芽は出ず、断念。退屈しのぎに帽子を作りはじめると、そのデザインが認められ、1906年帽子のアトリエを開業。1910年、最愛の恋人 ボーイ カペルの出資により、パリのカンボン通りに帽子店を開店する。そして1915年、はじめてのクチュールハウスをビアリッツにオープンする。それまで下着の素材として使われていたジャージーを使った革命的なドレスやスーツの提案は、それまでのファッションの概念を軽々と覆し、シャネルはたちまち頭角を現す。
既成概念に捉われない自由で革新的な精神、自らの道を自力で切り開く自立した女性──新しい時代の新しい女性像を、ファッションだけでなく自らも体現してみせたシャネルは、この頃から画家のピカソやサルバドール ダリ、劇作家のジャン コクトー、詩人のギヨーム アポリネール、音楽家のイーゴリ ストラヴィンスキー、セルゲイ ディアギレフなど、時代を代表する前衛芸術家たちと親交を深め、モダニティの時代に身を委ねることとなる。
本展のキュレーター、ジャン=ルイ フロマンは今回の展示について次のように語る。
「N°5はジャン コクトーがデザインしたページ、ルヴェルディが書いた3行の詩、ストラヴィンスキーの楽譜、ピカソの絵でもある。マルローは昔こう語った。『20世紀を代表する人物はピカソ、シャネル、ド ゴールの3人だ』と。そのために、ガブリエル シャネルの歴史を捧げる各展示には、ピカソの絵も一緒に見せる必要があるのだ」。
“5”とは時代に選ばれしナンバーだった?
ここで実際に本展で紹介された全108点の展示作品のなかから一部を紹介する。たとえばこのピカソとプルーストが描いた女性のデッサン画。ツバの広い大きな帽子を小粋にななめに被ってみせる姿は、ファッション史に詳しくなくとも一度は見かけたことがあるはずだろう、シャネルの代表的なスタイルだ。ふたりの作家が同時期におなじような女性像を描いたということはすなわち、これが当時の流行のスタイルであったことを物語る。
「香りの名前に意味も説明も不要」として、単なる試作品の番号を名づけた“N°5”という名前にも、じつは当時の前衛芸術とのリンクが見受けられる。ダダイストでも知られる画家で詩人のフランシス ピカビア、おなじくダダイズムに影響を受けた画家で彫刻家のマックス エルストの作品に描かれる“5”の数字。キュビズムや未来主義、ダダ、シュルレアリスムといった芸術思想はタイポグラフィの改革との関わりも深く(“CHANEL”というブランドロゴの書体もダダイズムの影響を受けているのではと言われている)、このような時代を象徴する作品のなかで“5”という数字がわざわざ選ばれているというのはじつに興味深い。
ダダイスト、シュルレアリストで知られる画家で彫刻家、写真家のマン レイや、彫刻家 コンスタンティン ブランクーシが描いた女性の“頭部”をモチーフにした作品。ピカソの『コラージュ』やマルセル プルーストの詩『In the shadow of young girls in flower』の原稿に共通する“コラージュ”という手法も、この時代を象徴する作風のひとつであり、当時の「N°5」のパッケージがコラージュであることも偶然ではないだろう。
プロデュースと脚本をジャン コクトー、音楽をエリック サティ、美術をピカソが手掛けたバレエ『パラード』にまつわる品々、コクトーとサティのあいだで交わされた手紙、彼らが集う写真。革命的な作家たちが互いに刺激し合い、高め合っていた事実──歴史の舞台裏に興奮を覚えるとともに、ガブリエル シャネルのクリエイションの源に触れた気がする。“気がする”とは曖昧だが、点在するヒントを手繰り寄せてイメージするメッセージは香りのように抽象的で、感覚的。言葉を通り越してダイレクトに伝わってくるのだった。
CHANEL|シャネル
展覧会「N°5 CULTURE CHANEL」
永遠の香り「N°5」をめぐるインスピレーションの旅(3)
「N°5」とは、創造的精神のマニフェストである
「N°5」は大西洋の向こう側、アメリカでも大ヒットした。1945年にはGIたちがパリ・カンボン通りのブティックに殺到し、1952年にはマリリン モンローが寝るときになにを身に着けるかと質問されて「N°5を数滴」と答え、1964年にはアンディ ウォーホルが20世紀を代表する様々なアイコンのひとつとして「N°5」のボトルを描いた。
試作品の番号を名づけたといわれる「N°5」という特別な名前、研究室のサンプルを思わせるラベリング、スクエアなエッジと明瞭なラインをもつボトル、黒で縁取りされた白いグログランのボックスはファッションのクリエイションと呼応する。ミニマリズムを極めた「N°5」の視覚的要素はじつにアヴァンギャルドだ。当時の芸術家たちが表明し、支持したように「N°5」は創造的精神のマニフェストにほかならない。絶対的なモダニティを達成したという意味で「N°5」はキュビスムやダダイズム、あるいはシュルレアリズムを、香りの世界で実現した作品といえる。
最愛のひとの“不在”──
「N°5はジャン コクトーがデザインしたページ、ルヴェルディが書いた3行の詩、ストラヴィンスキーの楽譜、ピカソの絵でもある」と、キュレーターのジャン=ルイ フロマンは時代を象徴する芸術と等しく「N°5」を表すると同時に、「1滴のN°5は、ただ1滴の香水ではない。それは物語、ひとりの女の物語、すべての女性の物語であり、悲しいラブストーリーである」とも語っている。
1921年、マドモアゼル シャネルがはじめて発表した香水が「N°5」である。彼女はこの仕事を調香師 エルネスト ボーに委ねた。1917年までロシア宮廷で働いていた彼がマドモアゼルと南仏グラースで会ったのは「N°5」誕生の前年、1920年のこと。最愛の恋人、アーサー カペルが不慮の事故で亡くなった翌年である。
ボーイの愛称で知られるアーサー カペルはシャネルが初めて出会った真の恋人であり、忘れえぬ数々の思い出を残しただけでなく強い芸術的影響を与えた人物。物語や詩のすばらしさを教えたのも彼である。カペルが本を手に佇む姿、シャネルが本に目を落とす姿など、本展の最初に展示されたポートレイトが物語る。
エルネスト ボーの5番目の提案をおさめたボトル──シャネルが思い描く「女性そのものの香りのする」香り、それはこの世に初めて生まれた「抽象的」な香りだった。というのも、当時はバラやジャスミン、ライラックなど“単一”の花を模した、いわば“比喩的な”香りが主流であり、80もの香りから構築され、支配的なノートをもたない「N°5」という“抽象的な”香りは、それまでの香水の概念を覆す革命的な存在であった。
彼女はその複雑で魅惑的な香りに、突然打ち切られてしまった大切な愛の記憶を追い求めた──「N°5」とは、つまりプルーストの言うところの「無意志的な記憶」だったのだろうか、とジャン=ルイ フロマンは考える。記憶を喚起し、時間という概念を超越する香りこそ、最愛のひとの“不在”を埋める唯一のカタチだったのかもしれない。それは誕生から90年を経たいま“永遠の香り”と称される。
展示会場の奥へとずらり並ぶ真っ白な本に導かれ、シャネルのイマジネーションを探訪するこの旅は、アトリエでひとりカペルが残した本を読み耽る晩年のシャネルの姿で幕を閉じる。はじまりと終わりを結ぶ本にまつわるポートレイト。繰り返し読み返される物語のなかに愛の記憶を辿る彼女が浮かぶ。そんな悲しくも純粋なラブストーリーを秘めた絶対的なクリエイション──偉大なるデザイナー、ガブリエル シャネルのイマジネーションの源泉ともいうべき「N°5」。多くの芸術がそうであるように、時代を横断するさまざまな文化と共鳴しながら、時を超える永遠の旅は続く。
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