三原康裕│日本モノづくり「第4回 和田メリヤス×新内外綿のスウェットパーカ」(3)
Fashion
2015年3月13日

三原康裕│日本モノづくり「第4回 和田メリヤス×新内外綿のスウェットパーカ」(3)

MIHARAYASUHIRO × Wada Meriyasu × Shinnaigai Textile

第4回 和田メリヤス×新内外綿のスウェットパーカ(3)

ファッションデザイナー三原康裕さんが、日本の誇る工場や職人を訪ね、日本でしかつくれない新しいモノを生み出す画期的な連載企画「MEANING MADE IN JAPAN MIHARAYASUHIRO(MMM)」。和歌山県の和田メリヤスでスウェット生地を編むための吊り編み機に出合った三原さん。さらなるクオリティを求めて、今回は岐阜県の紡績工場に向かった。

構成・文=竹石安宏(シティライツ)写真=jamandfix

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明治、大正、昭和、平成──激動の時代を生き抜いた紡績工場

JR岐阜駅からクルマで約30分。木曽川や長良川、揖斐川などがゆったりと流れる、豊かな水と緑に囲まれた海津市の駒野に、紡績メーカー新内外綿の生産工場ナイガイテキスタイルはある。理想のスウェット生地を求め、前回は希少な吊り編み機の残る和歌山県の和田メリヤスを訪れた三原さんだが、今回はスウェットを編む糸を探求すべく、新内外綿の長谷川進さんと野出育宏さんの案内でナイガイテキスタイルに足を運んだのだ。歴史を感じさせる外観の同工場では、工場長の小川秀次さんと現場責任者の杉本浩二さんが出迎えてくれた。

三原 とても歴史のある工場のようですね。

小川 当工場は昭和23年(1948年)に設立されましたが、前身は明治20年(1887年)創業の内外綿です。当時の日本の主力産業だった綿製品の担い手である内外綿は、国内でもトップクラスの大企業で、明治末期には中国にも工場を所有していました。しかし第二次大戦後に大部分の設備は接収されてしまい、戦後新たに創設したのが新内外綿であり、当工場になります。

三原 紡績を含め、現在日本の繊維産業は中国にシェアを奪われるなど斜陽産業となっていますが、御社がそれほど長い歴史を歩みつづけてこられたのはなぜでしょうか?

小川 弊社にはヒット商品がいくつかあり、まず昭和30年代に開発し、大ヒットとなったのが“杢糸”です。昭和50年代にも爆発的な売り上げを記録した杢糸は、もともとアメリカで生まれたものでスウェット生地にも使用されています。そんな杢糸もやがて中国に押されましたが、平成3年(1991年)に日本で初めて開発に取り組んだテンセル(木材パルプを用いたセルロース繊維)で再び盛り返したのです。

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独自の道を切り拓いた開発力

三原 なるほど。つねに新しいものを開発してこられたことが、今日に繋がっているんですね。現在でも残っている会社は、そういったそこでしかできないことをやってきたところばかりだと思います。

小川 とくに紡績は、かつて量と効率ばかりを求めた時代がありました。しかし、それでは大手や中国には適いません。そこで弊社は、弊社ならではの技術を活かすと同時に、小ロット・多品種という戦略へ切り替えたのです。

三原 大量生産体制から抜け出したのは正解だったと思います。それは糸だけではなく服の生産でも同じであり、大量生産では太刀打ちできなくなるでしょう。今後国内の工場は、御社のように小ロットで独自性のあるものをつくる方向にいくべきです。それにしても、以前イタリアで杢のジャージを使おうとしたことがあるのですが、「ない」と言われました。それまではベーシックな生地だと思っていたのですが、そうではないんですね。

小川 杢糸は色の異なる繊維を均等に混ぜなければならないのですが、これには特殊な技術が必要です。たとえば1%のものを残りの99%へ均等に混ぜるのはとても難しいですよね。そういった特殊な混紡糸こそ弊社ならではの技術のひとつであり、杢糸はもちろんどんな繊維も混ぜることができます。その工程は極秘なのですが、ぜひ工場を見学してください。

           
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