Vol.4 谷尻 誠 インタビュー
DESIGN / FEATURES
2015年5月11日

Vol.4 谷尻 誠 インタビュー

Vol.1 谷尻誠インタビュー

拾う建築、気づきの建築

建築とは、日常の暮らしのなかに生まれる疑問や気づきに、具体的な事柄でこたえる問題解決の方法でもある。谷尻誠氏の建築をみていると、建築が建築的な思考からしか生み出され得ない特別なものではなく、もっと身近なものに思えてくるときがある。そんな建築がうまれる思考の背景をさぐります。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

──2000年に独立されましたが、それ以前は建築をどのようにとらえていましたか?

なんとなく、かっこいい建物が好きとかっていうのはありました。でも自分とはあまり関係のない世界だと思っていたんです。雑誌とかに載っている建築を見ては、これが良いとか、これは良くないとか、目利きじゃないですけれど感覚的にすごく深いところまで見るようなことは習慣的にしていました。でもそれは雑誌にでるような人の世界であって、僕はそっちじゃないっていうふうに、その頃は思っていました。

でも、独立してからいろいろな出来事があって、建築がすごく面白くなっていきました。

最初は本当に下請けの仕事で良かったんです。それで下請けで仕事をしていると、提案しちゃうんですね。最低ですよね(笑)。しかも時間は守らなくなるし、言うことはきかないしで仕事がどんどんなくなってしまって。それで焼き鳥屋とかでバイトしたりしてました(笑)

──それがお幾つくらいの時ですか?

26くらいで、独立したての頃です。アルバイトしながらでしたが、知り合いがこんなのやってみないか、とか言ってくれるようになって次第に仕事が軌道にのり始めました。

昔から街でよく遊んでいたので友達が多かったんですね。それでみんなが、なんかやってみろと声をかけてくれたんです。

最初はもう現場で覚えていきました。店舗の内装なんかもやったことがなかったんですが、ひとつやったらこういうふうにやるんだというふうに現場で学んでいって。飲食をやったら飲食はこうだとか、美容院をやったら美容院ってこんなんだというふうに。

でもよく考えてみたら建築ってそうやって、ずーっと勉強していくものなんだなぁというのがその時わかってきました。

そうやってやり続けていて、最初から住宅がやりたかったのですが、住宅をやりたいって思っていたら、奥さんの友達でログハウスを作りたいという人がいて。よくよく聞いてみると一風変わった家が建てたいということで相談されました。それでいろいろなアイデアを出していくうちに、僕の案を気に入ってくれて、初めての住宅をつくることになりました。それが2001年の話です。

それでこういうことが出来るということを、ただ作るだけじゃなくて、世の中に広く伝えたいと思いました。実際、建築の世界をみていると、建築の狭い社会だけをみて建築をつくっているような気が僕はしていて。社会性がある仕事と言っておきながら、世の中には建築に興味を持っている人はほんのわずかで、もっと興味ある人を増やさなきゃダメなんじゃないかと思っていました。

それでせっかく家ができたんだったんならなんかイベントをやればいいんじゃないかということで、オープンハウスとは別に、知り合いの家具屋さんに協力してもらってその家で2日間家具屋さんをしました。

それが己斐の家です。その前の一年間店舗設計ばかりやっていたのですが、そのお店にイベントのDMを置いてもらったりしたおかげでかなりの数の集客があったんです。その時に広島にも建築とかインテリアに興味を持っている人がたくさんいるんだなって思いました。こうやってどんどん興味を持っている人を増やせるような動きかたができればなぁと思って、それからはオープンハウスに人が集まるような工夫をしていきました。

落ちた林檎と、拾う建築のものがたり

あまり建築とは思われていないことの中にも実は建築的なことってたくさんあって、例えばトランプを家型に積んでいく遊びも、誰もが経験している建築の原点だけど、トランプ遊びと建築は一緒だって誰も思わないじゃないですか。僕は建築のアイデアっていたるところにたくさんあるよ、って言いたいと思っていて。

結構自分もそういう落ちているものを拾うことがすごく好きなので、そういうことを社会に伝えていくと、もっとみんなが建築に対して心を開くでしょうし、おのずと建築に興味を持つ人が増えれば仕事なんて増えるじゃないですか。ちいさな砂山をみんなで取り合うんじゃなくて、砂山を大きくすればいい話で、とにかくそういうことを続けようと思っているんですよね。

──それは実はとても大切なことだと僕も思います。こんな簡単なことだったんだ、って気づくことというか

そうですね。新しい林檎って、新種って言ってありがたがってとりたがるけど、僕の思う新しいっていうのは、拾う新しさで、落ちたばっかりの林檎はみんな食べられないって思っているから、そこについては見ようとしないじゃないですか。でもそこら辺にあるものもじっくり見るとすごくおいしかったり、何か魅力があったり、ただそれだけなんですけど、ただそれだけを世の中はやらないんで、僕はそういうことを一生懸命やって、どんどん拾って、これっていいよね?みたいなことが出来れば、もっと建築は世の中と近い存在になるのかなって思うんですよ。

建築ではなく減築

以前にコンペに出した案なのですが、どんどん建てていくより、減らしていくというものです。法規制って新築とか増築に対しては厳しいのですが、僕が考えたのは減築なんです。

今、都市にはビルがたくさんあって環境問題で、ビル熱とか空調から出る熱の問題で都市がどんどん暑くなる問題があるじゃないですか。人口が減っていくという現状があるのに、でも建物は増えていくというおかしな状況があります。でなくて今あるビルの床をどんどん抜くんですよ。床を抜いてサッシ取るとビルの途中に外部空間ができて、夢のような話ですがその外部が動物園になったり、ロッククライミングをするような空間になったり、なかには三階分の天井高のある住まいだって出来てしまうわけです。ビルは壊すんじゃなく、減らすことで新しい環境を生み出すような建築の考え方はこれからはいいんじゃないかと思いました。

──実現したらものすごくおもしろいですね。でもこんなことを考えている人はいないから不思議ですね。

みんな壊して建て直すことにとらわれていますからね。僕は引き算が好きなので、そういうのが出来たらいいなと思っています。自分の家のリビングの天井高が二階三階分あるのってすごく魅力じゃないですか。建物の構造強度も、強度は強くはならないですが、建物が軽くなるということは耐震性に対してはすごく優れて有利になります。要は積載荷重が減るわけですから、建物としては明らかに地震に対しては有利に働きます。どんどん壊して捨てていって環境破壊していくんではなくて、減らしていくことで新しい豊かな環境をつくるということはすごくいいんじゃないかと思っています。

いつも考え方を考える、プレゼンのプレゼンとか、一歩前のことを考えるのが好きなんです。例えば広いリビングが欲しいですと言われると、何畳ですかと聞いちゃうじゃないですか。僕はあなたにとって広いリビングってなんですかってことが知りたくて。実質的な広さが欲しい人もいるし、もしかすると大きな窓が欲しいだけの人もいる。天井の高さが必要な人もいるし、広さの感覚って実は多様じゃないですか。

でもいつの間にか世の中は、それは何畳ですか、みたいなことに置き換えられてしまっているんです。そうではなくて広いリビングについて考える。みんな方程式に従って答えを考えるからあまり変わらないんですけど、式自体を考えたほうがいいんじゃないかと思っています。

──確かに、日本の住まいは何LDKとか、方程式が絶対的なところがあるから画一的な間取りが多いですね。

そういうことを考えるのが好きなんですよ。すると勝手に新しいものになるじゃないですか。だから最初から新しいものをつくるぞ、という意気込みはそんなにないんです。この人は何を思ってこう言っているんだろう?とか、ここでなんでこの問題になっているんだろうとか、どちらかというと、その「なんでなんで?」みたいなことの繰り返しで、そればっかりですね。だから僕が発想しているというよりかは、そこに問題があるから、そのための問題解決の方法を考えているだけです。

──問題の解決方法としての建築ということですか

そういうのは結構ありますね。

──いっぽうで現在、アートのような建築、というものもあると思うのですが、どう思いますか

すごい魅力的じゃないですか。僕らもすごいいいなあと思うんですよ。でもクライアントがいるので、その方の価値観がフィットすればそれはそれでいいと思っています。

建物ってプロダクトというか商品じゃないんで、どちらかというと愛着みたいなもので越えられることのほうが多くて、すごく便利で動きやすくて水回りも近くて、でもデザインも良くて、ってだけでは実際に人間は満足しないと思っています。

なんかこの服着心地が悪いけど、ここんとこ好きだから着るとか、この車よく故障するけどかわいいやつだなって乗るとか、本当は愛着がもてるレベルのほうが住宅にとっては一番いいんじゃないかと思っていて。だからお施主さんにとって、これ結構好きだなっていう具体的なものを提案出来れば、住宅の場合は一番いいと思っています。その愛着が持てる部分をお施主さんとコミュニケーションをとって見つけていきます。

高台の家、カフェフロート

──すると、谷尻さんの建築にはまず、制約条件うんぬんではなく、そこに暮らす人との意思の疎通が重要だということが分かりました。谷尻さんにとって建築がそんなさまざまな気づきから生まれるということに思い至ったのはいつ頃からですか?

2002年につくったカフェフロートあたりから流れが変わってきましたね。高台にある家なのですが、これを建ててから傾斜地をもった人からたくさん電話がありました(笑)。斜面得意ですよね、みたいな。

──谷尻さんは特徴のある敷地にトライされていますよね

僕自身も大学もアトリエ事務所も行っていないので、人格的にどっちらかというと崖地寄りなんですよ(笑)。平らですごくいいコンディションを僕が持っていたわけじゃないので、僕の魅力をだすには僕にしか出来ないことをやるしかないじゃないですか。

実際崖地も一緒で、そういう不利な状態の中でむしろそれが武器になるような解答を出さなきゃいけないわけで、その敷地を世の中がマイナスに見ればみるほど、普通につくるだけでもすごく評価されるっていう面もあるんです。本当に大変ですけどうまく出来たら世の中の斜面に対する考え方が変わるわけじゃないですか。

だからそういうことが出来るのがいいなあと思っています。仲間外れにされているコの魅力を発見してあげるみたいな感じです。

人が言ってるからじゃなくて自分の目で見てジャッジしたいというか。

──谷尻さんの作品はだんだんと造形が際立てきている気がしますがどうですか。

こんなのがつくりたいというのはあまりないですね。というよりかはすべて今あるかたちは、予算とか条件が導いているかたちです。だいたい予算があまりない場合が多いので、予算がないからこそ出来ることを考えるんです。予算がないから木造でローコストの家、というのは誰にでも出来るわけで、予算がないことの魅力って何かな?とか考えてつくるのが楽しいです。

「西条の家」は本来捨てるはずの残土を建物の目隠しに使っているんですが、みんなが捨てると思っているものが魅力になるという価値観が提案出来ると、捨てるものにも魅力があるんだな、ということに気づいてもらえるじゃないですか。そういうことが自分のやりたいことだって思うんですよね。ほんのちょっと見方を変えるだけなんですけど。

広いから出来ることもたくさんありますし、狭いから出来ることもたくさんあると思っています。いつもスタートはそんな感じで、跳び箱を跳ぶにしても、わー高いなこれって最初から言っていたら跳べないじゃないですか。逆に越えられそうって思ったら越えられるのと一緒で、まず自分を騙すんですよね。これワクワクするとか、面白そうとか自分自身思わせるんですよ、それはもう奮い立たせる感じに近いですね。

──では、設計も考え方がリセットされれば出来るという感じですか

そうですね。考え方が出来ればすぐ出来ますね。それまでは結構長いですが(笑)。それまではインターネットしたり、街にでてみたり。

──日本人は結構机の前に座って考えることが多いようですが、ヨーロッパなんかでは演劇の演出家とかは、古くから街を歩きながら考えるって言ったりしますよね。

僕も煮詰まったりすると、手を洗ったり、街を歩きます。自分の身体に何か今までと違う動作が入ると新しい考え方が生まれます。

──それでは谷尻さんにとって建築するうえで重要なこととはなんですか?

きっかけをつくりたいんです。いま決められていることを疑うんですよね。本当にそれでいいのかと。

出会ったことのないベーシックを大切にしようと思っていて、例えば西条の家で残土を使いましたが、それを「いいね」って言ってみんなが使い始めると、それがベーシックになりうるじゃないですか。ベーシックっていうと今までにあるものを世の中はベーシックって言っているんですけれども、まだ出会っていないだけでこれから出会えるベーシックなものを、何か建築で表現出来たらいいなっていつも思いながら建築しています。

谷尻誠
1974年生まれ
1994年 穴吹デザイン専門学校卒業
1994年~1999年 本兼建築設計事務所勤務
1990年~2000年 HAL建築工房勤務
2000年 サポーズデザインオフォス設立
現在 穴吹デザイン専門学校非常勤講師

いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち
           
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