MUSIC|菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説
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2015年1月17日

MUSIC|菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説

MUSIC|ボサノバ永遠の名盤を豪華ミュージシャンがカバー

菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説 其の一

ジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツが、ブラジルのジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンと出会い、1963年に録音したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』。このボサノバ永遠の名盤の誕生から50年。ジョアン・ジルベルト直系のギタリスト伊藤ゴローを中心に、坂本龍一、細野晴臣、土岐麻子、カヒミ カリィ、TOKU、ジャキス・モレレンバウム、鈴木正人、栗原 務など、総勢19名の豪華ミュージシャンが愛を込めてカバーした『ゲッツ/ジルベルト+50』が6月19日(水)に発売。

テナーサックスで本作に参加した、菊地成孔氏による解説をお届けする。

Text by KIKUCHI Naruyoshi

単なるアニバーサリー企画ではない

MUSIC|菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説02

菊地成孔

この、本当に気持ちが良いだけでなく、「Jボッサ史」、或はひょっとして「ボサノバ史全体」かも知れない、60年近い歴史にとどめを打つような作品に関して、解説は無用だと重々承知の上で、駄文を書き散らかす事にします。

「なんとかかんとか○周年」というのは一見誰もが考えつきそうなイージー感を漂わせますが(もし5年後に「ボサノバ生誕60年=<想いあふれて>リリース60周年」という企画が組まれても、高い確率で、本作を越える事は不可能でしょう)、本作は「なんとかかんとか○周年史」にすら名を残すであろう名盤で、総てのお膳立てが揃った、大変な好企画が見事にあたったなあと思うばかりです。一番最初に書かなければいけない事は、参加出来て本当に光栄ですし、嬉しいです、という事です。

伊藤ゴローさんが陣頭指揮を執られた訳ですが、今年というのは(些かこじつけめきますが)「ザ・ビートルズが世界を動かし始めてから50周年」とも言える訳で(イギリス・デビューが62年で、アメリカで1位になり、世界的な名声を得るのが64年で、その間の「機が熟していた年」「ガスが充満していた年」とも言えるので)、英国のロックとボサノバの、しかもシリアスな二刀流という、希有なパーソナリティであるゴローさんにしかなし得なかった業績と言えるでしょう。

単なるボサノバ専門家でも、単なるジャズ専門家でも、「ゲッツ/ジルベルト50周年」という企画は取り仕切れたかも知れませんが、ゴローさん以外の誰がやっても、完全なものにはならなかったと思います。

ボサノバ史上最も険悪で階級闘争的な作品

「ボサノバ史」もしくは「ブラジル音楽史」といった構えになると大袈裟になってしまいますので、『ゲッツ/ジルベルト』だけに関して、これはもう(ボサノバ・ファンの皆さんなら、御存知の通り)本当にスリリングな物で、世界ボサノバ史上最も険悪で階級闘争的な作品です。

単純に、北米が南米を搾取しようとし、南米がそれに抗する様な格好になるのですが、その「階級闘争性」は、『ゲッツ/ジルベルト』という盤の内幕(天才で繊細な奇人ジョアンと、天才で金の亡者で、おまけに人種差別者だったゲッツと、天才で傷つき易いジョビンと、悪妻であるアストラットというチームが、ファミリアルでリラックスした現場など持てる訳が無い、という奴ですね)自体を越えて、「ボサ×ジャズ」→「アメリカ×ブラジル(他国)」といった巨大なテーマにまで拡散しうるものです。

ですから「ボサノバ」という音楽が制作されるとき、この階級闘争性を持つか持たないか?という選択が自動的になされる様になっています。つまり『ゲッツ/ジルベルト』の存在を、本当に全く知らない。という事でもない限り、すべてのボサノバ制作は『ゲッツ/ジルベルト』を無視するか、しないか。という選択を無意識的に強いられると言っても良い訳です。

言うまでもありませんが、99%のボサノバならびに準ボサノバ、ボサノバもどきには、この視点自体が全く無いか、或は非常に小さく、これは何というか、面倒くさい鬼っ子の存在を、黒歴史の様に捉え、共同体ごと、そもそもなかった事にする、といった、よくある平和的なセンスであって、多数派化せざるを得ない汎用性があると言えるでしょう。

一方、生粋の闘争者である坂本龍一さんの『カーザ』()は、エコロジーという大テーマの下に「ジョビンはジャズではなく、室内楽=クラシックである。歴史的に見てもそうだし、何せその事を(文字通りの)本家=カーザが認めたのだ」という事をコンセプトにした闘争的な傑作で、しかもそのライヴ盤『ア・デイ・イン・ニューヨーク』は、その名の通り、ニューヨーク在住の日本人によって、ニューヨークで演奏され、坂本さんがブラジルから国歌勲章を授与されているので、「アメリカの搾取(61年にブラジルで行われた、ペンタゴン主催による「アメリカン・ジャズ・フェスティヴァル」に出演したチャーリー・マリアーノがジャズに取り込み始め、翌62年にはカーネギーホールでボサノバコンサートが開催され米国でブレイク。『ゲッツ/ジルベルト』の実質上のテストランとなり、先行シングル「イパネマの娘」がビルボードのトップ100で5位ゲット。翌年の『ゲッツ/ジルベルト』はグラミー受賞。と、年単位で行われた、全方位的で熾烈な搾取の応戦史な訳です)」を巡る諸問題系を一通りさらってしまった感のある、つまり、数少ない『ゲッツ/ジルベルト』アゲインストな名作である訳です。

※『カーザ』=2001年に発表されたモレレンバウム夫妻と坂本龍一による、アントニオ・カルロス・ジョビンのトリビュート盤

MUSIC|ボサ・ノヴァ永遠の名盤を豪華ミュージシャンがカバー

菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説 其の二

Text by KIKUCHI Naruyoshi

“完全主義の音楽純愛者”伊藤ゴローによる巧みなプロデュース

更に一方、naomi & goroさんとワタシで一緒に作った『カレンデュラ』は、「もう、『ゲッツ/ジルベルト』がどうのこうのという時代じゃない時代」という事がテーマになっていたと思います。『ゲッツ/ジルベルト』は鬼っ子でも黒歴史でもなく、単に異形の名作である。現にブラジルで今、ボサノバを演奏するプレイヤーは「ジャズ・ミュージシャン」と呼ばれるのだ、という距離感/事後感が、「震災と同時に制作開始」という時代的なバックグラウンド(後者は勿論、偶発的なものですが)と共に、階級闘争やエコロジーという問題を(望むと望まざるとに関わらず)一気に飛び越えてしまった感があります。

なので、「ゴローさんが<ゲッツ/ジルベルト50周年トリビュート>を作るので、参加してくれ」と言われた時には、かなりワクワクしました。一番最初に書いた通り、ゴローさんは政治性や社会性皆無のタイプでありながら、この企画を統括する最適任者だからです。

ただ、この仕事は、『カレンデュラ』では飛び越してしまった『ゲッツ/ジルベルト』の階級闘争という政治性と、もう一度向かい合わなければならず、そしてゴローさんは前述の通り、政治性や社会性は皆無な音楽純愛者タイプです(政治性や社会性がたっぷりな人が、音楽不純愛であると言っているのではありませんが)、ですからむしろ、というべきでしょうが、ワタシは、ゴローさんが、リアルな政治性というカードを、純音楽的に昇華する方法はとっくに持っており、悠々と実行し、大成功を収めるだろうと確信していました。

その一つは、ベーシックなセッションを固定せず、どのパートも複数雇用する事で、作品自体の中に、音楽家間の闘争(勿論、抽象化された)を摂り込んだ事です。ピアノ一方が坂本さんで、もう一方が山下さん、更に坪口昌恭、そこにテナーが清水さんとワタシ。というのは、逆算的に「<ゲッツ/ジルベルト50周年トリビュート>でも無い限り」実行する意味もチャンスも無いような、「豪華」「お祭り」を越えたキャスティングです。 ヴォーカリストの複数雇用はクラブ・ミュージック等々では当たり前の事で、皆さんそれぞれが素晴らしい個性を発揮しますが、プレイヤー達は皆、抽象化された、非常に健康的な政治性=闘争性をスタジオ入りする前から抱かされた筈です。これは自己沈潜する映画監督タイプ(役者は皆、完成形の想像もつかない)のゴローさんにしか出来ない事だと思います。

MUSIC|菊地成孔による『ゲッツ/ジルベルト+50』解説04

プロデュースを担当した伊藤ゴロー

もう一つは、徹底的なディレクションと編集で、これも伊藤ゴロー此処に有りといった本領発揮であって、ワタシは『カレンデュラ』のレコーディングで知ったのですが、ゴローさんの完全主義者ぶりは、「良いセッションを録るために、スタジオを良い感じで統治する」派ではなく「編集とリテイクによって緻密に組み上げる」派で、映画監督に近く、場合に寄っては2拍単位の録音になったりします。

「ええ?そういうのって、ボサノバのノリとは違うんじゃ?」と思われる方も多いでしょうが、実は『ゲッツ/ジルベルト』は、基本的には録って出しのジャズ界に於ける「編集かましてるジャズ作品史(いろんな「史」が出て来て読みづらくなってしまいましたが・笑)」の中でも画期となるもので、何せ有名な「『イパネマの娘』のジョアンのヴォーカル切除」を始めとして、主に「ポップである為に」という目的の元(セッションの雰囲気がギクシャクしていたから。というネガティヴな根拠も皆無ではなかったと思いますが)、多くの編集(細密な編集ではなく、ブロック編集ですが)が施され、それは60年代に於いて「ジャズがポップに成る可能性」の一つが「編集」だった事を知らしめています。

言うまでもなくこのテーマを、もっと肥大的に、極限まで推し進めたのはマイルス・デイヴィスとテオ・マセロのコンビによるもので、その彼等の最大の失敗作と言われているのが、ボサノバに挑戦し、「コルコバード」をキラーチューンにしようとして惨敗した(まあ、マイルスの父親が亡くなってすぐに録音された。という事情もあるのですが)『クワイエット・ナイト』で、奇しくも63年のレコードなので、言うならば今年は<クワイエット・ナイト50周年>でもあり、そして坂本龍一さんはこのアルバムをマイルス作品の中のフェイヴァリットに挙げているので、、、と、どこまでも多層的に闘争的な物件なのですね『ゲッツ/ジルベルト』というのは。

こうした観点を踏まえた上でも、そして(ここが最重要なのですが)一切何も知らずにカフェかなんかで本作を聴いても、とてもフレッシュでリラックスした気分になるであろう、質が高く、押し付けがましくなく、イージーな手抜きの無い本作の完成度は素晴らしく、『ゲッツ/ジルベルト』の鬼っ子ぶりに拮抗し、『ゲッツ/ジルベルト』が20世紀という時代に突きつけながらも、既に風化しようとしている問題系に真っ向からアンサーした上で、尚かつ純音楽的であるという、怪物的な傑作だと思います。

 

 

『ゲッツ/ジルベルト+50』
produced by 伊藤ゴロー
6月19日(水)発売
3059円(UCCJ-2110)

1. イパネマの娘
土岐麻子(vo)、菊地成孔(ts)、山下洋輔(p)、鈴木正人(b)、栗原 務(ds)、伊藤ゴロー(g)
2. ドラリッシ
布施尚美(vo)、菊地成孔(ts)、坪口昌恭(p)、秋田ゴールドマン(b)、みどりん(ds)、伊藤ゴロー(g)
3. プラ・マシュカール・メウ・コラソン
細野晴臣(vo)、清水靖晃(ts)、坂本龍一(p)、伊藤ゴロー(g)
4. デサフィナード
坂本美雨(vo)、清水靖晃(ts)、山下洋輔(p)、鈴木正人(b)、栗原 務(ds)、伊藤ゴロー(g)
5. コルコヴァード
カヒミ カリィ(vo)、清水靖晃(ts)、坪口昌恭(p)、鈴木正人(b)、栗原 務(ds)、伊藤ゴロー(g)
6. ソ・ダンソ・サンバ
TOKU(vo)、菊地成孔(ts)、坪口昌恭(p)、秋田ゴールドマン(b)、みどりん(ds)、伊藤ゴロー(g)
7. オ・グランジ・アモール
ジャキス・モレレンバウム(cello)、坂本龍一(p)、 鈴木正人(b)、伊藤ゴロー(g)
8. ヴィヴォ・ソニャンド
原田知世(vo)、坪口昌恭(p)、秋田ゴールドマン(b)、みどりん(ds)、伊藤ゴロー(g)
9. イパネマの娘(日本語ヴァージョン) *ボーナストラック
沖 樹莉亜(vo)

ユニバーサル クラシックス&ジャズ
Tel. 03-6406-3034
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