アメリカ海兵の下着だったTシャツがロックファッションとして広まるまで|MEDICOM TOY
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ロックスタイルのレジェンド 島津由行さんに聞く(1)
ロックTシャツとはもちろん、アーティストのファンに向けて作られたアイテムだった。そのビジュアルが、いつしかスタイルアイコンとなり、ストリートからビッグメゾンへと伝搬、いまやファストファッションまでもがこぞってリリースする人気アイテムへと変貌した。では、その流れは、具体的にどのようにして形成されていったのだろうか? ロックスタイルといったら、この人!! スタイリスト島津由行さんに、ロックTの源流時代の背景をうかがった。もうこの知識なくして、ロックTを語ることなかれっ! なのである。
Photographs by OHTAKI KakuText by SHINNNO Kunihiko
ロックとTシャツとの邂逅
――今回はMEDICOM TOYとデザイナーのヒラカワレンタロウさんが共同で設立したロックアパレルブランド「Amplifier」の1周年を記念して、スタイリストの島津由行さんにロックTシャツの歴史についてうかがいたいと思います。
島津 Amplifierの忌野清志郎さんシリーズ第3弾(忌野清志郎を撮影した7人のフォトグラファー達が自らセレクトした写真を使用)の中には、僕がスタイリングしたものもありますね。
鋤田正義さん、広川泰士さん、阿部高之さん。ちょうどアルバム『Memphis』(1992年)の頃かな。
――島津さんはロックTシャツのコレクターとしても広く知られていますが、現在何枚ぐらいお持ちなんですか?
島津 1万枚以上あります。
以前買い付けをやっていたこともあるんですが、集めるようになったのは’75年に初めてアメリカに行って、ロングビーチでドゥービー・ブラザーズやCCRといった西海岸系のバンドが出演したフェスを体験したことが大きいですね。
――島津さんのコレクションの中でも一番古いものは?
島津 エルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」(’56年)のレコードジャケットをイラストにしたTシャツで、ロックTの起源ですね。彼は当時アイドルだったので、バッジとかコーヒーカップとかいろんなグッズが出ていたんです。
それからザ・ビートルズ。僕が持っているものは’63年とプリントされています。
――イギリスでデビューした翌年、「ラヴ・ミー・ドゥ」「抱きしめたい」のヒットで大旋風を巻き起こしていた頃ですね。
島津 それからロックTを語る上で欠かせない人物がビル・グレアム。モンタレー・ポップ・フェスティバル(’67年)、ウッドストック・フェスティバル(’69年)などの巨大ロックイベントを裏で支え、ライブ・エイド(’85年)などのチャリティイベントを実現へ導いた伝説のプロモーターです。
ドイツ生まれのユダヤ人である彼は、少年時代にナチスから逃れるため渡米し、ニューヨークで黒人音楽と出合い、サンフランシ
スコのライブハウス「フィルモア・オーディトリアム」でロックコンサートを開催するようになります。
そして’68年、ビルはニューヨークに「フィルモア・イースト」「フィルモア・ウエスト」をオープン。興行的に成功を収めたビルは、アーティスト側から権利をもらい、マーチャンダイジング事業としてツアーTをフィルモアで売り始めます。
――ヴィンテージ・ロックTコレクターが血眼になって探しているアイテムです。
島津 昔はシルクスクリーンの手刷りで100枚程度しか作らなかったので、機械のプリントよりも色の染み込み具合いがいいんですよね。僕自身、ロックの一番いい時期はウッドストックが開催された’69年からグラム・ロックが崩壊する’75年までに濃縮された6年間だと思っていて、Tシャツのデザインも面白いものが多いです。
その後、ビルはローリング・ストーンズと組んで、プロモーターとして’72年の世界ツアーを仕切るようになりました。この時、ビルはフィルモアの経験を踏まえて、コピーライトがクレジットされたオフィシャルのツアーTシャツを大々的に販売します。ロックTシャツが大量に出回るようになるのはそこからで、ビル・グレアムなしにいまの物販のシステムは生まれなかったという話です。
――そうしたロックTシャツが、日本でもファッションとして着られるようになったのはいつからでしょうか?
島津 ’80年代まではロックTはそのバンドのファンが着るもので、ファッションとしてはダサいイメージだったんです。ロックTがヴィンテージとして見直されるのはいまから20年ぐらい前、『悶絶!ロックTシャツ秘宝館』(’97年 シンコー・ミュージック刊)というムックが出た頃からですね。
そのあたりから日本ではHYSTERIC GLAMOURやUNDERCOVER、海外でもSAINT LAURENTのディレクターだったエディ・スリマンがロックスタイルをファッションに取り入れるようになり、ストリートで着てもおかしくない状況ができたわけです。
Page02. ストリートから、やがてビッグメゾンへ
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ロックスタイルのレジェンド 島津由行さんに聞く(2)
ストリートから、やがてビッグメゾンへ
――近年はビッグメゾンがロックをモチーフにしたコレクションを相次いで発表しています。
島津 ファッション誌のスタイリングがロック・モチーフを取り入れて行くうえで、ケイト・モスの存在は大きいですね。
昨年、GUCCIがAC/DCのロゴを使ったドレスを発表したり、シュプリームの今年の春夏シーズンはシャーデーのフォトTだったり、メゾンでもストリートでもロックをファッションに取り入れる傾向は相変わらず強いです。
いまヴィンテージTシャツはハリウッドのセレブ用になっていて、ロサンゼルスでは一枚10万円以上するものもあります。
――同時に、ファストファッション界でもロックTは大人気です。
島津 それは権利問題がまとまったからなんです。昔はアーティストのTシャツを作りたくても権利元を探すのが大変だったんですが、ライセンス会社が窓口になってとりまとめてくれたおかげで、申請して許可がおりれば1枚いくらのパーセンテージで販売できるようになった。それでジョン・レノンやニルヴァーナのTシャツが大量に出ているわけです。
併せて’90年代にオフィシャルで出たものが、古着となってネットなどで手頃な値段で買えるようになったことも大きいですね。当時のロックTは、ビッグサイズでハードコットンのものが多いんですけど、そのサイズ感も’90年代リバイバルにうまくハマったという感じです。
――そうした流れの中、日本のロックミュージシャンをモチーフにしたAmplifierのTシャツを実際にご覧になって、いかがでしょうか?
島津 Amplifierがフォトプリントに特化しているのは、新たなロックTの提案かなと思いました。ミュージシャンにも、写真家にもリスペクトがありますよね。
フォトTの流れを作ったのはカルバン・クラインの広告写真を撮ったブルース・ウェーバーだと思うんですけれども、このTシャツはファンの方はもちろん、ファッションや写真が好きなカルチャー系の人も欲しいでしょうね。
しかもこのTシャツはオリジナルボディをパターンから作っていますよね。それも、いわゆるスタンダードな細身のTシャツ。着込むことによってヴィンテージ感を楽しむことができる大人のロックTですね。
――忌野清志郎さん、THE MODS、甲本ヒロトさん&真島昌利さん、ZIGGY、THE ROOSTERS、BLACK CATS、RED WARRIORSというラインナップが続きます。
島津 僕は日本のロックにおいて1970年というのは分岐点だと思うんです。
日本語のロックにこだわった、はっぴいえんどがいて、内田裕也さんがプロデュースしたフラワートラベリングバンドみたいに英語で歌って海外で活躍した人たちがいて、RCサクセションがデビューした年。’70年代はまだまだポピュラーではなかった日本語ロックが、’80年代になってようやく認められてきた。
Amplifierのコンセプトも「日本のロックシーンにおいて圧倒的な存在感で時代を作り上げたアーティストの肖像をアパレルに落とし込み、普遍的なアイコンとして後世に受け継ぐこと」とありますが、僕は清志郎さんなんて、デヴィッド・ボウイやストーンズに匹敵するスーパースターであり、レジェンドだと思うんです。
そういう意志がここから伝わってきますね。
このTシャツを着れば、レコードもほしくなるし、コンサートも観に行きたくなる。写真展も観に行きたくなる。
自分たちの本当に好きなもの、ずっと寄り添ってきたもの。それをノスタルジーじゃなく、大人のロックTとして楽しめるのは素晴らしいと思います。
AmplifierオフィシャルHP