Diary-T 238 The Promise of Music
呼びかけられている。
どこか遠くの…命の泉が沸き上がり吹き出すようなところから、
そう最近私は、radioApp のお陰で、classic音楽?に夢中だ。
未来を知ろうとするなら、
答えは歴史の中にあるとか、
ふむ。こう、つぶやいていても、どうもしっくりこないな。
ここ数年私は、Gustavo Dudamelの虜だが、
彼の選び出すclassic音楽は何かが違うのだ。
クラッシックと呼ばれる楽曲への認識が一新するとでもいおうか、Gustavoの選び出す楽曲の目もくらむような美しさに埋没しながらも、同時に思考するのは偉大なる過去の遺産と対峙するGustavo Dudamelの姿勢だ。
彼は神なのか?はたまた天才指揮者なのか?
これまで味わったことのない、雷に撃たれたような(もちろん実際にはないが)、背中を突き抜けるような歓喜、青春時代のようにはもうスパークしなくなったクライマックスが私を奈落の底へ突き落とすのだ。だからこれはもう音楽という領域で語ることが出来ないほど強烈なカタルシスが私の心を支配しその心の奥底に沈んでしまったまま忘れ去られ、いつしか朽ちてしまった希望という二文字をGustavo Dudamelの音楽はいとも簡単に二人のディナーの俎上に乗せてくれるのです。
Gustavo Dudamel - The promise of music
気がつけばあらゆるメディアが金と権力の虜になり、
その権益を牛耳るものたちの自らの欲望との引き替えに進んで奴隷生活に身を晒すことに弛緩し虚無的で終末論が漂う前門のトラ後門のオオカミという生き詰まった八方塞がりのこの世界へGustano Dudamelは訳あって降臨したのだと思う。
つまり久しく忘れていた希望という言葉の復権を促し、
人類を明るい未来へ導く一筋の光の使者としてね。
Gustavo Dudamel dirigiert Ravel und suedamerikanische Werke
何度も言う、これはもう音楽ではない。
つまりあらゆるものを消費し尽くした人類がそのゴミ駄目の中に潜んでいた光り輝く希望をGustano Dudamelはクラッシック音楽という包装紙に包んで私たちに見せてくれているのだ。
天才は忘れた頃にやってくる。
「われら高貴なもの、われら善きもの、われら美しきもの、
われら幸いなるもの」という根源的な自己肯定から出発する。
絶対的自己肯定を基盤に立ち上がるこの貴族的・騎士的存在は、無思慮で、単純で、法外なまでに野蛮である。
知に働けば蔵が建つ/内田樹著より抜粋引用
しばらく前まで総中流意識の豊かな国と言われたニッポンも、
まるでクラッシック音楽が生まれた時代に連れ戻されたように、今ではもう取り返しのつかないほど貧富の差が開いてしまった。
さぁ諸君!貧乏人ども!今こそ反逆の時だ、貴族意識を鼓舞する音楽に身を委ねようではないか。
さて未来を司る音楽とは、人類の膨大な偉大な過去の遺産を再発見しこれまで聞いたことのない音楽としてリメイクする才能が作り出す音楽のことだと私は信じている。今日のところ。
YouTube様のお陰ともいう。
G. Dudamel Ravel:Bolero - Part2
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