Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO スペシャル対談 (前編)
FASHION / WOMEN
2015年4月24日

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO スペシャル対談 (前編)

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO スペシャル対談

モードとオーガニックと美の表現者たちのマインド(前編)

ヘアサロン「ツイギー」主宰の松浦美穂さんと、コスメブランド「THREE」のメイクアップ クリエイティブ ディレクターを務めるRie OMOTOさん。今回、ふたりのスペシャル対談が実現した。

Text by OPENERSPhoto by JAMANDFIX (TALK) , SATO Koji (LONDON)

「ロンドン」という共通の場所

ヘアサロン「ツイギー」を主宰する松浦美穂さんは、さまざまな媒体においてモードの先端を発信しながらも、サロンの屋上で稲作をしたり、オーガニックに注目したオリジナルプロダクトを開発するなど、“モードとオーガニックの両立”を提案している。一方、ナチュラルな成分を使いながらもメイクアップ製品ならではのモード性を確立させて人気を博しているコスメティックブランド「THREE」のメイクアップ クリエイティブ ディレクターを務めるRie OMOTOさん。あたらしい感性で、注目を浴びるふたりがいま思うこととは?

──今日、おふたりはちゃんとお話するのははじめてだそうですね。じつはお互いに、ロンドンにいらっしゃった過去があるようです。

松浦 そうなんですか! ずっとニューヨークにいる方だと思っていた。いつごろロンドンに?

Rie  1990年ごろです。

松浦 じゃあもしかするとギリギリかぶっているかもしれない。私は1987年から89年だから。私はカムデンに住んでたけど、どこに住んでました?

Rie  クイーンズパークです。カムデンには毎週行ってました。

松浦 あのころのカムデン、よかったよね。ファッションの新人さんたちの服がたくさんあって、毎週末にゴルチエさんの姿を見かけたり……時代は暗かったけど、街は楽しかった。

Rie  暗い(笑)。暗いし住みにくいけど、でも音楽なんかはすごくパワフルな時期でしたよね。私がロンドンに行ったのは、ただ単純に音楽が好きだったからっていうだけなんです。14万円だけ握りしめて、行きました(笑)。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

カムデンタウンのフリーマーケット。 ©SATO Koji

松浦 え!? 14万円(笑)!?

Rie  そうなんです(笑)。何百万も貯めて学校に行きながら、というより、とりあえず行ってみようっていう。でもすごく楽しかったし、刺激をたくさん受けました。

松浦 わかる。私もロンドンに行くのは直観で決めました。私たちが行った時期って、ロンドンがいちばんパワフルだったころからどーんと落ちて、もうロンドンコレクションにも日本人ジャーナリストは誰も来ない、なんていうとき。一方、日本はバブル絶頂期で。だから日本人から見ると、ロンドンで古着を着てたりなんかすると、「今更なに?」っていう目で見られる時期だった。「美穂ちゃん、服に穴が開いちゃってますけど」みたいな(笑)。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

左から、「ツイギー」の松浦美穂さん、「THREE」メイクアップ クリエイティブ ディレクターのRie OMOTOさん。

Rie   私も洋服は自分で作ってましたね。カムデンで洋服を安く買ってきて、布を足してリメイクしたりとか。そのへんの石ころでもおもしろく思えるような、人生においていちばん刺激を受けるような時期に行ったから、よかったのかもしれないですね。寒いしごはんおいしくないし文句を言いながら帰国しちゃう子もたくさんいたし、もし自分のなかで何かがすでに固まっちゃっていた時期だったら、そうはなっていなかったかもしれない。たまたま行ったタイミングも、自分的にベストだったんでしょうね。

松浦 タイミングって大きいですよね。私はロンドン行く前に「六本木美容室」というサロンの店長をやっていたんだけど、だんだん東京が自分にとって居心地悪くなってきているのを感じていた。それで飛び出してみたんだけど、旅行で感じたほっこりしたロンドンと住みはじめたロンドンの暗い感じに大きなちがいがあったし、いつも自分がどうしたいのか見つめていないといけなかった。税金も高くて、そういう意味では外国人に冷たい街だったし。ストリートでヘアメイクやってると、警察に目をつけられたりもしましたね(笑)。馬でパコパコっと警官がやってきて「何やってるんだ」って言われても、「友だちにお化粧してあげてるの」なんて言い逃れてましたけど(笑)。

Rie  ロンドンではお仕事をされてたんですか?

松浦 こっそりしてました。「Streeters」っていう事務所があって、そこに仮所属というかたちで……補欠的な感じで作品撮りに励んだり。あとは日本から撮影に来るミュージシャンたちのヘアメイクをやったりとかね。

Rie  それはすごいですね。

松浦 そのときは自分の運命にありがとう、って言いたかったですね。貯金通帳を見たら残高980円しかなくて、家賃、無理!っていうときもあったくらい。そんなラッキーな仕事があったり、あとはストリートマーケットで髪を切ったりとかね。

“二十歳を超えたら、歳なんてナンバーでしかない”

──ロンドンにいたのは2年間くらいですか?

松浦 うん、出産しちゃったから。お金が底をついたり、仕事がどかんと入ってきたり、ジェットコースターみたいな日々だったんだけど、そんなある日気がついたら妊娠してた。それだけでもロンドンに行く意味はあったと思うんですよ。

Rie  行っていないといまがないかも。

松浦 絶対ない(笑)。妊娠することで、医者に病状を伝えないといけないから、英語の勉強にもなったしね。ホントはピロートークがいちばん英語の勉強になると思ってたんだけど、夫も日本人だったし(笑)。お医者さんに自分の症状をシリアスに伝えないといけないから、必死になって英語を話した。

──Rie さんは何年間滞在したのですか?

Rie  私は最初1年行って、そのころビザが厳しかったから、一度帰国してまた1年行って……合計2年間いましたね。お金もまったくない状況だったけど、すごく楽しかった。英語がしゃべれなかったから、仕事はとりあえず日本語がつうじるところでと思い、コシノミチコさんのアトリエの門を叩きましたね。ボンドストリートの近くにあるアトリエを訪ねて行って、いきなり「仕事ください」って(笑)。そしたらミチコさんは関西の方で、「ええよ」って。お店でショーの手伝いとかフィッティングモデルをやらせてもらって、週に50ポンドもらってました。週に50ポンドって……。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

当時、ロンドンの地下鉄の中。 ©SATO Koji

松浦 1万円くらい?

Rie  そうですね、ということは月に4万円くらい(笑)。でもお金がなくてもそれが全然苦ではなかったし、生活がなんとかできて、そして楽しいこともたくさんあって。日本に帰りたいとはまったく思わなかったですね。

──おふたりがもっていた資質と、ロンドンが合っていたんでしょうね。

松浦 出会った相手とか、仕事だったりが、すごく大きい。私にとってロンドンは、子どもを産むために行ったんだと思います。息子がいま21歳で、これからロンドンに行くんですよ。

Rie  そうなんだ! やっぱり。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

Hackney地区の壁の絵は1960年代のもの。このエリアは当時、黒人のジャズカフェがかなり勢ぞろい。 ©SATO Koji

松浦 すべてが当たり前のような流れだったんだな、と。ジャンクフードにディスコ女の80年代だったのが、出産によってライフスタイルががらっと変わった。日本にいたまま出産してたら、きっと何も変わってなかったと思う。ロンドンはハーブ大国だし、そのころニールズヤードで働いていたイタリア人のナディアという女の子に出会ったこと、それが私にとって運命でしたね。(松浦さんの連載 「ORGANICAL on Twiggy」vol.1を参照

Rie  妊娠してたときに、彼女に出会った。

松浦 妊娠してたから、足が自然にナチュラルなものに向いたんでしょうね。それまでにもよく店の前をとおってはいたんだけど、妊娠してた時期に、その香りに本能的に誘われた。そこで知り合ったのがナディア。とてもあたたかいひとで、唄ったり絵を描いたりするアーティストでもあり。彼女も私と出会うことで東洋にどんどん惹かれていって、最終的には鍼の先生になっちゃって。

──松浦さんはナディアさんに会うことでどう変わりましたか?

松浦 自分たちの生活が、本当におおげさな話じゃないくらい、一変しましたね。当時、英語が半分くらいしか分からない私に、「つわりだったらこのハーブだよ」とか、「母乳で育てるならこっちを準備しておいたほうがいいよ」と、一生懸命教えてくれるんですよ。あと彼女サラダバーで仕事をしていることも多かったから、帰る道すがら、いつもうちにサラダを持ってきてくれたりね。

──人生を変える出逢いですね。

松浦 変わりましたね。彼女はいま運命的に、うちの旦那さんの友だちだったひとと結婚しているんです。いまでもロンドンにいて。うちの娘と彼女の娘はおない年。ふたりとも42歳で出産(笑)。

Rie  そうなんですか。それは絶対運命ですね! じゃあ息子さんとその方の娘さんが巡りあって……みたいな(笑)。

松浦 いやいや、14歳ちがうから(笑)。

Rie  分からないですよ(笑)。14歳差くらいはまだまだ大丈夫。歳はナンバーでしかないから。

松浦 そう、そうなの! 本当にそう思う。二十歳超えたら歳なんてゼッケンだよね。でも二十歳までは、ちょっとね(笑)。ロンドンには、ロックやシックスティーズといったカルチャーに惹かれて行ったけど、運命としては確実に、ハーブ大国としてのロンドンに惹かれて行っていて、それがいまの私の生活のベースになっている。いつも、インタビューだったり対談だったり、話しているうちに気づくんですよね。自分ではそんなに大きなこととは思っていなかったことが、あとから思い返すと「あのときがスタートだったんだ」って……。

自分のパーソナルをすべて出して、ひとと向き合うという経験

──Rieさんは、ロンドンでそんな転換期を感じさせるようなことはありましたか?

Rie  私は、いい友だちにたくさん出会ったと思う。本当に深いところまで話せる、兄弟のようなひとたち。私はイギリスに行ってはじめて、自分の考えていることを話せるようになったんですね。「私はこう思う」とか「あなたはこうだよね」とか「今の時代はこうだね」とか「この料理はこうですね」とか。じゃあ日本にいるあいだはいったい何を話してたんだ、と(笑)。よく考えると、あまりコミュニケーションを深くとろうとしない自分がいたな、と。

──自分のパーソナルを出すまでは、ひとと向き合っていなかった?

Rie  そうですね。それは家庭環境なのかもしれないし、まわりの友だちの付き合い方だったのかもしれないけれど、すごく刺激になるような会話に花を咲かせる、ということがあまりなかったですね。イギリスに行って、会話することの楽しさや、知らなかったことを知るうれしさとか、本当に勉強になるということを知って。知らないことや分からないことが恥ずかしいと思わなかったし、英語がわからないなりに、いろんなひとと話をしました。

松浦 それがね、私たちにはプラスアルファとしてあるように思う。英語が100パーセント分からないことの良さ(笑)。日本語だと何かを「好き」と言っても「それはなぜ?」と尽きつめられてしまうけれど、英語だとそのあたりを感覚的に捉えることがフィットする。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

松浦さんの当時のスタジオ撮影風景(PV風景)。 ©SATO Koji

Rie  ことばを超えたものは絶対ありますよね。会話がパーフェクトにはできない子どもどうしが友だちになるときの、本能的な感じ、あるじゃないですか。このひとはこういうコレクションがあるから、とか有名人だからとか、デザイナーだからとか、計算づくしで友だちになるんじゃなくて、ただひとりの人間としてつながる感じ。仲良くなったあとにフタを開けてみると「え、あなたボーイ・ジョージだったのね」なんてことも実際あるんですよ。人間って、なにかタイトルがついているとなかなかピュアに仲良くなれなかったりするけど、ロンドンにいるときにはそういうのがなかった。

松浦 そうそう。それにしてもイギリス人をこんなに褒めちぎっていいんだろうか(笑)。ロンドンの最後の時期には大嫌いだったんだけど(笑)。

Rie  はは(笑)。大嫌いって(笑)。

松浦 「もうこのひとたち大嫌い!」ってなっちゃったの(笑)。いじわるに思えた。でもいいなと思うのは、日本人にも近いところがあるけれど、ことばが少ないところ。多くのことを語るよりも一言でまとめておこう、みたいなひとが多くて。だから、何が真実なのかわかりやすかったというのもひとつ、ある気がする。

ニューヨークやパリに行くともっと“社交的”。“業界のひとを何人知っているか”対決になるようなところもある。東京もちょっとそういうことろがあるけれど。私、友だちと言えるひとって片手で数えるほどしかいないんですよ。でも知人っていうと、何百人といる気がする。友だちになるのは、子どものころからの感情とか習慣とかを超えて、すっと入れるひと。大人になってからはそんなひとにしょっちゅう巡り合えるわけじゃない。ロンドンって、イギリス人に限らず自分の感情や習慣を変えずにひととクロスしやすい、そんな環境だったと思うんです。

Twiggy松浦美穂×THREE Rie OMOTO

松浦さんが当時撮影に参加したEPO(1989年当時、ヴァージンUKと契約していたとき)の撮影風景。 ©SATO Koji

松浦美穂|MATSUURA Miho
1980年代初頭より「六本木美容室」の店長を経て、1988年に渡英。帰国後にヘアサロン「ツイギー」をオープン。サロンワーク以外にもヘアスタイリストとして活動し、広告撮影やニューヨーク及びロンドンコレクションのバックステージやヘアショーのイベントなど、活動の場を広げる。モード界において、オーガニックに注目しはじめた第一人者。現在はオリジナルプロダクトも開発。

Rie OMOTO
THREE メイクアップ クリエイティブ ディレクター。リンダ・カンテロのアシスタントを経て、本格的にメイクアップアーティストへの道に入る。トム・ペシュー、パッド・マグラスのチームメンバーとして数多くのコレクションに携わり、モード誌やブランド広告キャンペーンのメイクを担当。モード界の第一線で活躍し、2005年にはアメリカの『WWD』誌が選ぶトップメイクアップアーティストのひとりとして賞される。ニューヨーク在住。

THREE
0120-898-003
www.threecosmetics.com


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