カール F. ブヘラ|レーシングドライバー、フレディ・バースの雄姿
CARL F.BUCHERER|カール F. ブヘラ
「カール F. ブヘラ」のニューアンバサダー
スイスを代表するレーシングドライバー、フレディ・バース。2010年、おなじくスイスを拠点とする独立時計メーカー「カール F. ブヘラ」は彼をニューアンバサダーとして迎えた。
Text by OPENERS
スイスを代表するレーシングドライバー、フレディ・バース。2010年、世界ツーリングカー選手権(WTCC)で活躍する彼は、おなじくスイスを拠点とする独立時計メーカー「カール F. ブヘラ」のアンバサダーとして迎えられた。ともにスイスのルツェルン生まれという共通項が引き合わせた、あらたなるパートナーシップ――“あきらめることのない夢への挑戦”が、両者の絆を結んだという。
フレディ・バースがカートレースへの参加をはじめたのは16歳のとき。「とにかくもういい大人なのだからあきらめたほうがいい」と周囲からは囁かれるほど、そのスタートは遅いものであった。しかしバースは最初のカートレースのために3年間貯金をし、時間の許すかぎりレースで勝つための努力をつづけてきた。“スピード”と、ドライビングに不可欠とされる“冷静さ”――そのアンビバレンスを追求する姿が、着実な製作をつづけてきた自社のスタイルに重ねられるとカール F. ブヘラは語る。バースは18歳のときリンパ節癌におかされるが、モータースポーツへの強い思いが彼を支えつづけた。カートレースをはじめてから14年後、30歳のときにバースは、ツーリングカーレースにおける世界クラスのドライバーたちと記録を争うほどの実力をもつようになる。2000年にはウィンフィールドワールドチャレンジで勝利を果たし、そして今年2010年には世界ツーリングカーレース選手権に初参加。現在すべてのラウンドでWCポイントを伸ばし、マラケシュラウンドでは第4位を獲得するという、新人としては過去最高となる成績をおさめている。またバースはスポーツ面ばかりではなく、チャリティ活動にも勤しんでおり、「こどもと癌――スイスリサーチ基金」への協力を果たしている。
モーターレースの世界で遅すぎるといわれたフレディ・バースのポリシーは、「生きがいをもて、さもなければその死が無駄になる」。そんなたゆまぬ努力をつづけてきたバースは、今年10月におこなわれる岡山ラウンドにも参加する予定だ。カール F. ブヘラがこよなく愛するレーシングドライバー、その活躍を日本で見ることのできるチャンスを心待ちにしたい。
ブヘラジャパン
Tel. 03-6252-3481
BRAND HISTORY
1888年、カール・フリードリッヒ・ブヘラにより、スイスのルツェルンに宝飾品店が開かれた。これがのちに、ヨーロッパ最大級の時計・ジュエリー販売店へと成長することになる。とくにロレックスの取り扱いに関しては世界有数の品揃えで、1924年に協力体制を築き上げて以来、お互いを支え合ってきた。
だが、宝飾品店の経営の傍ら、創業者のカール・フリードリッヒ・ブヘラは時計製造にも興味をもつ。1919年には、レディス製品をはじめとする彼自身のオリジナル時計コレクションをスタート。ほかのスイスのウォッチメーカーが製作する時計に引けをとらない水準で評判を呼ぶ。
カールの死後、ふたりの息子に経営は受け継がれ、時計製作も引き続き行われていく。1948年には「クロノグラフ ビッグデイト」を発表し、1969年にはいち早くクォーツ・ムーブメントの開発にも着手するなど、意欲的に時計製造に取り組む。
現在は3代目のヨルグ・G・ブヘラがグループの会長を務め、2001年にあらためて創業者の名を冠したブランド「カール F.ブヘラ」を立ち上げる。ヴィール近郊のレングナウに工場を設立し、中央スイス唯一の時計メーカーとしてオリジナル商品の開発に力を入れている。
【創業年】2001年
【創業地】スイス・ルツェルン
【主なシリーズ名】パトラビ、アラクリア、マネロ
【問い合わせ先】ブヘラジャパン 03-6252-3481
公式サイトhttp://www.carl-f-bucherer.com