MUSIC|2011年夏のYellow Magic Orchestraレポート Part-I
2011年夏のYellow Magic Orchestraレポート Part-I
2011年7月31日 フジロックの前に(1)
6月末にアメリカ ロサンゼルスとサンフランシスコでのすばらしいコンサートを終えて帰国したYellow Magic Orchestra(YMO)。2011年夏の日本での活動もまた活発だった。
文・写真(オフィシャル以外)=吉村栄一
細野晴臣の感慨
7月の中旬にメンバーの3人が揃った場で話を聞く機会があったのだが、3人ともそれぞれアメリカでのコンサートの成功の手応えを確実に感じていた。そしてとりわけ、YMOの創設者でもある細野晴臣には今回のアメリカ・ツアーにはさらなる感慨があったという。
それはYMOの海外進出の第一歩となったファースト・アルバムのUS版のためのリミックス作業がおこなわれたキャピトル・レコードの目の前に、ロサンゼルスでの宿泊ホテルがあったこと。これには強い縁を感じたという。
YMOの海外進出のきっかけとなった場所を目の当たりにし、YMOの初の海外公演であったロサンゼルスでいままたコンサートをおこなおうとしている。
不思議な縁に突き動かされて、いままたYMOをやっているという細野晴臣の感慨には坂本龍一、高橋幸宏も同意だ(フジロック以降、高橋幸宏のバスドラにはそのUSA版ファーストで使用されたバンドロゴがプリントされた!)。そしてさらに、今年3月11日の東日本大震災後の日本の行く末についても、3人は心を痛めている。未曾有の大災害にみまわれたいま、YMOでできることはなんだろうか。アメリカ公演のために再結集した3人の脳裏にはつねにこのことがあったという。
2011年夏のYellow Magic Orchestraレポート Part-I
2011年7月31日 フジロックの前に(2)
素のYMOが怒りと恐怖をむき出しにした希有な30分
そんなYMOがまず登場したのは日本を代表するロック・フェス“フジロック”の最終日。これまで出演が待ち望まれたなか、いよいよ満を持しての登場だった。
ただし、YMOの“フジロック”初登場はライブ演奏のステージではなかった。直前まで伏せられていた、反核・脱原発を訴えるアトミック・カフェへのシークレット・ゲストが、YMOの記念すべき“フジロック”初登場となった。
直前まで、斉藤和義らによる演奏がおこなわれていたアトミック・カフェのアヴァロン・ステージ会場は超満員。斉藤らのステージが終わって観客がほかのステージに移動しようとした際に発表されたのがYMOの登壇だ。超満員の人びとは、もう動かない。
加藤登紀子、Seed Japanの羽仁カンタ、原子力資料情報室の澤井正子とともに姿をあらわしたYMOは、それぞれ3・11を機に起こった福島第一原発の事故による今日の日本の現状について、非常な恐怖をもっていること、そして怒りを抱いていることを三者三様の表現でアピールした。ガイガーカウンターをつねに持ち歩いている細野晴臣、現在の日本の社会状況についてソフトに、だがしっかりと警鐘を鳴らす高橋幸宏、そして無責任な政治家や学者にストレートに怒りを表現する坂本龍一。
そこには、ほんの少し前までの老成したイメージのYMOはいなかった。近年、どんどんとフィジカルになった彼らの演奏と同様、ストレートで直截で、生なYMOがそこに出現したのだった。トーク、しかも脱原発というテーマでのトークで、入場規制がかかるほどの立錐の余地のない大観衆の前で、素のYMOが怒りと恐怖をむき出しにした希有な30分だった。
アウェイのフジロックで、YMOは見事な「デビュー」を飾った
そんなアトミック・カフェでのトークより数時間後、今度はいよいよバンドとしてのYMOの登場だ。会場はグリーンステージ。アトミック・カフェとは規模のちがう数万人クラスのステージだが、こちらも入場規制。
YMOは近年、おなじく野外フェスの“ワールドハピネス”で、やはり1万人以上の観客を前にライブをおこなっている。しかし、ワールドハピネスがつねにYMOが主役(大トリ)のフェスであり、観客の多くもYMOを楽しみに来ているという点で、スポーツの試合にたとえるならホームでのゲーム。それに対してフジロックはアウェイだ。
観客の年齢層はワールドハピネスにくらべて格段に若く、YMOという名前は聞いたことがあっても、音楽は知らないという若者がたくさんいる。実際、グリーンステージを埋め尽くした観客、なかでもステージ前に詰めかけた観客のなかには、「お父さんが好きだった」「曲は“ライディーン”しか知らないけど楽しみ」という会話をかわしているグループやカップルが本当にたくさんいた。
今年のフジロックは初日、2日目と、新潟地方が記録的な豪雨に襲われた影響で会場付近も大量の雨が降った。この日も昼までは雨が降りしきり、場内のコンディションは最悪。テントで泊まり込んでいるひとはろくに安眠もできなかったという。消耗し尽くした体力に、どろどろの足場。
だが、そんなコンディションでも、いや、だからこそ、音楽の力で場を幸福な場所に変えられてしまうのが大型音楽フェスのマジックだ。
この日、この時間、この場所で、YMOはフジロックのたくさんのステージのなかのひとつの演者にすぎなかったが、このグリーンステージ前を埋め尽くした何万人かのひとを、燃え上がらせ、あの場所を世界でも有数の幸福な場と変化させたのだった。
先日のアメリカ サンフランシスコ公演から披露されるようになったオープニングの即興演奏から、スタートは「ファイヤークラッカー」。ディスコでファンキーなこの曲がはじまったとたん、ステージ前のあちこちでモッシュが起こる。「大人」のファンが多い、近年のYMOのコンサートでは見られなかった光景だ。つづく「ビハインド・ザ・マスク」「ライオット・イン・ラゴス」でも同様。「この曲知ってる!」「クラブでかかってる!」名のみ知る存在だったYMOが、じつは自分たちの身近でかかっていた名曲の作者だったと知って驚いている。
こんな熱狂はYMOにもフィードバックされている。海外公演とはちがった意味で、やる前は反応の予想がつかなかったはずだが、フジロックの若い観客のこの熱狂を受けて、YMOの演奏にもどんどん熱が入っていく。
1時間強のステージだったが、凝った映像演出や照明の効果もあり、一瞬のダレ場もないままYMOのフジロック初出場は熱狂のままに終わった。日本を代表する大型ロック・フェスで、YMOは見事な「デビュー」を飾ったのだった。
2011年夏のYellow Magic Orchestraレポート Part-I
2011年7月31日 フジロックの前に(3)
フジロックの熱狂から5日。この日もまた静かな熱狂の日だった
7月下旬に突然に発表されたYMOによるNHKテレビ公開収録のお知らせ。詳細はなにもないまま募集されたこのイベントへの応募は予定していた観覧客の10倍を超える申し込みだったという。
聞くところによると、さすがにNHK。本当に厳正な抽選で、ひとりで何十通も応募ハガキを書いたひとも、YMOはよく知らないけど、なんとなくWEBで応募してみたひともおなじ1票。機械的な抽選によって、熱狂的なマニアも、フジロックの観客以上にYMOに平熱なひとがミックスされての公開収録となった。その結果は……。
この公開収録の模様はおそらく年内に放送ということで、それまで全貌については詳細をつまびらかにしないほうがいいだろう。先に書いた熱狂的なマニアも、平熱なひともひとしく楽しめる内容だったことは保証する。