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2025年1月31日
トスカーナの鬼才、その息子が語る “手仕事のワイン”の価値とは?
TENUTA DI TRINORO|テヌータ・ディ・トリノーロ
イタリア・トスカーナの新進気鋭ワイナリー、TENUTA DI TRINORO(テヌータ・ディ・トリノーロ)の新オーナー、ベンジャミン・フランケッティ氏(創業者の息子)が2024年初冬に来日。トスカーナのなかでも伝統産地から遠く離れた場所で、40年にわたり追求してきた“手仕事のワイン”について語った。
Text by TSUCHIDA Takashi
「狂気」と呼ばれた挑戦
効率性と生産性を追求する現代において、私たちは「コスパ(コストパフォーマンス)」「タイパ(タイムパフォーマンス)」という物差しで、あらゆるものを測ろうとしている。その点においてワインを大量生産することによるボリュームメリットは、価格という観点では揺るぎない優位性を持つ。
しかしながら、本当の豊かさとは何だろうか? 規格化された商品ではなく、作り手の想いが存分に詰まった製品との一期一会の出合いこそ、私たちの心を豊かにするのではないだろうか。そこで“トスカーナの鬼才”とまで呼ばれた創業者の志を受け継ぐ息子(新オーナー)の話に耳を傾けてほしい。
1980年代後半。イタリア・トスカーナ州の辺境の地で、一人の男が40歳にしてワイン造りを始めた。現オーナーの父である。その土地は、伝統的なワイン産地から遠く離れ、周囲40-50kmにワイナリーが一軒もない未開の地だった。
トスカーナ南東部、峠を越えれば、すぐウンブリア州という地にあるサルテアーノ。一帯は粘土質が強く、一般的な作物さえも育ちにくい土地だ。「できてもポテトぐらい」と言われる不毛の地で、当時のジャーナリストたちは彼を「頭がおかしい」と評した。
テロワールが独特すぎるのである。夏はトスカーナでも非常に高温になり、加えて、標高450〜650メートルという山間部である。ところが、その“狂気”と呼ばれた挑戦は、やがてトスカーナワインの新たな可能性を切り開くことになった。
彼らの秘策は明かされていないが、厳しい環境を逆手に取り、その環境に適合した栽培・醸造によって彼らの品質を生み出していることは間違いない。葡萄の果実は厳しい条件を耐え抜いた先に、珠玉の品質となるポテンシャルが備わるのだ。
テーラーメイド的ワイン造りの思想
現在、テヌータ・ディ・トリノーロは約200ヘクタールの土地を所有している。そのうちブドウ畑はわずか20ヘクタール。さらにその20ヘクタールを50区画に分割し、それぞれの区画から収穫されたブドウを個別に醸造する。土壌と気候は毎年、その様相を変化させる。その変化をつぶさに観察して、ブドウ果実のポテンシャルを引き伸ばすのである。
この哲学は、具体的な取り組みとなって表れる。例えば霜害対策。春先の気温低下から若芽を守るため、必要に応じて約4000カ所で焚き火を行う。夜通し続くこの作業は、大規模生産では現実的ではない。ところが、彼らはこの手間を惜しまない。
また収穫や瓶詰めは月の満ち欠けに合わせて行われる。「満月の時期は、ワインの澱が下に沈みやすい。これは(人間がワイン造りを営んできた)代々の経験から得られた知恵です」と、ベンジャミン氏。科学的な根拠以上に、長年の観察から得られた経験則を重視する姿勢がここにはある。
「ブルー」を待つ感性
最も興味深いのは、収穫のタイミングを決める感覚的な判断基準だ。創業者は「ブドウが『ブルー』になったときに収穫する」と表現していた。これは文字通りの色の変化ではなく、完璧な成熟度に達した瞬間を表現した言葉である。
「父は午前中にブドウを食べて『もう少し』と判断し、午後に再度確認して『今だ』となれば、その日のうちに収穫を始めていました。その完璧なタイミングは、数日前でも数日後でもダメなんです」
このような繊細な判断の積み重ねは、最終的に珠玉の酒質となって結実する。彼らのコンペティターとなるのは、おそらくフランス・ボルドーの右岸地域の高名なシャトーである。ワインに骨格があり、確かなストラクチャーを感じさせつつも、左岸とは異なり果実味も存在する。もちろん、ただ肩を並べるだけに留まらず、トリノーロにしか出せない特徴がある。なかでも旨味が舌にじんわりと染み渡っていく感覚や、圧倒的な余韻の長さは格別なものだ。
年間生産量のわずか6-7%しか作られない最上級キュヴェ「トリノーロ」は、50区画のうちでさらに厳選された最高の区画のブドウだけを使用。ブレンド比率は毎年変動し、2021年ヴィンテージではメルロー60%、カベルネ・フラン40%となった。
豊かさの代償〜未来へ引き継ぐ価値観
「完璧なワインとは何か」という問いに、ベンジャミン氏はこう答えた。
「良いワインは、開けてすぐにその素晴らしさを感じさせ、なおかつ20年、30年と熟成できる可能性を秘めていなければなりません。この2つの条件を満たすために、私たちは手を抜くことはできないのです」
大量生産が当たり前となった現代において、彼らの取り組みは、ある種のアンチテーゼとも言える。そのうえ買ってすぐに飲めないのはもどかしい。すぐ飲んでもとても美味しいのだが、そのポテンシャルを最大限に開花させるためには、自分の代で抜栓することを諦めることさえ覚悟しなければならない。
決して効率性を否定するわけではないが、異なる価値観も同時に存在してしかるべきである。コスパ、タイパを追求する製品があってこそ、圧倒的な手仕事を注ぎ込んだ価値も際立つ。
たしかに手仕事を重ねた丁寧なワインは、万人向けではない。現実問題として、大量生産されたワインとは価格があまりにも違いすぎるからだ。しかし、そのワインの抜栓をする瞬間は、心地よい緊張感を伴いつつ、格別なものとなるだろう。
一期一会のワインとの出合いは、私たちの人生をより豊かにすることは間違いない。
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