BOOK|ヘミングウェイをめぐる「モノ」語り 『ヘミングウェイの流儀 Hemingway’s Favorites』
BOOK|文豪ヘミングウェイをめぐる「モノ」語り
今村楯夫、山口 淳 著 『ヘミングウェイの流儀 Hemingway’s Favorites』
一万枚を超える写真、数百枚の領収書、遺品、手紙などのリサーチからあきらかになった文豪ヘミングウェイのワードローブと愛用品の数かず。異色のヘミングウェイ論『ヘミングウェイの流儀』の著者のひとり、山口 淳が語る本書の魅力とは?
Text by YAMAGUCHI JunPhoto by BB Company
マッキノーを着た少年ヘミングウェイ
“Mackinaw”と言われてなにを連想されるだろうか。あるひとはフィルソンのマッキーノ・クルーザーを、あるひとは本来の厚手の格子柄のウール生地をコットンダックに置き換えた第二次世界大戦時のアメリカ軍のミリタリーマッキノーを。また、あるひとは近年、古着屋で人気を呼んでいるマッキノーと呼ばれるシングルのジャケットを連想されるかもしれない。いずれも決して誤りではないが、正しいともいえない。
というのもマッキノーとは、もともとは森林作業員、猟師、探鉱者といった森の労働者のためのショールカラー、ダブルブレスト、ボタンでベルトを留める指先丈のベルテッドコートだったからだ。歴史をさらにさかのぼるとマッキノーはブランケットを簡易衣服に仕立てたネイティブの貫頭衣が進化したもののようで、マッキノーという呼び名もミシガン州のマッキノー島で政府からネイティブなどにブランケットの支給がおこなわれていたことに由来するようだ。
森の労働着だったマッキノーは19世紀後半から20世紀前半にかけて、いまでいうアメリカンカジュアルウェアの黎明期に従来のワークウエアが街着として一般にも広まるあたらしい流れのなかでその象徴的なアウターとして次第に知られるようになり、1920年代には全米に一大ブームを起こしている。
つまり現在我われが思い描くマッキノーとはその元祖マッキノーが、ときにその名称が、ときにそのスタイルが様ざまなかたちで変化しながら受け継がれていったことで形成されたものということになる。
1910年代のなかば、10代なかばのヘミングウェイがそのマッキノーを着た写真が何枚か残っている。幼いころから渓流釣り、狩猟を父親から教わっていたこともあってアウトドアライフに親しんでいた彼にとってマッキノーは自慢のワードローブだったようだ。
第一次世界大戦時に赤十字の傷病兵運搬車のドライバーとしてイタリアにいたヘミングウェイは戦地から両親に「僕のマッキノーが珍しいと戦場で評判になっているんだ」なんていう手紙まで書いている。
「今度はもっと派手なボタンに替えてやろうって思ってるんだ」などと自慢げに語るこの手紙から伝わってくるのは、後年のマッチョでラギッドなイメージとはまったく異なる服好きの若者の屈託のなさだ。
マッキノーはヘミングウェイのニック・アダムズものの短篇「最後の良き故郷」にも登場する。それは、ニックが野宿をしているときに夜半寒さで目が覚め、彼を心配してついてきてしまった妹をお気にいりのコートで包みこむ印象的な場面。その重要な小道具となったコートがマッキノーだった。
アバクロ、ヴィトン、ロレックスも愛用
ヘミングウェイはかつて年下の友人A・E・ホッチナーに「小説は作るものであり、自分が作りだすものは経験に根ざしている。真の小説は、自分が知っていること、見たもの、身につけたもののすべてから書かなければならない」(『パパ・ヘミングウェイ』より)と語っている。闘牛、釣り、戦争、サファリ旅行、恋愛など自身の人生体験そのものを作品の血とし肉とした行動派の作家にとって、つまり自身のワードローブや愛用品もまたその重要な小道具であったということを、マッキノーのエピソードとヘミングウェイがホッチナーに語った言葉は教えてくれる。
そういう視点で作品、伝記、写真などを見直していくとこれまでヘミングウェイ研究の専門家たちが、絵画購入、旅、趣味の釣りや狩猟には金を惜しまなかったが、買いもの嫌いで服には無頓着。ものにも執着しなかったと信じつづけてきたヘミングウェイ像とは、まったく異なるこだわりのひとヘミングウェイの姿が見えてきた。
『ヘミングウェイの流儀』は、「もの」から光をあてることでそんな知られざるヘミングウェイの実像を、そしていかにそのこだわりがハードボイルドリアリズムと称された彼の文体をささえたのかを浮き彫りにしようと目論んだ書籍である。
昨年、ヘミングウェイの遺品を所蔵しているボストンのJFKライブラリー&ミュージアムに一週間通いつめ、一万点以上の写真、数百枚の領収書、所蔵の遺品などを吟味できたおかげで、これまで比較的知られていたアバクロンビー&フィッチのサファリ・ジャケットやモレスキンの手帳以外にも、ルイ・ヴィトンのトランク、ブルックス ブラザーズのスーツ、ロレックスの腕時計、パーカーの万年筆、ラブレスのナイフ、ハーディの釣り具、L.L.ビーンのビーン・ブーツ、トンプソン式軽機関銃など数かずのヘミングウェイの愛用品を掘り起こすことができた。本書では、それを証明する写真、遺品、手紙なども厳選して掲載している。
ヘミングウェイが生まれたのは1899年、亡くなったのは1961年。それは奇しくもアメリカンカジュアルウェア、アメリカントラディショナル、あるいは20世紀のプロダクト史の黎明期から黄金期とほぼ重なっている。ある意味で、ヘミングウェイが身につけたワードローブや愛用品を見ていくということは、それらの時代をヘミングウェイの個人史として振り返ることともいえる。ヘミングウェイ好きにはもちろん、アメカジ、アメトラ、あるいはプロダクト好きにも楽しんでいただける1冊に仕上がったと思う。
『ヘミングウェイの流儀 Hemingway’s Favorites』
著者|今村楯夫、山口 淳
定価|1890円
版型|四六判
装丁・デザイン|塚野丞次、太田好美(ともにBB)
出版社|日本経済新聞出版社
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