個展『陽と骨II』開催 操上和美インタビュー
個展『陽と骨II』開催
写真家 操上和美インタビュー
操上和美さんの最新写真集『陽と骨II』発刊に合わせ、タカ・イシイギャラリー フォトグラファー/フィルムにて、同名の個展が11月19日まで開催されている。180センチ四方に引き延ばされた2点と他8点の作品は、すべてポラロイドカメラSX-70で撮影されたもの。これを前に、操上さんに今回の写真集発刊についてうかがった。
文=小林由佳
写真=相良博昭
ポラロイドカメラSX-70がもつ世界観
『陽と骨』が発刊されたのは、1984年。今回の続編までにじつに30年近く経っている。なぜ、このタイミングなのだろう。「満を持して……というわけではありません。自分が日常的に撮りためてきたもののなかに、SX-70で撮ったポラロイド写真がひとつにまとめてあった。それをふと見返してみたら、いまの感覚で見ても充分におもしろい、いま見てもイメージが伝わってくる作品が多かったんです。いまでも伝わる臨場感、見ていると、なんだか画像が前に立ちあがってくるような感覚。それで、世間の動きとはべつに、自分の感じたエモーションのままにひとつのかたちにしてみてもおもしろいんじゃないかと」。
『陽と骨II』には、1972年から今年までにライフワークとして撮りためてきた作品のなかから、120点が抜粋されている。「『陽と骨』は、日常生活で、自分の時間意識を確認する作業として目を向けたもの。前回の『陽と骨』は、普段のカメラや、オモチャのカメラで撮った作品でまとめ、今回の『陽と骨II』は、これとおなじ意識でも、SX-70で撮った作品だけに限定しました。SX-70には独特なアーティスティックな個性があります。同時期に人気のあったほかのカラーフィルムに比べると、ちゃんと映らないという印象もある。表層的な質感というか、キメは細かくてもちょっと深みが足りず、ある意味ではリアリティが喪失している。でも、そのぶん、どこか幻想的な、リアリズムにはない浮遊感が感じられる。自分の生理に触発されたものを撮るという点ではほかのカメラとおなじですが、SX-70を使うときは、これに思考的な観察が入っています」。
影でもなく、死でもない。『骨』という究極の“死”
「そして、SX-70で撮った作品をあらためて見返してみると、自分がもう一度そのなかに入り込める感じがする。その瞬間と対話ができる。SX-70で撮ったポラロイドは、保管用の箱で時間が発酵していて、今回はその発酵した時間と対峙していた。写真は追いかけるもの。それは自分です。自分の想い、自分の生理に一番近いものを追いかける。僕の場合、それが死生観であり、“死”にイメージを追いがちですが、決して“死”そのものではない。だからタイトルに“死”ではなく“骨”という言葉を使っています。骨とは究極の死。これはシャッターを切るときのドキドキ感とも似ている。だから一冊作っておしまいというのではなく、もっともっと作りたくなる。『陽と骨』は究極のタイトル、究極のテーマだと思うんです」。
個展『陽と骨II』開催
写真家 操上和美インタビュー
宇宙のなかで自分の時間を意識するということ
2005年に発刊した『Diary』もまた、ライフワーク的な作品をまとめたものだったのではないか。「Diaryは、つまり日記、記録的なものですから、『陽と骨』ほど自分の死生観や時間意識を狙って撮った作品ではありません。日常のスナップから1カ月ごとに枚数を決めてピックアップした、いわゆる写真日記みたいなもの。これは、あらためて見返すことで、仕事や旅行で1カ月間にどれくらいの距離を移動していたかが見え、自分がどれほど地球上を動いているかという軌跡がおもしろかった。『陽と骨』のセグメントでは、より自分の体内時計を意識して、宇宙のなかで自分の時間をどう意識していくかを考えた。『陽と骨II』にある作品は、たとえば、波がザーッと砂の山に盛り上がり、わずかに崩れ落ちる砂のような、ちぎれた時間なのです」。
「自分の生きている時間のなかで物を見ていますから、写真家は、身を削るように自分の時間を削り、シャッターを切るという行為は、自分の時間を切り取ることでもある。だから選ぶのは難しい。でも、ストーリーを組立てながら、絶えずその世界に出入りしてフィードバックする作業は、編集のおもしろいところです。一冊が完成してもホッとするのは一瞬で、つぎの瞬間にはもう“IIIはどういうふうにしよう”と考えている。仮にIIIを作るなら、今度は映像だけの力で、『陽と骨』というコンセプトにピタリと合うものができるんじゃないかと思っています。そういうエモーションがないと、つぎの発展にはつながらない」。
表装に込めた本当の“粋”
今回の写真集は、表装に重厚な金属が使われている。この装丁にはどんな意図が? 「表紙を金属にしたのは、フィルムのもっている質感が硬質なイメージであること、そして、じつは、撮りためてきた作品を、すべてパッキングしてしまいたいという気持ちから(笑)。『Diary』のように、ダンボール紙を使うことも考えたんですが、今回は逆に金属を使って閉じ込めてしまおうと。ホントにもう、写真をすべて一冊のなかに閉じ込めて、鉄でガバっとパッキングして、その上からロープをグルグル巻きにして、さらに針金でガシンと固めて、部屋の隅に積んでおけばいいじゃない、という発想があったんです。そもそも、写真は時間を閉じ込めるものですからね。もう一度見返して、もとの時間といまの自分との交流でべつのものが生まれる……それも写真ですが、本当は、そんなことはさせずに、完全にパックしてロープで縛っておいたほうが、いちばんカッコイイんじゃないかと、思っているんです」。