ART|植田正治生誕100年特別企画展「SHOJI UEDA:DUNES」
SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY
世界でもっとも注目された日本人写真家、植田正治生誕100年特別企画展
「SHOJI UEDA:DUNES」開催
写真界の巨匠・故・植田正治。生誕100年にあたる今年、植田氏がこよなく愛した“砂丘”をキーワードに、演出写真やファッション写真を紹介し、あらためて「植田ワールド」の魅力に迫る特別企画展第2弾「SHOJI UEDA:DUNES」が、9月29日(日)まで鳥取県西伯郡伯耆町の「植田正治写真美術館」にて開催されている。
Text by KAJII Makoto (OPENERS)
植田正治生誕100年、砂丘を舞台に傑作で綴る特別展
生地である鳥取県境港市を離れず、山陰の空、地平線、砂丘の広大な空間にヒトやモノをまるでオブジェのように配した植田正治の演出写真は、写真誕生の地・フランスでは日本語表記そのままに「Ueda-Cho(植田調)」と称され高く評価されている。
その舞台は、鳥取砂丘にとどまらず、三宅島や渡良瀬川遊水地、さらにはスタジオ内に設置されたジオラマなど多彩で、シンプルでありながら、不思議な撮影効果をもたらす魅力的な空間で撮影された斬新な写真と写真家の軌跡は、日本の写真史そのものともいえる。
「撮りたいものしか撮らない。いや撮れない。写真することがとても楽しい」
植田正治氏が生涯“アマチュアであること”にこだわったのは、自由のためであったという。スタジオ撮影などに用いる背景のことをホリゾントと呼ぶが、現実から写真を引き剥がし、自由になるための装置という意味を込めて、“砂丘”をそう呼んでいた。
家族を配置し、小道具を持たせる。あるいは帽子を宙に浮かせ、傘をさす。モダンで、ユーモアさえ醸すモノクロームのプリントに美しい階調があらわれているのは、そのホリゾントが表情をもっていたから。砂は絶え間なく隆起し、沈殿する。流れつづける「劇場」に対峙して物語を構成する行為を、植田氏は「写真」と呼んでいた。
配された人物や具象は浮き出たように存在感を放ち、流行に捕まることはない。傑作は滅多に誕生することはないが、生まれればそれはあっさりと時代を超える。
アマチュア精神を抱きつづけ70年近くにおよぶ活動を通して、多彩なイメージを掲示する植田正治氏の写真を、建築家 高松 伸氏が設計した、作品約1万2000点を収蔵する「植田正治写真美術館」で体験したい。
植田正治|UEDA Shoji
1913年、鳥取県境港市生まれ。終生故郷を離れることなく「永遠のアマチュア精神」を貫いた写真家。中学生のころから写真に夢中になり、1932年に上京、オリエンタル写真学校に入学。卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。このころより、写真雑誌や展覧会に次々と入選し、頭角をあらわしていく。1949年に発表した「綴方・私の家族」シリーズをはじめ、砂浜や砂丘を舞台とした作品で高い評価を得る。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰、1996年フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ、1998年第1回鳥取県県民功績賞などを受賞。1995年に鳥取県西伯郡伯耆町に植田正治写真美術館開館。2000年7月4日死去。