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2026年7月10日
仕事はスタイリスト。世の中と少し違う視点の人生を歩む人たち。大久保篤志×祐真朋樹 対談
FASHION|大久保篤志×祐真朋樹 対談
大久保篤志さん(以下、大久保さん)は現在71歳。祐真朋樹さん(以下、祐真さん)は61歳。年齢に10歳の差はあるが、共に長年スタイリスト人生を歩んできた。彼らは期せずして今年5月に新著を出版。大久保さんの著書のタイトルは『The Stylist』、祐真さんの本のタイトルは『祐真朋樹のSHOP-A-HOLIC MEMORIES』だ。どちらも彼らのこれまでのスタイリスト人生を振り返ったものだが、もうひとつ、彼らには「病を得た」という共通点もある。好きなことを仕事にして生きてきたこのふたりに、歳を重ねた今、思うことを訊いた。
Text by KUNII Rika|Photographs by MAEDA Akira
幼少期のふたりに影響を与えたものは、「おじさんの部屋」と「兄貴のアパート」。
祐真 大久保さんの本を読んで一番印象に残っているのが “おじさん” の話なんですけど、あれは大久保さんが何歳頃の話なんですか?
大久保 小学生から中学生ぐらいかな。俺は小さい時から興味の対象はやっぱり音楽だったんだよ。周囲の子どもたちは野球なんかに夢中になってたけど、俺はそっちの方には興味がなかったんだよね。
祐真 そのおじさんのところで音楽にはまっていったわけですか?

大久保 そうそう。トシノリおじさん、ていうんだけどさ、グループサウンズとか聴いててさ。俺は音楽に合わせて踊っちゃってたの。おじさんがロック調の曲をかけると俺は箒持って踊ってたらしい。その姿を親が見たがってさ。今思えば、おじさんはうちの親にレコードを買わせる手段としていろんな曲を俺に聴かせていたのかも。とにかくおじさんの家にはレコードがあって、平凡パンチがあった。

祐真 僕も若干似た経験がありますね。うちの兄は僕より5つ上なんですよ。その兄はめちゃくちゃ成績が良かったんだけど、家が狭いから勉強に集中するために自分の部屋を持ちたいとオヤジに言ったんですよね。で、オヤジは「いいよ」と言って家の近くにアパートを借りたんです。成績がますます良くなると思ったんだろうけど。でもオヤジの意に反して、そこがもう、悪い仲間がいっぱい来るフリースペースになっちゃったの。他の住人からクレームは来るわ、時には警察も来るわでもう大騒ぎ。勉強するためのスペースだったはずなのに、兄貴の成績はどんどん落ちていきました(笑)。
大久保 それは何歳頃の話?
祐真 僕が小学校2〜3年で、兄貴が中2の時ですね。親は怖くてそこに視察に行けないわけよ。だから「お前、行って見て来い」「どういう奴が来てるんだ」となって、僕はよくパトロールに行かされてました。壁にはミュージシャンのポスターが貼られていて、レコードと服がずらりと並んでいるカオスな部屋。しょっちゅう模様替えしてて、ポスターもレコードも行く度に変わってる。それこそ平凡パンチもあるし、MEN’S CLUBもPOPEYEも全部あった。僕はそれを横目で見ながら「こういう世界があるのか」「なんか面白そうだな」と思ってました。もちろん両親は怒ってるわけだけど、「ここには“何か”があるな」と思ってた。大久保さんのおじさんの話を読んで、この兄貴の部屋がすごくオーバーラップしてきたんですよね。

大久保 俺はそのトシノリおじさんとこの環境が、いまの感性が育つ芽生えだったのかもね。その後、少し多感な時期に入ると幼馴染みのヒトシちゃんに影響を受けた。ヒトシちゃんというのは、いまやラーメン屋「山頭火」の会長の畠中仁さんね。彼の家はクリーニング屋さんをやっててさ、近所にクリーニングの職人さんを住まわす部屋があってさ。その職人さんがいなくなると、そこはヒトシちゃんが好きにできる部屋になって・・・町中のちょっと規格外のイカした人たちが集まるたまり場みたいになってたんだよね。楽器もあって面白かった。俺としたらパラダイスですよ。酒もあるしね。
祐真 規格外の人、っていうのは、世捨て人みたいな人?
大久保 良く言えば、町の中でも趣味性の強い人たちかな(笑)。俺が酒を覚えたのもこのヒトシちゃんのところだったな〜。安いやつね。毎回、そのたまり場に遊びに行くと帰り道を吐きながら帰ってた。
祐真 たまり場の帰り道を吐きながら帰る・・・。

大久保 俺、全然勉強してなかったから、周りから少し頭のネジが外れた奴じゃないかと思われてたの。試験の点数低いし。でも平凡パンチとか定期的に教科書代わりに読んでるからさぁ、保健体育の性教育の試験で学年1位を取ったの。それでみんな「あいつはバカじゃなかったんだ!」って驚いたんだよね(笑)。
大久保さんの部屋に保管されていた『スタイリストの本』は、祐真さんの将来を決める大きな道しるべだった。
祐真 僕ね、本には書いてないんだけど、高校3年生のときに大学は行かないって決まってたんですよ。商業科だったし、就職して親を安心させなきゃというのもあったし。で、試験を受けたら薬の卸しの会社に受かった。それが高3の9月か10月のことで、翌年3月の卒業まで学校には行かなくてよかったの。じゃあバイトしよう、ってことで、学校の目の前にあったブティックでバイトを始めたんです。完璧に婦人服だけの店で、そこにはオーナーの娘と息子、5歳と3歳くらいの子どもがいて、まあ僕はほぼベビーシッターみたいなものでした。もちろん店番もするんだけど、平日の昼間なんてお客さん来ないじゃないですか。店にはオーナーの好きなan・anとCroissantが積んであって、僕はそれを毎日読んでたわけ。そしたらある時、『スタイリストの本』っていうのを発見したの。
大久保 1982年ね。

祐真 そう。まさにそれ。僕はファッションに興味があったんでそれに飛びついて読んでたんだけど、女性のスタイリストの中にひとりだけ大久保さんが出てきた。男のスタイリストっているんだ、って、その時初めて知ったの。へ〜、こういう仕事があるのかって。大久保さんの経歴を読むと、オンワードにいたと書いてあった。でもつまんなくて「POPEYEに遊びに行くようになった」って続いてたんだけど、「遊びに行く」ってなんなの??って感じ。わかんないじゃないですか。会社の内定が出た高三男子には、それが一体どういうことなのか、すごい不思議だった。

大久保 遊びに行くっていうかさ、俺は素人モデルやってたからさ。それにPOPEYEは自由な空間だったから。
祐真 僕は高校を卒業すると、3年間、薬を病院に運ぶ仕事をしていたんですよ。その後、ひょんなきっかけでPOPEYEに呼んでもらうんだけど、そこで初めて大久保さんの「遊びに行く」っていう話が理解できた。
大久保 楽しかったですよ、ほんと。いろんなこと教わったしね。好き勝手やらせてもらえるんだもん。ファッションページなんか、フリーランスのカメラマンと一緒に全部考えてやってたもん。
(大久保さん、本棚から『スタイリストの本』を取り出す)

祐真 お〜、これこれ。「就職決まったけど、薬屋なんかに勤めていいのかな」って思いながら読みましたよ。これともう1冊、『サクセスストーリー』というのもガッツリ読んでた。


大久保 an・anの仕事もしてたんだけど、VOGUEとかPer LUIとか読み始めるようになると、どんどん向こうの雑誌みたいな撮影がしたくなるじゃん。そうなると急激に自分の現場がつまんなくなっちゃてさ。

祐真 Per LUIね。うちにもいっぱいバックナンバーが残ってます。
大久保 当時のブルース・ウェバーの写真って凄い衝撃だったよね。
祐真 格好よかったですよね。
大久保 だから、YAMAHA発動機の機関誌『55mph A BOOK FOR MORTORCYCLIST』の仕事の時も、みんなああいうイメージが頭の中にあったんだよ。撮ったのは半田也寸志さん。アンバーかけて撮るわけじゃん。マジックアワー、ばっちり。
祐真 あの本はなんだったんですか? カッコイイですよね。
大久保 全部海外で撮影してる。イタリア、スペイン、モロッコ・・・。もう男の合宿。超カネのない撮影だった。
祐真 ADはダイヤモンドヘッズの横山(修一)さん?
大久保 そう。横山先輩。こっちから行くのは先輩と俺と半田さんと、半田さんのアシスタントの4人。あとは現地でコーディネーターを調達してた。モロッコとアメリカのロケでは、俺の本にも出てくるジャックっていうベトナム戦争の最前線に行った奴が撮影クルーで入った。電通の人もひとりいた。だからコーディネーターを含めても男5〜6人での撮影で、とにかく過酷なのよ。毎日ホテルは変わるし、酷かったけどさ、でも良い本を作るのに必死だったし楽しかったよね。
―――大久保さんは祐真さんの仕事をどう見ていましたか?
大久保 凄いハイファッションだな、って思ってたよ。今まで見たことなかったから。俺の元アシスタントにスタイリストの馬場圭介と野口強というのがいるけど、馬場でもない、強でもない、スケちゃんおしゃれだな、と思って見てた。馬場も強もできないことをやってたから、こっちは見るのが楽しかったよ。スケちゃんの本には60アイテム載ってるじゃん。見てると「この服いいな」「あの服いいな」と思うしね。中にはコムデギャルソンみたいに俺とブランドが被るものもあるけど、アイテムは一切被らない。そこがまた服の面白いところだよね。俺が欲しいと思うものとスケちゃんが欲しいと思うものは全く違う。そこが見てて楽しい。スタイリストってそれぞれ“スタイル”があるけど、スケちゃんにはスケちゃんの絶対的なスタイルがあるじゃん。俺もなんだかんだ日々変わるけど、スタイルはあると思うわけ。
Photo by OPENERS編集部
𧙗真朋樹のSHOP-A-HOLIC MEMORIES
祐真朋樹著
2026年5月1日株式会社ソウ・スウィート・パブリッシングより発行
祐真 僕だっていろいろ変わりますよ。変わるというか、まだ知らなかったものに出会うというのがありますからね。大久保さん、服、どうしてます? 溜まる一方でしょ?
大久保 溜まる。大変だよね。前の事務所の時、膨大な量の服があったのよ。でも一緒にビジネスをやってた奴に会社の金を横領されたりして、引っ越さなきゃならなくなったの。で、「服、どうすんの?」ってなって、処分っていうか、古着のイベントみたいなのに出したのよ。どうしても売りたくないものは売らなかったけど、手放したものもだいたい頭の中に入ってるよ。
祐真 それ、取り返そうと思ってるんじゃない?
大久保 うん。エミリオ・プッチのジャケットはね、メルカリに出てたから買い戻したもん。
祐真 あはは。そもそもはそれ、どこで買ったものなんですか?
大久保 LAの古着屋さん。凄い素敵な店でさ、オーナーの女性も素敵だった。プッチが似合ってたの。

祐真 最近は、どこか行きたい店とかありますか?
大久保 あるよ。でもどこの店というよりも、もう一度ミラノに行きたい。もう一度フィレンツェに行きたい。これまでは仕事で行ってたからあんまりのんびりしてないからね。もう一回、ちゃんと見たい。
祐真 ピッティに行きたいってことですか?
大久保 行きたい。俺が行った頃のピッティってさ、そんなに来てる人が面白くなかったのよ。
祐真 確かに昔は面白くなかったですよね。ピッティって地味だった。
大久保 今見たら面白そうじゃん。だから人を見に行きたいね。
祐真 今は派手ですよ。ちょっと劇場化してる。それを見たいわけですね。
大久保 そう。人を見に行きたいんだ。NYも人を見に行きたいし、LAにも行きたい。LAはお洒落な奴ってそんなにいないけど、空気感が好きだからさ。自由さっていうかね。
祐真 ダサいとも言えるじゃないですか。
大久保 言えるよ。
祐真 そこの妙、ですよね。「いいんだ、こういうの!!」っていう(笑)。
大久保 そうそう。生活に密着した洋服のダサさがあるじゃん。

祐真 デザイナーだと、トム・フォードとかエディ・スリマンとか、ああいう人たちも最終的にはハリウッドヒルズに行くんですよ。そこにも家があったりする。なんなのかな?
大久保 気候のせいもあるけどさ、LAの気持ちよさってあるよね。日中と夜の寒暖差もあるし。
祐真 で、確実に午後は晴天になりますよね。
大久保 夜は肌寒くなって「ちょっとお洒落して出かけよう」って気になるじゃん。
祐真 Tシャツじゃなくて着替えよう、という感じになりますよね。
ふたりが人生のターニングポイントで出会ったキーパーソンのひとりは、マガジンハウスの秦義一郎さん。
祐真 僕の本にも大久保さんの本にも登場する重要人物が何人かいますよね。垂水ゲンさんとか吉田克幸さんとか。そしてもうひとり共通するのが元マガジンハウスのan・anやPOPEYEの編集長を歴任した編集者 秦 義一郎さんですね。
大久保 うん。俺は秦さんのひと言で生き延びた感じだもん。マガジンハウスのPOPEYEで素人モデルをして、そうこうしているうちに勤めていた会社も辞めて、北村勝彦さんのアシスタントして、POPEYEをクビになるんだけど、その時期にan・an編集部の石崎さんからプレッピー特集やらないかと話をもらってね。だけど原稿が思うように書けなくてダメでさ、どうしようかと思っていたら、「なんか面白そうだから置いとくわ。(貝島)はるみちゃんのアシスタントやりなよ」って言ってくれたのが秦さんだった。その鶴の一声で今があるんだよ。あと秦さんで覚えているのは、会議中に「大久保、お前、全然話聞いてないな」って言われたこと(笑)。「はい」って。「他のこと考えてるよな?」「はい」って。
祐真 それ、僕も言われたことある!(笑) 「お前、何にも聞いてないな」って。僕も「とりあえず東京に出てくればいいじゃん。使いものにならなかったら、帰りの新幹線代は俺が出してやるよ」って秦さんに言われた。ところで今回の大久保さんの本は初めての本なんですか? 以前、「本出したいな〜」みたいなことを話されてましたよね。
大久保 うん。なんかまとめられたらいいな、と思っていたの。この本は2年くらいかけてまとめたんだけど、きっかけは2年前に出た木梨憲武さんの自伝『みなさんのおかげです』(小学館)の仕事なのよ。表紙とかのスタイリングをやらせてもらったんだけど、担当したのが小学館の編集チームでさ。同じくその編集チームが担当してくれてね。その時の編集担当者が、ふと、「大久保さん、自伝出しましょうよ」って言ってくれたんだよね。ちょうど本出したいと思ってた矢先だったんで「お〜、とうとう来たか」と気持ちもちょっと浮ついてね。ちょうど俺が70歳、古希を目指して作ろうということになったわけ。その担当編集者は明晰で、元アスリートだからガタイも良い人でさ。だけど、残念なことに41歳のときに急逝しちゃったんだ。悲しかった。その後、そのチームの編集長が引き継いでくれて出版まで漕ぎ着けてくれた。本当に感謝ですよ。
祐真 僕は2013年にマガジンハウスから『祐真朋樹の密かな愉しみ』という本を出してまして、それにはこの業界で経験してきたことや見聞きしてきたことを書いたんですよ。今回の本はね、それとはちょっと方向性が違います。家やトランクルームにある膨大な量の服や小物を眺めながら「これっていつ手放すことになるんだろう」ってずっと思ってたんです。どんどん物が増えるから家族からはしょっちゅう怒られてるし。でもひとつひとつ物を見ていると、それぞれにストーリーがあったことを思い出すわけ。そういうのを本に書いたら後腐れ無くポイできるんじゃないかと、この4〜5年思っていました。僕も去年60歳になりまして、急に周囲から「還暦だね」とかいろいろ言われるじゃないですか。じゃあ、「60歳」にちなんで、60個のアイテムについて話を書こうと思ったわけです。
大久保 スケちゃんの本を読むとさ、1点1点、細かく記憶があるんだね。
祐真 うん。今回は物寄りの本を書きました。大久保さんの本に出てくる話は、全部映画みたいな凄い話ばっかりですね。
歳を取るといろいろあるよね。でもそれもまた人生の一部として楽しむ。
祐真 大久保さんは僕より10歳上ですよね。僕は去年、健診で脳動脈瘤が見つかって、今年1月に手術しました。これまで大した病気をせずにこの歳まできたんだけれど、「ついに来たか」と思いました。大久保さんも体調は万全ではないですよね?
大久保 ないない。重症筋無力症を患っていて、これは「一生治りません」と言われてる。
祐真 この先、僕も大久保さんもそうやって老いていくわけだけど、なんか考えてることあります?

大久保 今俺に仕事をくれてる人たちは、みんな俺の状態を知ってるからね。病気のこと、わかってる。木梨憲武さんなんかも「もう早く帰っていいいよ」「洋服決まってるんだから、弁当持って帰りゃいいじゃん」って言ってくれるし。團十郎は團十郎で「生きてる?」って。もう発病して3年目だから、大体自分の状態は把握してる。撮影日が決まれば、そこに向けて自分をいい状態に持っていけるからね。できる限りのことは、現場に行ってやりたい。まだ欲はあるから大丈夫かな、と思う。
祐真 あれ着たい、これ着たい、という “欲” ?
大久保 今71歳だけど、71歳になってできるファッションってあるじゃん? これから80歳に向けてどんな感じで行こうかな、とか考えてるよ。
祐真 今後、目指しているものとかありますか?
大久保 なんだろうな。この10〜20年でタトゥーとかも入れてるわけじゃん。もう、70歳過ぎたらどんどん自由にやっていいんじゃない?

祐真 もっとタトゥー入れようかな、とか?
大久保 そう。そういう人もなかなかいなかったな、と思って。俺の先輩方を見てるとさ、ランチのボス(垂水ゲンさん)とかタケ先生(菊池武男さん)ってのは絶対的に凄い。俺の中では凄いお洒落だな、洋服好きなんだな、カッコイイな、と思う人。それとはまた違うスタイルで俺は自分を見せたいなっていうのがあるわけ。大久保ならではのスタイルを見せていきたいんだよな。スケちゃんもスケちゃんしかできない格好だから、歳を取ってどう変化していくのか、傍で見てて楽しみだよ。馬場とか強は見てても全然変わんないじゃん。そういう意味では、やっぱりスケちゃんくらいしか変わっていきそうな感じがする人はいないから、見てて面白いよ。
祐真 変わらない、っていうのもすごいけどね。それに馬場さんも強さんも少しずつ変わってはいるんで。そこがまた面白いところだと思います。
大久保 スケちゃんはどんな感じのジジイになりたいの? こういう風になりたい、みたいな人はいる?
祐真 垂水ゲンさんとか吉田克幸さんはやっぱりカッコイイなと思いますね。あとは山本耀司さん。一度、食事をご一緒したんですが、やっぱり面白い人だなと思いましたね。古いセドリックに乗ってきたんです。「クルマで来た」って言うんですよ。「今、セドリック乗ってるから」と言うので見に行った。「2台買った」って。同じ店で、もちろん中古で、1台60万円。まとめ買いした、って。
大久保 耀司さん、カッコイイな。ヨレ感がいいよね。耀司さんも82歳か。ミック・ジャガーとキース・リチャーズも82歳だもんね。ポール・マッカートニーが84歳でしょ。俺はキース・リチャーズの着こなしというのもカッコイイと思うわ。あの人のヨレ感ね。皺もヨレてるし。あとは本にも書いたけど、勝新太郎さん。マジでフィッティングからおかしかったから。あの人は凄かった。ギャグをバンバン飛ばしてサービス精神旺盛なの。
Photo by OPENERS編集部
The Stylist (ザ・スタイリスト)
大久保篤志著
2026年5月20日 株式会社小学館より発行
祐真 勝さんは凄いね! 『悪名』っていう古い映画があるんですけど、僕はあれが大好きでね。勝さんの映画はDVDとVHSでほぼ全部持ってます。昔、ずっと観てたんだけど、やっぱり勝さん、めちゃめちゃ面白いですよね。めちゃくちゃな人生だったと思うけど、ああいう人ってなかなかいない。
大久保 いない。後にも先にも勝新さんしかいない。もう出てこないと思う。
祐真 勝さんが若い頃、ハリウッドに見学に行ったという話があるんですよ。お父さん(長唄三味線の杵屋勝東治)とお兄さん(若山富三郎)と3人で。そしたら、ジェームス・ディーンがしわくちゃのシャツを着て現場に登場したんだって。それを見て「カッコイイ!と思った」という話を読んだことがあります。面白いですよね、やっぱり。
大久保 俺がスタイリングした時は、撮影に入る前に頭から何から完璧に作ってきたから、ヘアメイクの余地がなかった。だから、本当は用意したソックスを履いて欲しかったんだけど、「ソックスを脱いでください」って言えなかったな。言えないよ。
祐真 大久保さんはスタイリストという仕事を選んで良かったですか?
大久保 俺はもう、これしかできない。スタイリストが天職だと思ってる。90歳までやるとは思っていないけどね(著書の帯に團十郎さんが寄せた言葉は「90歳までやってよ」)。もうダメだな、っていうのは多分自分でわかると思う。そうなったら辞めるけどね。今のところはまだなんか重宝がられているからね。それと、朝起きると「あれを着たい」って思うし、まだまだ着ることを楽しみたいという気持ちがある。だからまだやれると思うね。これからの10年間、どう楽しもうかと思ってる。90歳になったら、もうホント、好きにしていたい。
祐真 今も十分好きにしてるんじゃない?
大久保 そうかな? そうか。自由にしてるか。じゃあ、あんまり変わんないんだな、これからも。
祐真 僕も雑誌のPOPEYEを入口にこの業界に入ってもうすぐ40年になりますけど、最近、雑誌って元気ないでしょ? それは非常に寂しいと思っているので、もう1回くらいは納得のいく雑誌作りができたら面白いな、とは思ってますけどね。
大久保 ぜひ僕も参加したいです。うちのアシスタントは今29歳なんだけど、昔の雑誌を見せると「こういうのやりたい」「ああいうのやりたい」。「今ないですね、大久保さん」って言うのよ。
祐真 そういう気持ちがある子はいるんですね。
大久保 いるいる。古着屋のVELVETとか行くじゃん。そうすると「こういう洋服使ってスタイリングしたページを作りたいですよね」って言う。「そうだよな。今は自由演技ないもんな」って。
祐真 「自由演技」か! いい言葉、出ました。自由演技ないですよね。
大久保 昔は全部「自由演技」だったよな。
祐真 「自由演技」で1冊作りたいですよね。

祐真朋樹
1965年1月25日、京都市生まれ。(株)マガジンハウス「POPEYE」編集部でエディターとしてのキャリアをスタート。現在は「Casa BRUTUS」、「ENGINE」などのファッションページのディレクターを務める他、アーティストやCFのスタイリングやブランドのクリエイティブディレクションを手がける。パリとミラノのコレクション取材歴は30年以上。
大久保篤志
1955年、北海道生まれ。文化服装学院を中退後、北村勝彦氏のアシスタントとして雑誌『POPEYE』編集部で下積みを始める。1981年にスタイリストとして独立すると、雑誌「anan』や広告、ミュージシャンたちのスタイリングで活躍。馬場主介、野口強などのトップスタイリストを輩出し、70歳の現在でも木梨憲武や真田広之のスタイリングを担当している。2006年に自身のアパレルブランド The StylistJapan®(~2024年)、2024年からは8シーズン限定の新ブランド、LASTMANを設立。

あとがき
この対談は、大久保さんのアトリエで行われた。ビルの最上階で、自然光が降り注ぐ明るい部屋。奥にはカラフルなクッションが配置されたベッドが置かれており「ここで寝てる」とのこと。「カーテンとか閉めないから、夜は窓のはるか向こうに見えるNTTの明かりが12時に消えたら寝るし、朝は太陽が昇ったら起きるの」。代々木公園も近く、よく早朝の散歩に出かけるそうだ。代々木公園の反対側には祐真が住んでいる。日本の景気が今とは段違いに良く、雑誌や広告のクリエイティブの現場の士気も高かった“いい時代”をこのふたりは生きてきた。あの時代とはまた別のかたちで「何か面白いことができないか」を模索するふたりであった。