Levi's® Made & Crafted™|エッセイスト対談~木村東吉×華恵
Levi's® Made & Crafted™|リーバイス® メイド アンド クラフテッド™
エッセイスト対談|木村東吉×華恵
「都会と自然を橋渡すもの」(1)
リーバイスの歴史を踏まえたデザインに、現代の革新的な高品質素材と縫製技術を取り入れたモダンライン――それが「リーバイス® メイド アンド クラフテッド™」だ。2014年秋冬のコンセプトは“New West: Outdoor”。「都会と山々」「屋内と屋外」「古いものと新しいもの」――相反する要素の間にある、独特のバランスを反映した服を展開する。プロローグとして、ともにエッセイストとして活躍する木村東吉さん、華恵さんを迎えて対談をおこなった。テーマは「都会と自然を橋渡すもの」。都市に暮らす人々はどのように自然と向き合い、消化すればいいのか。現代人のための豊かな、魅力ある生き方を探る。
Photographs by JAMANDFIX
Styling by TOCHIGI MasahiroHair & Make-up by SUGA MotokoEdit & Text by KASE Tomoshige
アウトドアでは平等になる
東京から約100kmの距離にある、富士五湖のひとつ河口湖。この湖のほとりに暮らしているのが、エッセイストとして活躍する木村東吉(きむら・とうきち)さんだ。木村さんは大阪の繁華街に生まれ、20歳で上京。モデルとしてのキャリアを重ね、1970年代後半から80年代にかけて『ポパイ』など多くの雑誌で活躍した、元祖“シティボーイ”である。
モデルを続けながら、アウトドアライフを実践するため1995年に河口湖に移住。以来、カヌーを始めとした多彩なアウトドア活動を展開し、自身の著書を通じて、また雑誌やTV、ラジオなど、数多くのメディアに出演し、自然の魅力を幅広い層に伝えている人物だ。
そんな木村さんを訪ねたのが、同じくエッセイストとして活躍する華恵(はなえ)さん。10歳からファッション誌でモデルとして活動を開始、また同時期に「全国小・中学校作文コンクール」で受賞を重ねて文才を開花させ、現在では多くの著書を上梓している。華恵さんの仕事のフィールドにもまた、趣味で初めた登山が影響を及ぼしているといっていい。現在、『山と渓谷』『ランドネ』を始めとした多くの山岳雑誌に出演、寄稿を続けている。
ともにモデルとして世に出て都市生活と誠実に向き合い、同時に自然とアウトドア・アクティビティへの知見を培ってきた、エッセイスト同士の対談。この対談から、都会と自然をクロスオーバーする生き方とは何か、ひいては現代人の豊かな暮らしのための手掛かりが得られれば幸いである。
華恵 私がアウトドアに興味をもったきっかけは、クライミングなんです。
木村 クライミングっていうのは、岩壁を登るクライミング?
華恵 はい、ロッククライミングです。機会があって山登りをしたのですが、その時に靴が壊れちゃったんです。靴を買おうと思って山道具屋さんに行ったら、私の手足や指が長いのを見た店の方が「たぶんクライミングが合うよ」って。
でも、本格的にクライミングを始めると、ギアも靴もスポーツ的な要素が占める割合が大きくなるので、私の場合は「ちょっと違うかもしれない」と思って。だからあくまで山登りのためのクライミング、行ける場所を広げるためのクライミングなんです。
木村 そう、競技って、目的ではなく過程を競うようになるんです。トレイルランニングもそうなんだけど、スピードを争うようになる。でももともとは「ミニマリズム」の思想に基づいた、最低限の装備で自然に向き合うことが目的なんですけどね。
クライミングもやっぱりそうで、もともとは頂上に立つため、行きたいところに行くために、登攀技術を培うってところが原点。でも競技になってくると、自然の壁ではなく人工の壁を登って、何秒を競う世界になってくるんですよね。
華恵 そうなんですよ。ルート(※1)も本来は自由なはずなんですけど。最初は自然の壁で、「(壁の)上まで好きに登ってごらん」と言われて、あれこれルートを自分で探して、いろいろと考える過程が面白かったんです。逆に、決められたルート、色のついたホールド(※2)を辿るというのがどうしても苦手で。
木村 小川山(※3)って行ったことあります? すごくいいですよ。(壁の)岩もキレイだし、まわりのキャンプ場もいい。
華恵 木村さんはクライミングもなさるんですね。
木村 ええ、アウトドア活動はほとんどやりますね(笑)。1992年に「レイド・ゴロワーズ」(※4)というアドベンチャーレースに参加したんですが、必ず馬に乗らなきゃいけないとか、難度の高い壁をクライミングしなきゃいけないとか、シーカヤックに乗らなければいけないとか、いろいろありまして……そこでいろんな技術を学びましたね。
華恵 どんなきっかけでアウトドアを始めたんですか。
木村 若いお嬢さんの前で古い話をするのは恐縮なんですが(笑)、我々の青春というのは1970年代、ベトナム戦争が終わって、反戦ムードの真っ只中の時代で。フォークソングもずいぶん流行りました。ジェームス・テイラーとか、ジョン・デンバーとか。イーグルスやジャクソン・ブラウンも大好きで、10代の頃よく聴いていました。
今の時代と共通しているところもあって、「自然回帰」という流れがあったんです。そんななか20歳で上京。もちろん最初はモデルとしてキャリアを積むのに必死でした。売れ始めてお金に余裕が出てくると、普通はメルセデスやBMWといったクルマに手を出すんですね。でも僕は10代の頃、そういったアメリカの自然回帰的な思想に触れていたものですから、ピックアップトラックを買って、道具を詰め込んで、女房を連れてキャンプに行っていましたね。
華恵 私が山にハマったのは、いわゆる山ブームの少し前でした。モデルとしての撮影の時に「今度学校で山に行くのが、すごく楽しみなんです」って話していたんです。その撮影のスタッフの方のひとりが「じゃあ山に行こう」と言って誘ってくれたのが、直接的なきっかけですね。
ハマった理由を今考えてみるととても個人的なことで……モデルをやりつつ文章を書き始めていた時期だったんですが、何が成功で何が失敗かわからなかいことばかりだったんです。何をやってもほめる人もいるし、ダメだと言う人もいる。自分自身の軸も、しっかりしていなかったんだと思います。
でも山に行ったときには、「この高さのモノを私は登った」という、目に見えるものがある、というのが気持ちよくて。目標も、過程もはっきりしていますし。
それから仕事の方と一緒に行ったんですが、関係がフラットになるんです。みんなの疲れも見えるので、できることはお互いに補い合うという。学校のなか、仕事の場とはまったく違う関係性になるんです。
木村 華恵さんが言っていること、すごくよくわかる。わかりますね。僕にとってのそれはランなんですよ。ランニング。モデルっていう仕事は、不確定な要素で自分がチョイスされることが多いんです。基本的に仕事は「待つ」ものですし。
自分が努力して、コンディションが最高だと思っていても、オーディションで落ちることもある。自分が今一つだと思っていても、仕事がどんどん忙しくなることもある。価値観を捉えにくいところがあるんですよ。
ところが山に登る、あるいは僕がずっと続けている「走る」ってことは、やっぱりトレーニングしないと結果が出てこないし、逆に言えば、努力さえすれば必ずタイムは縮まるんですよ。山に行ったら、自分の脚で登らなければきれいな景色は見えないし、自然のなかでは平等なんですよね。
36歳の時から、八王子にある日本工学院という専門学校でアウトドアの実習を持っているんですが、ずっと変わらないメッセージはそこなんです。自然のなかでは誰しも平等であり、努力しなければ「きれいな景色」に巡り合えないということです。
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エッセイスト対談|木村東吉×華恵
「都会と自然を橋渡すもの」(2)
自分の身体で伝える
華恵 私は山ではあまりおしゃべりするほうではなくて、登っているうちにだんだん黙ってしまうんですね。そうやってどんどん高く、天に近づいていくのは、私のなかではミサに預かる時の感覚に近いんですね。もともとクリスチャンなんです。
だから山に行くと、ひとつのミサを終えた気になります(笑)。私の好きな、岩が多い山に登った時には特に。厳しい風景を経て、急に空が広がる時も。黙々とひたすら登るという同じ運動を繰り返していると、思考もぐるぐる回りつつ、いつもとは違う場所に行けるというか。そんな自分なりの独特な場を得られたな、と思いますね。
それから高所に行くと、指がパンパンに膨らんだりします。そのほかにも身体的に経験したことのないことがたくさん起きるんですが、その初めて経験することを言語化するときに、語彙を無理やりにでも増やさなければならない。そこは鍛えられた気がします。
木村 僕の場合はすぐ文章に影響するか、すぐ反映されるかというのはわからないんですが……魯迅(※5)は「自分が見たものが素晴らしければ素晴らしいほど、自分の表現力の拙さに愕然とする」というんですね。自分が見聞きした自然の素晴らしさ、脅威というのは、絶対と言っていいほど文章にできないんですよ。その場合は、やはり映像が強いです。文章の限界を感じます。
華恵 私もそう思います。絶対到達できないんだけど、でも、抗うっていう(笑)。
木村 そうそう。もちろんそこから絞り出す努力も、気持ちもすごくわかる。でもどうあがいても到達できなくて、自分のなかで黙ってしまうだけ、っていうこともある。
今自分はアウトドアエッセイストという肩書を持っているんですが、文章だけじゃなくて映像も好きだし、カメラにもすごく興味がある。絵は才能がないんだけど(笑)。僕はそのすべての道具を使って、メッセージを伝えたいんですね。時には自分自身の身体を使って。
星野道夫(※6)さんが書いていたんですが「涙が出そうなくらい美しい夕日を見た時に、それを愛する人にどうやって伝えるか。それは自分が変わることだ。その景色を見たことで、自分が変わることだ」というんです。自分の身体で伝える、最終的にはそれだと。究極は自分が変わっていくことなんです。そんな美しい景色にふさわしい自分に。
華恵 私はかなりマイペースなほうで、基本的に何を見ても変わらないと思っていました。以前仕事の場で「自然であれドキュメンタリーであれ、それを“見た責任”はあるんだよ」と言われたことを思い出しました。
これがずっと疑問で、見て変わるべきなのか、でも、実はすごいものを見たという自分の傲慢と紙一重でもあるのではないか……そして結局日常に対峙していくしかないのかと、ぼんやりしていたところだったんです。でも今の話を聞いて、私にもちょっと責任があるんだと感じました。何かを見たり聞いたりしたからには。
木村 今、傲慢という話が出たんですが、人ってすごく傲慢になるじゃないですか。たまに東京に行ったときに、夜の11時くらいに小学生が地下鉄に乗っている。あるいはOLの方が酔って座席で寝ている。すごく違和感があるんですね。海外だったら絶対危険だし。
でも田舎に住んでいると、夜は単純に怖いんです。周りに家はありますが、永住しているのは僕らだけなので、ものすごく静か。そのなかで生き物の視線や気配を感じるんです。怖いと思うのは、自然が、傲慢になっている自分に謙虚さを与えてくれるということなんです。
ところが都市生活っていうのは便利ですから、小学生でも電車の乗り方がわかれば深夜でも出歩くし、女性でも酔って居眠りしてしまう。アウトドアライフっていうのは素晴らしいこともたくさん与えてくれるんだけど、僕の場合多くは、自分に謙虚さを与えてくれるものなんです。
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「都会と自然を橋渡すもの」(3)
田舎暮らしの都会人
華恵 「郊外に住む」ことを何度か考えたことがあるんですが、絶対にできないんですよ。これって、年齢的なことなのか、性格的なことなのかわからないんですが。
ずっと都会にいると山に行きたくなりますし、山にいると都会が恋しくなるんです。どっちつかずで無責任だなあ、と思います。
木村 昔からある山の言葉で「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」というのがあります。まさにそれなんですよ。それはすべての人にあります。どっちにスタンスを置くかです。僕みたいにこういう場所に住んでずっと人を恋しく想っているのか、あるいは雑踏のど真ん中にいて、山をずっと想い続けるのか。それはその人の生き様ですよ。
華恵 ともすれば私は、「山は非日常の場」と決めつけているきらいもあって、山にいる時はいる時で大変なのに、普段の生活に戻るとすぐに忘れてしまう……そんなことが無責任に感じて、自然に行く資格がないのかな、一時期と思ったりして。
木村 それは全然悩む必要ないと思うな。というのは僕だってここで自給自足の生活をしているわけじゃないですから。電気も通じているし、ネットもつながっていますし。
これはいろんなところでよく言うんだけど、僕は「田舎暮らしをしている都会人」なんです。さらに言えば、田舎だろうが都会だろうが、僕はスマートな対人関係が好きなんですね。都会人は冷たくて不親切、田舎の人は素朴で純真、というわけでもない。
ここは平成の(市町村)大合併のときに「富士河口湖町」となったんです。それ以前、僕らが引っ越した時は「足和田村」という名前で。人口は当時1300人で、うち1000人は三浦さんという名字でじゃないか、と思うほど、親類縁者が多い村でした。
そして1973年、ついに富士山の麓まで道路が開通して河口湖ICができました。ある意味閉ざされた地域だったところに、多くの人がやってくるようになったんですね。つまりどこにいても価値観の違いはあるけれど、自分の価値観を保ちつつ相手の価値観も認めて、その交わった部分を尊重して、次の方向性を見出せばいいと思うんです。
華恵 今の話をきいて気が楽になりました(笑)。ちょっと話は違いますが、自然に出たら覚悟しなければならない、と思ったことがあって。縦走(※7)している時に、しばらく携帯電話が圏外になっていたんです。その連絡がとれなかった時に、祖父が亡くなったんです。
もちろん家族も私と連絡をとるのに必死だったんですが……山から帰ってきた時に感じた視線や雰囲気といったら……。
仕事で行っていたにせよ山でしょ、っていう。それが結構厳しかったんですね。でもまた山に行って、山のガイドさんなんかにも「時は選べないし、逆にそういう時が選ばれたのかもしれない」と言われて。私は山を“遠くの友達”だと思っているんです。外国の友達のような。共存はできないんだけど、好きだからまた会いに行くっていう。そうやって考えているうちに、またフラットに山に、自然に向き合えるようになりました。
木村 責任感が強いよね(笑)。でもやっぱり田舎暮らしも、ある意味無責任じゃないとダメかもしれない。僕は毎朝カヌーがしたくて、ここに越してきたんです。湖のすぐそばだから。でも当時30代でモデルの仕事をしていて、子供も3人いて……ためらうんですね。
なぜためらうかというと、責任ある立場だから。仕事の対人関係、親類のこと。でも……どうでもいい! 「カヌーがしたい」というファースト・プライオリティがあるから。僕はそういう性格なんです(笑)。
華恵 どうやったらその境地にいけるんでしょうか?
木村 やっぱり……性格でしょう(笑)。
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「都会と自然を橋渡すもの」(4)
湖の底から山頂まで
華恵 それにしても、山も湖もあるこの立地はすごくいいなあ、と思って。いろんなアウトドアができますよね。
木村 この辺りの山を登って一番いいのは、もちろん富士山が見えるっていうのもあるんだけど、山から見える湖がいいんです。すごくきれいですよ。
華恵 その湖の水の下からずっと地面が続いてきているから、ちょっと気恥ずかしい表現ですけど、地球を感じるというか、大地を感じるというか。
木村 本当にね、それが富士五湖そのもの。この河口湖の隣の西湖、そして精進湖、本栖湖は、1200年前は一つの湖だったんです。それが富士山から溶岩が流れて、3つに分かれた。西湖は半分が砂浜で、半分が溶岩で固められている。そういうことが、手に取るようにわかるんですよ。
もちろんこの近辺の山々はすべて隆起したもの。御坂山塊のてっぺんで貝が見つかったりして。まさに湖底から山頂までつながっています。山のいたるところから湖が見えるっていうのは、本当に面白いですよ。
モデルと服
華恵 木村さんは、モデルの仕事の魅力って、なんだと思いますか。
木村 やっぱりいろんな経験ができて、いろんな人に会えることに尽きますね。モデルの仕事って、一回のプロジェクトにたくさんの人が関りますから。もちろん顔なじみも増えてくるんですが、その仕事が初対面、ということが多いですし。
そんな現場ですから、僕なんかルックスの良い悪いよりは、「東吉が来れば盛り上がるだろう」というような理由で呼ばれちゃう。ルックスもギャラも同じだったら、盛り上げる方がいいだろうと。そう言われちゃうと、僕も盛り上げちゃうほうなんでね(笑)。「おい東吉、もっと相手のモデルさん笑わせろ」なんて無茶もあったりして。
だから自分の話題を持っていないといけないんですね。本を読んで、映画を見て、流行のレストランに行って。モデルの仕事はひとつひとつがのステージのようなもので、その撮影を一生懸命盛り上げて、最後にお疲れ様ですと帰っていく。そんな感じでした。
仕事してお金をもらいながらも、いろんな勉強をさせてもらいました……とても感謝していますね。
華恵 私はモデルだけやっていたのが10歳から14歳だったので、もうずいぶん前のことになってしまいますが、今お話をきいていて「ああ、そうだったなあ」と思いました。
ポージングが苦手でもなんでも、みんなが見ているんだから、腹くくってやらなきゃいけないでしょ、っていう(笑)。もともと人前で何かやるのは好きだったんですけど、モデルの仕事でより鍛えられました。
同じ人にあまり会わないから、私も覚えてもらいたいし、一緒になって仕事をしたいから、コミュニケーション能力もアップしたと思います。あとは撮られている時に、こうしたらどうかな、変かな、と考えていたので、10歳のわりには自分を客観視することを、無意識のうちに覚えたような気がします。それは書くことに役立っているかもしれない。
木村 今回撮影で着た服は、実は最初に見たとき、着ていてつらいだろうなと思ったんです。シルエットが細身で。でも、実際に着てみたらすごく着やすい。
あと、家づくりもそうなんですけど、どんどん年月が経っていって、汚れてきたり、欠けてきたりするのが大好きなんですよ。たとえば床材には普通、樫の木などの固い木を使います。でも、ウチはあえて松、パイン材を使ったんです。弱くて傷つきやすいんですけど、そういうのがいい。
日本の家っていうのは、最初はキレイなんだけど、年月が経つとくたびれて、ダメになっていく。パーティで、ドレスで着飾った女性が、朝帰りの時にヨレヨレになってくるみたいな。
華恵 (笑)
木村 そうじゃなくて、ジーンズだとか、さっきの(リーバイス® メイド アンド クラフテッド™の)ビデオにあったような……ピックアップトラックの荷台にそのまま寝て、次の日にそのまま山を歩いたり、飯を食いに行けるようなウェアが、すごく好きなんですよね。
リーバイス®のブランド自体のイメージを、僕はそう捉えている部分があって。だからこれ(ジャケット)を脱いで、毛布替わりにして寝るとか、好きですねえ。そんなことしたら怒られそうだけど(笑)。
服が服であって、そして道具のひとつでもあって、いろんな使い方ができると思うんです。そしてどんどんくたびれて、シワになって、すり切れて、味が出てきて、その人となりが現れてくる服がいいですね。
誰が着ても誰が持っても同じ、というブランドではなく、その人が着て、その人がはいて、初めてその味が出てくる、そういう服だなあと思いますね。
華恵 今回は「いろんなリーバイス®がある」ということを知って、それが意外だったんですが……リーバイス® メイド アンド クラフテッド™はすごく安心感があります。それは素材が絶対いいモノだと着ていてわかるし、使い込んでいけるものだと確信できます。強さもあるし、美しさもあって。
あとはこういう色(フーデッドジャケットのマスタードイエロー)が、やっぱり好きなんだよなあって。自分の肌にもしっくりきます。
私はニューオーリンズ生まれなんですが、去年ニューオーリンズに行って、生まれた場所を訪ねたりと、思い出深い旅をしました。湿地帯もあるし、街を少し離れると本当に自然が多いところです。
父とドライブ中に車がパンクしてしまって。そうしたらスコールに遭い、ひょうまで降ってきたんです。ああいう時にリーバイス®を着ていたらよかっただろうなと思います。なんというかラフな場面で守ってくれる感じがします。
でも、都会で、東京で、表参道で着ていても、違和感がないんです。しっかりと自分に寄り添ってくれる感じがしました。
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エッセイスト対談|木村東吉×華恵
「都会と自然を橋渡すもの」(5)
目標のために
木村 モデルの仕事とアウトドアの仕事に、強いて接点を持たせようとしたことはないですね。あくまでも自分はメッセンジャーであると。そのメッセージのなかで、アウトドアに比重を置いているということなんですね。
料理もそうなんですよ。アウトドアクッキングとして求められば、2バーナー(※8)を使ったり、ダッチオーブン(※9)も使いますが、もともとは『ポパイ』で“四畳半一間でもおいしい料理ができますよ”、という料理の連載をしていたんです。だから四畳半に人を招いていたのを、今は海や山で人を招いて食事を出しているというだけで。やってることは全然変わらないんですよ。
共感してもらえる世代や憧れを抱いている人たちに対して、こうやって工夫すれば、あるいはこんなふうに考え方を変えれば、もっと快適に、もっと楽しくなるよっていうメッセージを、ずっと送り続けているんですね。それが今はアウトドアライフというだけ。
アウトドアライフというのは肉体的にとても大変。35歳でここに来て、75歳まではこの暮らしを続けることができると思うんです。仮定の話ですが、76歳になったら東京で生活した方が楽かもしれないと思います。集合住宅で。ここで雪を掻いて、薪を集めて、壊れたデッキをリフォームして……というのは、とても大変なんですね。
76歳以降は、都市に生活する、ゴールデンエイジとしてのメッセージを送っているかもしれません。僕にとってアウトドアはかけがえのないものですが、自分のなかのコアな部分は、絶対に都会人だと思っていますので。
華恵 75歳までここで暮らすというのも、それだけですごいですけど。
木村 僕はフルマラソンのタイムが、だいたい3時間30分から40分なんです。気を抜くと4時間くらい。だからあと20年、75歳までは「笑って4時間」を続けようと。そのためにトレーニングして、体力を保とうと思っているんですよね。
華恵 すごい目標ですよね。私も行きたい場所を決めて、そのために必要なことは何かを考えるタイプなんです。例えば海の底が見たいと思ったらダイビングだろうし、オーロラが見たいとなったらそれなりの準備が必要ですよね。今はその考え方がとても強くなっていて。だから体力をつけるために、毎日1km泳ぐようにしています。
具体的に行きたい場所、やりたいことは決まっていなくとも、それが決まった時に対応できるような基本的な準備をしているという感じです。
木村 すごく共鳴できる部分がありますね。自分がどこかに行きたいとする。が、行くためのアプローチというのは、そんなに重要じゃないんですよ。ある人は道具にものすごくこだわったり、あるいはルートにこだわったりしますが、ここに行きたい、だったら自分はこれをする、というシンプルな考え方が大好きですね。
リーバイス® メイド アンド クラフテッド™
http://levismadeandcrafted.com/
リーバイス® ダブルエックス
Tel. 03-6418-5501
木村東吉|KIMURA Tokichi
1958年大阪生まれ(55歳)。エッセイスト。1970年代後半~80年代にかけて、『ポパイ』『メンズクラブ』『チェックメイト』などでファッションモデルとして活躍。並行してカヌー、キャンプなどのアウトドアに傾倒。現在は河口湖畔に住み、エッセイの執筆を始め、専門学校講師、ラジオパーソナリティなどを務めている。自然のなかでの暮らしと都市生活を両立し、キャンプ教室、カヌー教室などを通じて、アウトドアの魅力を発信している。
http://greatoutdoors.jp/greatlife/
華恵|HANAE
1991年アメリカ生まれ(23歳)。10歳からモデルとして活動。また、全国小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞を受賞するなど、早くからその文才を発揮している。『ランドネ』『山と渓谷』など、多くの山岳雑誌にモデルとして出演、執筆も行っている。『寄りみちこみち』(角川書店)などの書籍も多数上梓。
http://hanae-orihime.com/