服飾史家 中野香織氏が紐解く「ジョルジオ アルマーニとモード」
服飾史家 中野香織氏が紐解く
「ジョルジオ アルマーニとモード」(1)
“20世紀のファッションにおいて、最も大きな影響力を及ぼしたデザイナーのひとり”――専門家から見たその歩みと、モードに与えた影響力、そして一個人として身に纏ったときの感想はいかに? エッセイスト、服飾史家、明治大学特任教授である中野香織氏が解き明かす「ジョルジオ アルマーニ」観をここで。
Text by NAKANO Kaori
Photo by JAMANDFIX
デザインにおいて、ビジネスにおいて。つねに先をゆく独創性
20世紀のファッションにおいて、最も大きな影響力を及ぼしたデザイナーをひとり挙げよ、と言われたら。女性ファッション史、メンズファッション史、そしてファッションビジネスという観点から総合的に考えて、私ならばジョルジオ・アルマーニを挙げます。
男と女、どちらかのファッションに革命を起こした偉大なデザイナーとなれば、ほかのビッグネームを挙げることもできます。でも、男と女、双方の装い方に対して革命を起こし、さらに独創的なビジネス戦略をも展開していったデザイナーとなると、やはりアルマーニをおいてほかにいないように思えてきます。
1975年、41歳にしてジョルジオ アルマーニ社を設立したアルマーニは、まず、メンズスーツに革命を起こしました。これ以上、変化することはないと思われていた鎧のようなメンズスーツの構造を解体し、艶やかで贅たくな素材を使って、スーツに柔らかさと色気を与えました。芯地やパッドを省略した、堅牢な構造物ではない上着、これをアンコンストラクティッド・ジャケット(unconstructed jacket)とも呼びますが、80年代、男性はアルマーニの柔らかなスーツをとおして、それまでほとんど封じられていた個性やセクシーさを主張することを楽しみはじめたのです。
アルマーニが女性に与えたもの――“ディグニティ”
紳士服で成功したその手法を、アルマーニはレディスウエアにも応用します。贅たくな素材を使い、着心地の良さと優美なラインを追求した、絶妙なカッティングの機能的なテイラード・スタイル。女性らしさを損なうことなく優雅な貫録を与えてくれるアルマーニのスーツは、それまで女性に無縁だったディグニティ(威厳)を与えます。シャネルが女性に自由を、サンローランがパワーを与えたとすれば、アルマーニは威厳を与えたのですね。世はまさに、英国首相マーガレット・サッチャーはじめ、女性のエグゼクティブやトップが活躍しはじめていた時代です。セクシーさと威厳を両立させるアルマーニの服によって、女性たちは、男の真似ではない本物の自信をもち、輝きを増していきます。
そんなふうに、男と女、双方の装い方に対する態度を変え、それによって時代のムードをも変えていったというだけでも偉大なことなのですが、アルマーニの底力を感じるのは、むしろ、ビジネスの側面です。彼は1990年代に起こったラグジュアリーブランドの熾烈な買収戦争に巻き込まれることなく、主任デザイナーにして経営者(単独株主の代表取締役社長)というステイタスを、76才になる今に至るまで守り抜いているのです。
しかも、現在、ジョルジオ アルマーニ社は、洋服だけで10ライン近く(ハイエンドなジョルジオ アルマーニ、ジョルジオ アルマーニ プリヴェから、カジュアルラインのアルマーニ エクスチェンジにいたるまで)展開するばかりか、コスメティクス、インテリア、リストランテ、ラグジュアリーホテル、そしてドルチまで、じつに幅広い分野をカバーしているトータル・ライフスタイル・ブランドなのですが、そのすべてに、隅々にいたるまで、妥協を許さぬアルマーニのテイストが貫かれている。小さなキューブ型のチョコレートひとつでさえ、最高級の洗練を提供したいというアルマーニの美意識の結晶になっている。これはじつに驚嘆に値することではないでしょうか。
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「ジョルジオ アルマーニとモード」(2)
自分自身と闘い限界を打ち破ってきた、運命の開拓者
これだけの偉業の陰には、語るに値する物語があります。
ジョルジオ・アルマーニのキャリアは、大きな絶望を転機としています。それは、ジョルジオの最高にして最愛のパートナーだったセルジオ・ガレオッティを失ったこと。セルジオはジョルジオよりも11歳年下の陽気な建築家で、アルマーニとともにブランドを立ち上げたあと、経営や対外的な仕事を一手に引き受けてブランドを成長させてきたのですが、1985年に40歳の若さで他界しました。公私にわたる大きな支えを失ったアルマーニは、しばらく世捨て人のような生活を送りますが、その後、ゼロからの再出発を決意するのです。
会社経営はアルマーニにとっては未知の領域でしたが、一年かけて自社研究をしたあと、なんと全業務を自ら掌握し、クリエイターにして経営者というふたつの顔を兼備してスタートします。「向いてない」「経験がない」「才能がない」なんて甘いことは言わない。とにかく自分自身と闘って、運命を切り開いていく。試練や難局にぶつかったとき、私はアルマーニのその姿勢を思い出します。なかなかマネできることではないですが、自分がとらわれている限界など闘い方次第で打ち破れる(かもしれない)という可能性を見せてくれるお手本として、いつも頭上に輝いて勇気を与えてくれます。
ハリウッドスターたちとの華やかで甘い関係
その後、アルマーニは、クリエイティヴな才能を、デザインばかりでなく、戦略や財務の分野にまで広げ、次々と独創的な宣伝戦略を展開していきます。
まずは、パブリシティへの投資。その最大の成果は、映画界との密接な関係を築き上げることに成功したことでしょうか。アルマーニが一躍、世に知られるようになったきっかけは、映画です。『アメリカン・ジゴロ』(1980年)に衣装提供したのですが、主演のリチャード・ギアがセクシーに着こなすアルマーニが、一種の社会現象になりました。今では、ブランドが映画に衣装を提供するのはごくふつうのパブリシティの手段になっていますが、その先鞭をつけたのが、ほかならぬアルマーニだったのですね。
彼はまた、アカデミー賞授賞式に出席するスターにも衣装を提供します。ジョディ・フォスターがアルマーニのスーツを着て主演女優賞を獲得したことはあまりにも有名ですが、グレン・クローズ、ミシェル・ファイファー、ソフィア・ローレン、シャロン・ストーンなど、レッドカーペット上でアルマーニを着てセクシーな知性を世に印象づけた女優は数知れず。
男性もまた、アーノルド・シュワルツネガーやマーティン・スコセッシ、ジャン・レノ、ロバート・デニーロなどなど、大物の「プレイヤー」はアルマーニを着ていましたし、今なお、男性のセレブリティはレッドカーペットではお約束のようにアルマーニを着ます。当初こそ衣装を提供していたかもしれませんが、今では、スターの方からアルマーニを訪れることも多いようです。アルマーニは、セレブリティが自分の服を着ることの宣伝価値をわかっていた最初のデザイナーでもあったわけです。
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「ジョルジオ アルマーニとモード」(3)
いち早いスポーツ界へのかかわり、積極的な慈善活動
スポーツ界との緊密な関係も無視できません。サッカーのイングランド代表チームのユニフォームも2回デザインしているほか、ロンドンのサッカークラブ「チェルシー」のスーツも担当しています。「チェルシー」クラブには、アルマーニ・カーサのインテリアで整えられたサロン、「アルマーニ・ラウンジ」まであります。
自国イタリアのスポーツ界にも貢献しており、2006年のツーリンでのウィンターオリンピックでのイタリアチームのユニフォームを作っているほか、今年のロンドン・オリンピックでのイタリアチームのユニフォームもデザインすることになっています。サッカー選手がスタイルアイコンになるのは現在ではごくあたりまえですが、いち早くそれに着目し、ほかのブランドに先駆けてサッカー選手のスーツを作ってきたアルマーニの慧眼に、やはり驚かされます。
そんなふうに、時代の先を見通していち早く行動を起こす鋭敏さの例は枚挙にいとまがないのですが、なかでも特筆すべきは、慈善活動でしょうか。まだ今ほど「企業倫理」や「社会貢献」が声高にうたわれていなかった時代から、アルマーニは、エイズ対策支援はじめ、医療・教育機関への支援を中心に、多岐にわたる慈善活動を精力的におこなってきました。
昨年、日本で起きた大震災のあと、日本に捧げるプリヴェ コレクションをいち早く発表することで私たちを力強く励ましてくれたことも記憶にあたらしいところです。被災地の子どもたちの就学をサポートする「ユネスコ協会就学支援奨学金」制度を支援するという経済方面ばかりではありません。コレクションというクリエイティヴ方面でも美しく支援するのがアルマーニ流です。そんなアルマーニのスマートな慈善の流儀が、彼を尊敬に値する大物へと押し上げているばかりか、アルマーニというブランドをほかとは一線を画す別格のレベルへと高めてもいます。
そんなこんなのあらゆる面で抜きんでているアルマーニの成功の秘訣はといえば、ストイックなまでの完璧主義。「何よりも仕事が好きだ。仕事の喜びを味わうためなら、多くの犠牲を払うこともいとわない。自由な時間なんてなくてもかまわない。僕の仕事はすべてを飲み込む暴君のような存在。愛情すら制限される。それで孤独という代償を払うことになるが、それなりに覚悟もできてるよ」というアルマーニの言葉に胸をうたれます。
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「ジョルジオ アルマーニとモード」(4)
アルマーニの強靭な精神が生み出す完全なる美の世界
以上、歴史家としての私のアルマーニ観を語ってみましたが、個人的にもアルマーニの作り出すものが好きです。アルマーニの店内に足を踏み入れると、グレーのバリエーションや白、黒などの無彩色が多く、クールな印象を受けるのですが、服は着たときにそのホットな本領を発揮します。袖をとおせば、動くたびに上質な素材が肌を滑り、ひそやかに官能的な喜びを与えてくれます。上着はとりわけカッティングがすばらしく、おのずから首筋と背筋が伸びるように作られていて、所作が丁寧になっていくのです。リラックスしながらもきちんとして見えるとすれば、そんなふうに、アルマーニの服が、着るひとの心と所作に働きかける力をもっているためだと思っています。
コスメティクスにしても、奇をてらった色の展開は一切おこなわないけれど、本来のそのひとらしさを引き出しながら、艶やかで品格のある顔をつくるという働きに徹しています。ドルチのプラリネも、大きさ、味わいのバランス、形、すべてにおいて洗練を極めながら、チョコレートの本質的なおいしさを引き出すことに成功している絶品なので、喜びを共有したいと思ったひとと味わう「勝負チョコレート」になっています。
そんなこんなのアルマーニの世界に共通する美意識とは、飾り立てていくのではなく、むしろ引き算をしていくことで、ひとやモノの本質的な部分を引き出して輝かせて見せること。だからこそ、本質がスカスカだと、すぐにバレる危険も伴います。アルマーニの挑戦に応えられるよう、そこのところをきちんと鍛えておかなくてはね、と思わされます。デザイナーの思いと向き合いたいと思わせられるというあたり、少なくとも私自身に対する影響力は、21世紀に入っても引きつづき大きいのです。
中野香織|NAKANO Kaori
エッセイスト/服飾史家/明治大学特任教授
1962年生まれ。東京大学文学部および教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得。英国ケンブリッジ大学客員研究員などを経て、文筆業に。著書『モードとエロスと資本』(集英社新書)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)、『愛されるモード』(中央公論新社)ほか多数。